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【宗教2世ごろごろケア日記02】覚醒には、いろいろあるっぽい

 

 宗教2世のケアに関するお話をゆるーく書いてゆくこの連載。日記なので、むこがわさんの身の回りで起きたことを、どちらかといえば時系列にそって雑多な内容として書いてゆくつもりだ。

 エホバの証人をやめた人たちの間で「覚醒」ということばがよく出てくる。これは平たくいえば「教義から目が覚めた」ということなんだけど、その目が覚めた、という内容に、解釈の違いがあるっぽいことに最近気づいた。

 覚醒ということばそのものは、エホバの証人を辞めた人たちが一時期「アメブロ」に体験を書くのが流行していて、そのへんから広がったのだろうか。アメブロ界隈の時代を私はよく知らないので、さらっとした知識として、そういうことなんかなーと思っている。


 さて、覚醒の段階について。

 実はJW2世や3世の中には「赤ちゃんのときから信じてない」という強者(つわもの)がいる。何人か該当者を知ってるけれど、親がガチガチに信仰していようと、本能的に「そんなことはあるものか」と受け付けない体質の人がいるのだ。この人たちを第一分類としよう。

 この人たちになると「覚醒」もクソもないわけで、最初から強制収容所に入れられたような絶望しかないだろうことは容易に想像がつく。あとは脱獄するだけだ。


 私の場合は第二分類みたいなもので、「信じてたけど、おかしいと思ってスパーンと離れた」グループだ。もともと私が離れた時は、「偽りのエホバ、お前を倒す」みたいな感じだったので(笑)

”神殺し” ”王殺し” ”下克上”

なので、覚醒したあとは一切悩むことはないし、罪悪感などに取り付かれることもたぶん皆無だった。「これは違う」「違う以上、もう用はない」というシンプルな脱出劇だ。


 そういうわけで、覚醒したあとの人は、心が「自由」だと思っていたのだけれど、どうも違う意味でその語句を使っている人がいることに気づいて、ビックリしたのである。

 ここから第三分類。教義や組織に疑問を持って、離れることは決意したのだけれど、「罪悪感」とか「後ろ髪を引かれる気持ち」を残しながら、徐々に時間をかけて自由になってゆくパターンである。この場合、いろんな箇所に「モヤモヤ」を残しながら、世の人の人生と、JW時代の人生が交錯しながら過ぎてゆく。これはこれでつらそうだ。

 いったんまとめるね。

■1群 最初から信じてないという覚醒
■2群 信じていたけれどきっぱり否定するという覚醒
■3群 おかしいおかしいと思いながら、疑いが増えてゆく覚醒


※単純に分類できる場合もあるし、領域が重なる場合もあります。

 1群や2群の場合、覚醒してしまったら、教義や組織には用がないので、そこで苦しむことはないのだけれど、「家族」や「親」が残っている場合、それが苦しみの元凶となり本質となるだろう。

 私の場合は、親が二人とも不活発化して、おまけに父親は死んでしまったので、かなーり呪縛めいたものは薄まっている。なので、心理的に苦しいとかは、ほぼゼロに近い。だって死んじゃったものはどうしようもねーじゃん。

 でも、親が現役だったり、その強い影響下にある人は、親や家族との関係において「苦しむ」だろう。これは重要なポイントだ。仮に教義や組織に対しては覚醒していても、「親との関係」は悩みとしてずっと残る。
 だからこれはこれでつらい。

 困ったのは3群の人たちで、彼らはそもそも「覚醒」したといいながら、時間と段階が解決するため、まだまだ悩みや苦しみの真っ最中にいる。

 これ一体何が起きてるんだ?と思って考えたのだけれど、いちばんしっくりする説明が見つかった。

「失恋」

である。

 神に対してでも、組織に対してでもいいんだけれど、一生懸命献身して、身も心も捧げて愛しちゃったのだ。でも、彼や彼女が嘘をついているらしいことがわかってきた。

 え?もしかしてあたしに対して嘘をついていたの?
 え?本当はあたしを愛してなかったの?
 え?あたしのことは実はどうでもよかったの?
 え?こんな仕打ちが起きるって、好きじゃないから?

みたいなことが見えてきたり、感じたり、する。だから失恋なのだ。

 後ろ髪を引かれながら「別れる」「離れる」決心をするのだけれど、その傷はずっと心に残っていたり、自分の愛情のかけら・破片が、そこらへんでまだキラキラ輝いているので、揺れ動くわけだ。 

 きっつー。

 もちろん、神や組織はもともとこちら側にむかって、たいした愛情を持っているわけじゃないから、そこでキラキラしているのは「自分の愛のかけら」にすぎない。でも自分のだから、よけいに重いし、そのキラキラは輝いてもいるし、ガラスの破片なので触ると怪我をするくらい尖っている。

 きっつー。

 これはね、たぶん男性でも女性でもおなじで、「献身する」ってそういうことなんだなあ、と思う。そこから逆転してゆくのは、そりゃあたいへんなことだ。

(そういう意味では1群の人は献身なんか最初からしてないし。2群の人は恋愛じゃなくて「主君」だっただけなんだろうね。なので「主君」を変えたり、下克上がスパッとできる)


========

 神や組織や教会に恋しちゃった人は、振られたらどうしたらいいのか。

 ある人は別の宗教や教会にいくだろう。新しい彼氏が必要だからだ。いやまあ、そういう人は実際多い。エホバやめて牧師になるタイプ。

 ええい、男(神)なんてこりごりだ!一人で生きてやる!というタイプの女性もいるだろう。でも、えてしてそういうタイプの子ほど、おなじような男にまた騙されたりもする。マルチ商法とか?(笑)

 本当は、そんな女性には「心やさしい、心底ちゃんと愛してくれる存在」が現れればいいのだろうけど、まー実際にはいねえわな。

 ということはやっぱり、時間をかけて自立してゆくしかないのかー。

 少なくとも「依存体質」からは、抜け出さないと永遠に苦しむことになる。

(もちろん男性でも一緒ね)


 こうして考えてゆくと今日の本論とは、ちょっとズレるけど「献身」ってめっちゃヤバい制度だな、と思う。

 依存します。依存症を生み出します。依存体質になります。ってことなので。

 きっつー。


 今日はここまで。失恋からの立ち直りは、また別に考えるかもしれん。




 


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