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【宗教2世支援者養成講座01】はじめに


 宗教2世、という存在が日本の社会において「発見」されたのは、ここ数年のことです。特に、2022年に起きた元総理の銃撃という重大事件の後、急速にその存在が認知されるようになり、メディアでもこぞって「宗教2世」を取り上げる時間が多くなりました。

 もちろん、それ以前からも、いくつかの書籍が発表されたり、あるいは漫画等に取り上げられており、「関心がある人には知られた」存在であったことは事実ですが、そうした出版物に触れることがなかった人にまで、「宗教2世」という存在が知られるようになったのは、大きな変化だったことでしょう。

 このことは同時に、「自分が宗教2世である」という自覚を、自分自身に対して持つようになった人も増えた、ということをも意味します。

 かつての記憶を呼び覚ますことになった人や、自分の生きづらさの原点がそこにあったのではないか?という再発見を得た人も含めて、多くの人たちが「宗教2世」という存在を問い直すことになったのが、2022年から2023年の社会情勢であった、ということになるかもしれません。


 ところが、宗教2世がそれまでの人生で影響を受けてしまった「宗教環境下による傷」のようなものについては、まだまだまったく十分なケアが出来ているとは言えないでしょう。

 まさに、今はまだ「問題が発見された」直後の時期に相当するため、その対処方や社会的な対策、制度設計や法整備などは、ぜんぜん追いついていないのが実情です。

 特に、宗教2世の受けた傷に対してのメンタル的なケアについては、「心理学・カウンセリング」の分野からのアプローチ等が想定されており、幾人かのカウンセラーなどが、この問題に取り組み始めていると思います。

 ただ、現実問題としては「宗教問題については、知見が少ない」という理由で、宗教2世に対してのケアに二の足を踏むカウンセラーも多いようで、心理学的にもこの問題はまだ「研究が始まったばかり」とも言えるかもしれません。

 心理学やカウンセリング理論というのは欧米が先進的なのですが、興味深いことに欧米人にとっての「宗教的」な視点というのは、どうしてもキリスト教がベースにあります。これは日本人には理解しづらいことですが、「宗教的アプローチ」をとろうとすればするほど、キリスト教的視点が強まったり、逆に、そのアンチテーゼとして「どんな宗教でも認める」方向へ傾きがちです。

 キリスト教を是認し、あるいはイスラム教などの多用な信教を是認することをベースにした心理学、というのが欧米の傾向だとすれば、「ある宗教を否定することを中心にする」ような宗教2世のケアとは、実は方向性が真逆だったりします。

 たとえば有名な「米国薬物乱用精神保健管理局」による

「SAMHSAのトラウマ概念とトラウマインフォームドアプローチのための手引き」
http://ncssp.osaka-kyoiku.ac.jp/mental/wp-content/themes/original/images/mental_care/1_1.pdf

では、次のような指針が掲載されています。

「6.文化、歴史、ジェンダーに関する問題:組織は、過去の文化的な固定観念や偏見(たとえば、人種、民族、性的指向、年齢、宗教、性的同一性、地理など)を積極的に扱い、ジェンダー対応サービスを紹介したり、伝統的文化的つながりの癒しの価値を活用します。サービスを利用する人の人種的・民族的・文化的ニーズに対応する方針、実施要綱、手順を取り入れています。また、歴史的なトラウマを認識し対応します。」


 この箇所でわかるのは、欧米のトラウマケア心理学では「対象者の宗教や文化をニーズとして捉え、対応してゆく」ということをイメージしているということです。

『伝統的文化的つながりの癒やし』とは、時に、欧米ではキリスト教的なコミュニティの活用になるかもしれませんし、逆に『文化的な偏見』へのアンチテーゼとしてジェンダー対応サービスが書かれているように、いかにもリベラル的な「フリー」の概念へ導かれる可能性を意味するでしょう。

