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表現のこと

最近ふと、前みたいな葛藤がなくなってきたなと思う。

少しは成長できたのかな…とか。

それでいいんだと思うけれど、振り返ってみたら、その葛藤があったから、生まれてきた言葉もたくさんあったなぁと思う。

詩を書いてますなんて、殆ど自分のための呟きけれど、私にはそれでいいし、それ以上である必要もなかったから。

それでいいんだと思う。
そうすることが私に必要だったから。

見てほしいわけでもなく、ただ描きたかったから、書いていた。

出てこようとするものに、蓋をすることができなかった。というのが、一番近い感覚かもしれない。

だからこんなふうに、色んな発信を試してみたりしたんだと思う。

迷惑じゃありませんように。って思いながら、どこかで私ってどんな人間なんだろうって表現ということを模索してみたかった。

自分のためといいながら、それでも少し望むこともあって…。

これからの自分に少し望むことは、書いたものとか、発したことが、どこかで誰かの生きる力みたいなのもになったらいいな。ということ。

私が出会った作家さんたちにも、やっぱり色んな葛藤があって、作品はもちろんだけれど、そんな葛藤に、すごく心が支えられたり、気付かされたり、自分なりに模索しようと思えたから。

明るさだけが、人を導くんじゃないんだなと、思った。

暗い気持ちとか、苦しい葛藤とか、見せないようにって、暗い場所に閉じ込めててもいいけど、蓋を開けて、日のさすところで眺めたら、そして、自分だけじゃなく、他の誰かとも眺めることができるようになったら、きっと見えなかったものも、見えてくるような気がした。

多分それが、その時に見えるものが、本当に描きたかったものなんだろうな…。

と思う。


ことばはこころ。枝先の葉や花は移り変わってゆくけれど、その幹は空へ向かい、その根は大地に深く伸びてゆく。水が巡り風が吹く。陰と光の中で様々ないのちが共に生き始める。移ろいと安らぎのことばの世界。その記録。