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「脱宗教」の教科書3 〜輪廻転生ってあるんですか?〜

 みなさんは生まれ変わりを信じますか?

 今までのお話ではキリスト教がらみの内容が強かったので、今回はちょっと仏教寄りにしてみましょうね。

 ちなみにキリスト教では、輪廻転生といった概念はあまり見られません。それよりも、「死んでもそのまま自分が生まれ変わる」とか「肉体はともかく、自分の意識が天国へ行く」という考え方が多いようです。

 なので、アメリカなどでは火葬しません。そのまま棺に入れて地面に埋めます。そのままの肉体の復活がイメージされているからです。

 よく映画とかで広大な墓地に棺を埋めるシーンとかがありますよね。あれは「そのまま地上に天国が来て肉体が蘇るか、肉体はわからないけれど、そのまま(天上の)天国へ行くか」という想像がなされているのです。


 さて仏教です。輪廻転生とよく言われます。生まれ変わりというやつです。私はお笑い半分に「解脱者」を称していますが、解脱というのは仏教では「輪廻転生のサイクルから外れて、自由になった状態」を意味します。

 それほど「輪廻する」ことはマストだと考えられているのです。輪廻しつづけることは不自由で縛り付けられた状態だというわけです。


 ところで、みなさんは輪廻をどんな状態と想像するでしょうか。人は死んでも、魂がどこかを彷徨っていて、別の生き物に生まれ変わったりすると思い込んでいませんか?
 実はそれも、仏教の誰かに「思い込まされているイメージ」に過ぎないかもしれませんよ?


 本来の仏教における輪廻転生は、Wikipediaにもちゃんとはっきり載っています。


 「五火説とは、五つの祭火になぞらえ、死者は月にいったんとどまり、雨となってに戻り、植物に吸収されて穀類となり、それを食べ男の精子となって、女との性的な交わりによって胎内に注ぎ込まれて胎児となり、そして再び誕生するという考え方」


・・・死んだらまず月へ行くそうです。そして雨になって地上に何かが降ってきます。それが植物に吸収されて穀物になります。それを食べたら精子ができます。セックスしたら赤ちゃんができます。それが輪廻です。


え?
は?
ほ?

と、これを読んだらみんな、へんな気持ちになることでしょう。これって輪廻なの?ただの物理法則じゃないの?と。

 そうなんです。古代インド人ってすごくて、ほとんど物理的正解を「輪廻」と表現しているんです。月へ行くかどうかは知らんけど、肉体から元素が出て、その元素が回り回って、食べ物になり、精子と卵子が結合して赤ちゃんができるという、

「あたりまえ、あたりまえ、当たり前体操♪」

なことしか言ってないんです。ほんとうは。

 ディズニーの「ライオンキング」のテーマ曲、「ザ・サークルオブライフ」とまったく同じです。心配ないさ〜♪じゃないほう。


 ところが、それを宗教上、変なふうに解釈したり、こねくりまわしたりして「霊みたいなものがふわふわして、別の生き物に生まれ回るんじゃ〜」という風に変えてしまったんですね。

 そこに「因果応報」みたいな考え方を加えると「良い行いをすると良い存在に生まれ変われる、悪い行いをすると畜生道に落ちる」みたいになるわけです。酷い改変ですね。


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 さて、ユダヤ教からキリスト教が生まれ、イスラム教が生まれたように、あるいは仏教のもとである「バラモン教」から「魂の輪廻転生」へと変化したように、人間はめちゃんこ「改変」するのが好きな生き物だとわかります。

 これは人間の想像・創造性がなせる技で、つまりは「新しいことを思いつくことにかけては天才である」と言えると思います。

 けれど、それらは「新しく思いついた想像」ですから、これまでの話を総合すると「9割の真実に1割の思いつき(想像)」で物事は成り立っている、とも言い換えることができます。

 あるいは宗教だけでなく、文化・文明もそんな風に「こんなこといいな、できたらいいな」という空想が、科学や技術と結びついて発展しているものと捉えることもできます。

 今回のまとめで大切なことは、「1割の空想部分は、あくまでも空想なのだから、がんじがらめに囚われる必要はない」ということになります。

 9割の真理真実を見せられると、つい人は納得してしまいがちですが、そこに紛れこんでいるのは単なる空想です。新興宗教の教祖の妄想が紛れ込んでいる可能性だってあります。

 それを「人生のすべて」「宇宙のすべて」だと思い込むことほど、愚かなことはありません。

 それくらいの妄想ならば、あなたにだって出来るはずです。別に他人の言葉に惑わされる必要は、ちっともないのです。


(つづく)





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