「キリスト教的な(伝統的)癒やしに包まれよう。教会に行ってみるのもいいよね」

あるいは

「きみはどんな宗教を信じてもいいんだ。自由なんだよ」

というアプローチの仕方は、いかにも欧米リベラル的ですが、きっと現在の日本の宗教2世がかけてもらいたい言葉とは、大きくズレがあることと想像できます。


 そうした意味では、現在の日本における「宗教2世」問題は、心理学的にも社会学的にも未知数な、道しるべがない状況にあることがわかります。こんな言い方はとても変ですが、心理学を先進的に研究している欧米人は、「社会のみんながすでにキリスト教系宗教2世、3世、4世、5世」ですから、そもそも「宗教2世が社会的に少数な存在で、苦しんでいる」という日本の状況と、ぴったり合致するかはなんとも言えない部分があるかもしれません。


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 さて、そうした状況において、現在もっとも宗教2世問題に対して先行的な取り組みがあるとすれば、自助グループの活用だと思われます。これについては、当事者による「寄り集まり」がすでに早いグループでは20年程度の実績があり、一定の効果を上げているようです。

 昨今では、twitterのツイートやスペース(対話)機能やSNSを使って、当事者同士が思いを交換する機会が増えていますから、これも「自助グループ」の一形態であると言えるでしょう。


 ところが、こうした自助グループにも、いくつかの課題が見え隠れします。実際に宗教2世オフ会など、対面の場でトラブルが生じるなどのハードな問題点以外にも、自助・共助の構造的問題があるように感じるのです。

 自助グループは、もともとアルコール中毒の依存症などの問題支援と分かち合いなどから始まっていますが、すでに多くの課題が明らかになっていて、

■ 入会することのメリットを求める人が多く、運営側のスタッフにはなりたがらない
■ 活動や資金の負担が一部の人に大きくのしかかってしまう
■ メンバーが流動的で、グループの当面の目標を立てられない
■ 相談はどんどん出るが、答えは出ない
■ その場が、共依存の環境になってしまう(逆にまったく合わない場合も)

 こうした課題を考えると「自助グループは、ひとつの対応策であって、解決策ではない」ということも見えてくるでしょう。


※ 興味深い余談ですが、自助グループの始まりは、ビルとボブという二人のアメリカ人アルコール中毒者の対話から始まっており、「二人で話している間はお酒を飲まずに済む」という発見からスタートしています。

 この時ビルは、キリスト教的な霊的体験と自助グループのスタートを結びつけており、実際に教会の修道女に連絡して、ボブにたどり着いたといいます。
 日本における自助活動にも、キリスト教をバックグラウンドとしているものがあり、吾妻ひでおさんもそのことに言及しているようです。

 どうしても、こうした活動の源流には、キリスト教が関わってしまうのですね。

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 こうした全般的な実情を踏まえ、どのみちこの「宗教2世問題」がまっさらな、これからが全てが始まるような状況であるとするならば、ひとつの案として「宗教2世支援者」という活動ができるのではないか?というのがこの連載の主旨です。

 心理学の専門家にとっても未知数で、当事者にとっても未知数な「宗教2世」問題の未来がそこにあるのであれば、一からこの問題について、なにかしらの「解決策の模索」をしてみようという試みです。

 ですから、「宗教2世支援者」ということばも、実はまだどこにも存在しておらず、それに「何ができるのか」ということも確定的ではありません。

 けれど、大きなイメージとしては

■ 宗教2世の課題解決の伴走者。ただの当事者ではない、一定の客観性を持ったもの

■ 心理学の専門家(知見がある)ことは望ましいが、宗教的概念についての一定の理解を持つもの

■ 共感的理解と、客観的支援のバランス感覚を持つ存在


という3点が挙げられるかと思います。


 これから、この連載を通じて「自分も誰かの支援者になれるかもしれない」という思いを抱く人も多いかもしれません。

 身近な宗教2世の助けに、あなたがなってくださるのなら、こんなに嬉しいことはありません。



(つづく)




 


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