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ナマステ吾野

5月26日にナマステ吾野が私の住む吾野で開催されました。
沢山の方がドネーションをして下さったと聞いております。今一度、皆さんの貢献がどの様な意味を持つのか、感謝の気持ちを込めて書いてみました。

開催の経緯

ナマステ飯能というイベントをオーガナイズされている飯能のカレー屋さん、ジュッティーさんが吾野で行われたサンスクリット語に来て下さり、その際に使用した会場をとても気に入って下さり、開催が決定になる、という思いつき満載なイベントでした。私も思い付きでヴェーダーンタやサンスクリット語のクラスをする事が頻繁にありますが、今回はヴェーダーンタのクラスとは趣の異なったイベントで、規模も大きかったのですが、インドの素晴らし叡智を皆さんにお伝えする、という点では根底で繋がっているものです。

島田さん(エスラジ)、逆瀬川さん(タブラ)、中村さん(シタール)の演奏は素晴らしかったです。

私のヴェーダーンタのクラスには新しい人たちがあまり来てくれないので、このような形でヴェーダの叡智をお伝えできる機会があり、とても嬉しかったです。

また、インドへの帰省前だったので、会いに来てくださった方々、ヴィーガンケーキを用意してくださった方も、ありがとうございました。

アンナダーナンでお食事を提供する意義

1月下旬に引越してきた「ド」が付く田舎である埼玉の吾野で、インドでも聞くことが出来ないくらいの熟練演奏家の方たちの素晴らしい古典音楽が聞けたり、居るだけで華があり、場の雰囲気を変えることが出来る舞踏家のシュッブラさんのバーラタナティヤムを見ることが出来るとは夢にも思いませんでした。イベントへの参加は寄付制。お金を払っても実現できないような素晴らしい機会でした。そして、とーってもおいしいピュアベジタリアのカレーと日本が誇る食の芸術・ころ寿しさんのヴィーガン寿司は全てアンナダーナン(お食事に値段をつけないで、寄付をしたい人がご自身の懐加減で寄付をする事)、というインドのアシュラムや寺院で実践されている形式で提供されました。

商売で飲食業をされている方々にとって、無料でお食事を提供することは抵抗があり、赤字が出ないかという心配があるので難しい事だと思うのですが、ジュッティーさんはその提案にご快諾をして下さいました。

ヴェーダの文化では、ご飯はお腹が空いている人が食べるもので、提供できる人が食事自体の提供を、または経済的サポートをするアンナダーナンという形式が今でもアシュラムや寺院で行われています。

生きていれば必ずお腹は空くもの。お金がある人も、お金がない人も誰もが食べなくてはいけません。でも、今の日本の社会でも、高齢者や子どもたちを含める支払い能力がない人たちがお腹一杯ご飯を食べることが出来ない事があるのが現状です。

おなかを空かせている人がお腹いっぱい食べられるのが豊かな社会だと思いませんか?そんな社会構造を作っているのがヴェーダの叡智です。

素晴らしい叡智で、与えられている人も与える人も心が満たされる、そんな叡智なので、日本でも広まって欲しいな、と常日頃思っています。なので、ナマステ吾野の様な沢山の人が集まるイベントで、ヴェーダの素晴らしい叡智の一部であるアンナダーナンをみなさんに体験してもらえる機会が出来たことを、大変うれしく思います。

ヴェーダの文化では家庭を持っているグラハスタと言われる人達は出家をした人、または学生にごはんを振舞わなくては自分たちがごはんを食べてはいけない、というルールがあります。本来であれば振舞わなければごはんを食べることが出来ないし、振舞えば沢山のプンニャ(善い行いの結果で、自分に好ましい状況を与えてくれる)を得ることが出来ます。

私は未婚でヴェーダーンタを勉強する学生という立場なので、今でもインドに行くとヴェーダの文化に則った生活をしている家庭にお呼ばれしてお食事を頂く事が頻繁にあります。その際、招待をして下さったご家庭の奥さんは、招待客である私がお腹いっぱいになるまでお給仕をして下さり、ごはんを食べません。私と一緒にインドを旅したことがある人は何度かご一緒したことがあるでしょう。ちなみに私はかなりの大食いです。そんな私でも、お腹はいっぱいになるので、そうしたら奥様は残ったものを召し上がる、というスタイルです。

