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「脱宗教」の教科書 〜はじめに〜


 2022年という年は「宗教」というキーワードがとても注目された年になったと思います。実はそれ以前から「宗教2世」という人たちの存在がメディアに注目されるようになり、社会の中で見えづらかった「宗教」問題が、少しずつクローズアップされるようになってきていたのは、ご存知のとおりでしょう。

 そして、宗教に関係する動機で、一国の元総理大臣が銃殺される、という悲劇を経て、改めて「宗教」が再び注目され、そして今まさに「見直し」されようとしているのだと感じます。

 さらにそれと同時に、特にSNSなどでは「自分も信者であった」という経験や「自分も宗教2世だった」という声がたくさん溢れ始めて、なおいっそうこの問題が大きなうねりとなって、社会全体に広がろうとしています。

 今まさに日本社会においては、それまであまり顧みられなかった「宗教」の問題が一気に噴出しているといってよいでしょう。


 しかし、それは同時に、多くの人たちの心を乱すものでもあります。このことは宗教2世などのように「直接的に被害のようなものに遭遇した」という人たちだけでなく、「ある宗教が誤っていて、間違いなのだとしたら、真実はどこにあるのだろう」といった、もっと普遍的な疑問や迷いを生むことにもなるでしょう。

 あるいはまた、「宗教」に対して無関心であるがゆえに、インフルエンサーやマルチ商法といった、「新しい心のよりどころ」を求めてしまう場面も多く見られています。

 宗教があってもなくても、僕たち私たちは、どこかでそのようなものを求めてしまったり、どこかに「正解」や「真理真実」のようなものがあるのではないか?と考えてしまうのは自然なことです。


 そこで、これからの連載では、「脱宗教」の時代に向けて、みなさんの指針や判断材料となるようなお話をまとめてゆこうと思っています。

 これから書いてゆくことは「反宗教」ではありません。特定の宗教を「間違っている」と糾弾するものではないし、それを目的ともしていません。

 かといって「特定の情報を信じ込ませよう」とするものでもありません。Aという宗教を否定する代わりに、Bという依存対象を刷り込もう!なんて目的で書かれたものでもないことをお約束します。

 これから始まるのは、「脱宗教」の先に、僕たち私たちは「何を、どんなことを生きるための足がかりや基盤として考えたらいいのか」についてのお話です。

 もちろん、「宗教2世」だった人たちにも、きっと役に立つと思います。あるいは「無宗教」の人たちが、何かに心を搦め捕られないためにも、役立つかもしれません。はたまた、現在何かの宗教を信仰している人にも、どこかで役に立つ内容を心がけています。


 21世紀を生きる僕たち私たちは、「宗教」をどのように捉え、そしてそれにどう向き合えばいいのか。もし仮に「宗教」や「神」のない時代を生きなければならないのだとすれば、そこから先は何を頼りに生きてゆけばいいのか、そんな迷いがすっかりなくなるような、連載が始まります。


 余談ですが、この文章の書き手は、小学生くらいまでは「エホバの証人」という宗教を信じる家庭に育った「宗教2世」でした。

 それから大学を卒業して、高等学校の教諭として勤務します。

 その後、一般企業へ転職し、現在は取締役を務めています。

 同時に、(今後具体的なことは徐々にお話しますが)歴史にまつわる仕事を長く続けており、テレビなどでも取り上げられたりしています。

 宗教2世でもあり、教育にも携わり、歴史にも精通しているという立場から、ほんのすこしでもみなさんのお役に立てるような話ができれば、と思っています。


(1へつづく)

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