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老人生きがいの家

犬を飼っていた頃、よく車で連れて行って散歩させた場所がある。高台にある自然公園から海が一望できて、犬の散歩にうってつけの場所だった。

最寄駅からバスで20分ほどかかる高台の新興住宅地で通勤にも不便、車がなければ買い物にも歩いていけない辺鄙なところ。ただし、近くに介護施設があって送迎バスも回っているのでリタイアした高齢者が住むにはよかったのかもしれない。

で、その高齢者の多い住宅地の隅に公民館があって、立派な木の札に「老人生きがいの家」と達筆で墨書きされている。これ、自治会の人が名付けたのか知らんけど、誰にせよ、よくもこんな直截的でデリカシーのない施設名をつけたもんだよなと苦笑した。

「老人」ってもちろん言葉としてあるけど、今はあんまり使わないよね。それは本人たちがいないところとか見ないところで広く大雑把に高齢者を括る時の乱暴な言葉の使い方だし、今はだいたい「高齢者」って言うよね。その利用者が毎回目にするような場所に「老人」って、見る方はいい気はしないはず。そのぐらいの配慮ってないんかいと思った。それとも「老人はそんなこと気にしないだろ?」とか「老人にどう思われてもいいや」ぐらいの認識なのか?

散歩中に何度も外から様子を見ていたので、どういう使われ方をしているのかわかっている。たとえばピアノの伴奏に合わせて小学校の合唱でやるような歌を老人たちが歌う。特に老人に限らないんだろうけど、ピラティスとかヨガとか太極拳とかそういう体と心に良いと言われていることを地域の人たちでコミュニケーションとりながらやるとか、まあ公民館だね。

これ、完全に自他共に認める老人であったとしても、こんなやりとりが起こりそう。

「ちょっと出かけてくるよ」
「どこへ?」
「”老がい”だよ、決まってるだろ?」
「そんな卑下しなくてもいいのに」
「”老害”じゃなくて、”老人生きがいの家”の略だよ。」
「なんとかならないの、その名称?」
「ほんとひどいよな」

ちょっと行きたくなくなる名前だよね。老人を何だと思ってるんだろう。自分はまだ老人じゃない人で、そう遠くないうちに自分も老人になることを想像もできない人が名付けたんだろうか。

しかもさ、そういう公民館で催されるイベントが老人に生きがいをもたらす
っていうの、なんか決めつけ感がすごい。適当な暇つぶし=老人の生きがい、みたいな。

老人の生きがいってなんだろう?それって成人の生きがいと違うの?うちの近所でも高齢者がこの世の終わりみたいな顔して夫婦でウォーキングしてるけど、全く幸せそうに見えない。だいたい夫が奥さんの数メートル前を黙々と歩いている。会話しながらあるけばいいのに話すこともないのだろう。

つい数年前まで隣に住んでいたSさん夫婦は70代ぐらいだろうか。けっこういいとこに勤めていたのか現役時代は海外出張なんかも多かった人で、おしゃれでガレージにはバイクやマリンスポーツや釣りやアウトドアの道具が整然と並べられていた。

世間的には普通に成功者という位置づけになるのだろう。高級車に乗っていて経済的に余裕がありそうだったし、毎日早朝からゴールデンレトリバー二匹を散歩させていた。二匹とも相次いで亡くしてからは単身のウォーキングに変わって寂しそうだっった。バイクで走りに行ったり、図書館に散歩がてら行くのをよく見かけた。

一度少し話したことがあって、若いころに比べて体が随分小さく細くなったと嘆いていた。若いころは何キロも歩いてバスも使わずに駅まで行ってたとか足がこんなに太かったとか、アウトドア好きな方だったので、寄る年波に体力の衰えを感じ、そう遠くないうちに死へ向かうという先細りの未来を感じさせるのだろう。みんないつかは死ぬのだからいいかげん腹括れとは思うが、誰しも生が充実していればいるほど寂しさを感じるのかもしれない。

そのSさんの隠居ぐらしは多くのサラリーマンが思い描くようないわゆる悠々自適を絵に描いたような暮らしだったと思う。十分な経済的余裕があり、二人か三人の子供たちはそれぞれ家庭を持ち、孫もいてたまに訪ねてくる。自分たちはとりあえず大病もせず健康で、風光明媚な関東近郊の人気の住宅地に庭付き一戸建てがあって住んでいて、毎日たくさんある趣味に好きなだけ時間を使えばよく、健康増進を兼ねて図書館まで歩いて往復しがてら好きな本を読み、たまにバイクで走りに出て、犬が健在だった頃は朝晩散歩し、近所の人とゴルフを楽しむ。

ただ、奥さんは仕事もしていたけど、ご主人は仕事してないから人間関係がない。いくら気ままにに過ごしていても人と交流がないと自分を人のために役立てることができないから虚しそうだな。


・・・結局自宅を売って、長野の山奥の暖炉のある家に移住した。奥さんに相談もせず決めたということで大げんかしたらしいが、頑固なご主人で言い出したら聞かないので、仕方なくつきあうのだという。まあ今更離婚するのも面倒だしね。彼などは奥さんには気の毒だが、とても面白い選択をしたのだと思う。これからどんどん体力が衰えていくことや冬場の雪かきのこと、どちらかが亡くなった後の暮らしを考えると、普通はなかなか踏み出せないが。

全国津々浦々にある公民館や図書館などのコミュニティスペースで催される高齢者のためのコンテンツというのは、だいたい先に書いたように不特定多数の高齢者にとってニーズがあること。つまり、健康、文化、コミュニケーション、体を動かす、歌を歌う、囲碁や健康麻雀などのゲーム、パソコンやネットの初心者向け講座、郷土史を学ぶ、楽器の演奏または聞く会、ウォーキングやハイキングを一緒にやりましょう、認知症予防の知識などなど。ぼくも自治会の委員として少しだけ関わったことがあるが、あまりにもつまらなくてすぐやめてしまったし、自分が老人になっても絶対来たくないと思った。

これが映画「ファイトクラブ」みたいにめちゃくちゃ過激な内容だったら面白いんだけどな。
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などなど。ロウソクの炎が最後の一瞬に明るく燃え上がるように最後に大輪の花を咲かせてほしいものだ。案外本人は晴れ晴れとした顔で逝けるのではないだろうか。


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