日本では家庭に誰かを招待して食事を振舞う、という事自体が少ないです。また、どこかの誰かの食事の為にお金を寄付する、という機会もほぼゼロに近いです。なので、アンナダーナンの機会をなるべく作っていきたいと思っているのです。

他の人のお金の使い方にとやかく口出しはしたくないのですが、お金の使い方はプンニャを得る事に直結するので、みなさんに、特にプンニャが人一倍必要なヴェーダーンタを勉強している人たちは人一倍お金の使い方を工夫していかないといけません。

リシケーシではインドの出家をした人たちに食事を振舞うバンダーラをすることができます。とても良い事で、リシケーシのような聖地で出家をしているサンニャーシの人に食事を振舞うことで沢山のプンニャを得ることが出来ます。リシケーシに来たら是非貢献してみると良いと思うのですが、
私たちは常にリシケーシに居るわけではなく、なんとなく息苦しく生きにくい日本という国に居ます。アンナダーナンはそんな日本をもうちょっと生きやすく、心豊かな国にしていける糸口だと私は思っています。

自分の置かれている立場で、自分が持っているお金をどのように使えば人や社会の役に立つのかをきちんと考えて使っていくことはとても重要な事だと思っています。それが出来ればプンニャを得られるだけではなく、さらにプンニャを得られるシチュエーションに置かれたり、他の人にプンニャを得る機会を提供出来たり、という事が起こります。プンニャの波に乗る感じです。

なので、今回のアンナダーナンの機会に寄付をして下さったことは大変意味がある事なのだと思います。表面上はおいしく楽しいイベントの様に見えても、ヴェーダの叡智をしっかりと伝える機会なのでした。

自分が恵まれている立場に居るシチュエーション:例えばお金がいっぱいある、とか、おいしいごはんを大好きな人と食べられる、とか、ヴェーダーンタの勉強が恵まれた環境で出来る、などは全てプンニャの現れです。プンニャの現れという事は、プンニャを消費している=どんどんと少なくなっていっている、という事です。

でも、恵まれた環境に居ると、さらにプンニャを稼ぐことが出来るシチュエーションが現れるのです。その一つが、お金が自分のところにやってくる、です。

私はグルであるプージャスワミダヤーナンダジに、リシケーシに居るタイミングで、父の誕生日だったので「バンダーラをやりたい」とお伝えをしたら「No need(する必要はないよ)」と言われたことがあります。その時は理由は聞きませんでした。グルがそういったのであれば、それが自分にとって一番良い道なので。今の時点での自分の勝手な解釈となりますが、スワミジが私に教えてくださったのは「バンダーラは良い事だけれども、同じお金を自分の置かれている立場でもっと他の事に使えるのでは?その使い方を考えてみなさい」だったのだと思います。

何にどれぐらいお金を使うかは今でも試行錯誤ですが、スワミジの教えは

Human growth is to be a contributor from consumer 人の成長とは消費者から貢献者になることです。

今回のナマステ吾野ではアンナダーナンだけではなく、プージャーを開会の儀としてやらせていただけたり、ヴェーダが教える神様についてもお話しする機会をいただけたりと沢山のありがたい機会を頂きました。また、Dristhiあいさんが急遽駆けつけて下さり見事なコーラム(鳥や蟻さんたちへのアンナダーナンとして米粉で幾何学的な絵を玄関に書く芸術)を書いて下さったので、それにも圧倒される方たちが沢山いました。ちなみにコーラムは富の女神様ラクシュミーをお家に招き、また、上で述べた出家者や学生にアンナダーナンをする用意が出来ていますよ、というサインでもあります。

あいさんのコーラムは見る人を圧倒する芸術です。描いて!と頼んだら忙しいスケジュールにも関わらず駆けつけてくださるのも嬉しい。

様々な角度でヴェーダの文化に興味を持ってくださった方が沢山いたのも嬉しい限りです。

私は今インド・リシケーシへの旅路です。12月まで滞在する予定ですので、ヴェーダの素晴らしい叡智を学びたい、または体験してみたい方は是非訪れてみて下さい。

8月のリトリートは定員を満たしてしまいましたが、お部屋の空き具合を確認して定員オーバーでのご参加の可能か交渉してみますので、ご興味のある方はご連絡ください。バンダーラもできますよ。

शुभम् भूयात्

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