3_5_ヒトは何故学問をするのか

「教科書に書いていない勉強法」シリーズ-5
【ヒトは何故学問をするのか】
 毎年の様に耳にする「勉強って役に立つの?」と言う質問を馬鹿馬鹿しいと思い聞き流しつつも特に答えを出さずに生きてきましたが、最近になってようやく文章化ができるようになったので私なりの回答を書いていきます。ただし、回答は一つではないので項目毎に書いていきます。


1. 成り立ちから考える
 個人的には成り立ちから考えるのが王道だと考えています。理由は「目的があって、それに従って学問が作られてきたから」です。ここで気を付けて欲しいのは、学問(或いは分野)によって目的が違うので、それぞれで考えなければならないと言う事です。


1-1.科学の場合
 先ずは西洋の”科学”を考えてみましょう。以前も書きましたが、その成り立ちは哲学に遡ります。古代ギリシアから始まった哲学は西洋の科学の基本ルールになりました。この「哲学」の語源は「philosophy」であり、「知を愛する」と言う意味です。平たく言えば「好奇心」「探求心」と表現できると思います。今日この意味で使っている人はいないかも知れませんが、本来”科学”は好奇心を原動力として作られてきました。従って、科学に関しては「面白いから勉強する」「知りたいから学ぶ」が正しい態度と言えます。間違っても「役に立つ」なんてものは出てきません。「何の役に立つの?」と質問する意味もありません。役に立つ事を考えるなら効率よく算盤だけを弾いていれば良いからです。ある数学者は生徒から同様の質問があった時、コインを1枚渡して返事としました。
 更に言うなら、役に立つと思って勉強して思い通りに行かなかった人々が何をやったか歴史が証明しています。以前も書きましたが、科学が全てを解決すると妄想していた科学万能論者はバブル崩壊後カルトに走りました。全員がこれになるとは思いませんが、非常に危険です。
 仮に役に立てようと考えるのであっても、今役に立つ事だけを考えて分野を選ぶのはあまりに浅はかです。将来何が発見されるか全く分からないからです。とは言え、最近そこら辺を聞きかじった方々が、”セレンディピティ”(serendipity:思いがけない発見)を語るのはあまり良い気分ではありません。結局頭の片隅で役に立つ事を期待しているので、何時か何処かで選択と集中をする危険性があります。そんな下心で言われて誰が信じられますか。


1-2.陰陽理論の系譜に連なる学問の場合
 折角なので古代中国の文明から作られた理論体系についても考えてみましょう。西洋の「科学」の様に決まった単語がないので便宜的に「陰陽理論の系譜」としておきます。
 陰陽理論は陰と陽の変化とバランスの話から始まっています。その具体例として数の扱い方や天文学が語られ、治水や農業などへと進みます。これは自然の法則はヒトの生活に影響を与え、やがて社会の在り方にも繋がっていく事を示しています。ですから「易経」でも後半に入ってくると社会現象や政治への言及があります。つまり、陰陽理論は社会を治める事を目的としています。
 時代が下って漢文や歴史の教科書に出てくるような学者や思想家を思い出してみてください。それぞれの立場は違っても皆、社会の在り方やその中での振る舞い方を中心に語っています。歴史の書物もその観点で書かれています。天命に従って指導者(後の皇帝)が間違った皇帝を倒して正しい社会を作り上げる形式で、その家臣も社会を作る一員として描かれています。
 陰陽理論の系譜を学ぶ理由はより良い社会を作るためです。


2.弱者こそ学問をすべし
 西洋と古代中国の学問を考えてみましたが、疑問が出てくると思います。「強者しか学ぶ余裕はないのではないか?」という問題です。
 科学の場合、現代的な表現をするのであれば科学は”推し活”ではなかろうかと思います。推し活は只々楽しいから、面白いから、好きだからと言う理由だけで気力も体力も経済力も使います。推しが尊いからと言う理由で何の見返りも求めていないことも多いと聞きます。こんな事は余裕のある人々にしかできません。
 陰陽理論の系譜であれば社会を治める事を目的とするのですから、これこそ強者のためのものと考えがちでしょう。
 しかしここで弱者は学問をしても意味がないと早合点するのは良くありません。弱者こそ学問をすべき理由があります。これもまた複数の回答があるので一つずつ書いていきます。


2-1.手順書としての学問
 ここでは手っ取り早く説明するために科学に絞って説明します。
 科学は確かに好奇心から始まったものですが、見つけた知識を何も分からない・何の興味もない人々のために説明してきました。説明する理由は様々ですが、文明を維持・発展させるためと言うのが最も大きいのではないかと思います。
 ここで「文明の利器を使うために学問をする」と言う理由も十分な理由ではありますが、それだけだと家電製品の説明書を読んで終わる方々出るかも知れません。従って、もう一歩踏み込んで考えます。
 話を戻しまして、この科学の知識の説明のための努力が非常に重要でした。天才たちによって導かれた英知を理解力も意欲もない凡人に理解させるために実に手っ取り早い教育方法が作られました。義務教育です。国にもよりますが、義務教育を十分修めるだけで、家電製品の説明書以上の様々な分野の知識の基礎を手に入れることができます。これは更に足を延ばして専門知識を学ぶための必要な条件です。そして、この専門知識を身に就ければ、過去の天才の足元程度には社会で活躍することができるようになります。そして、更に勉強すれば世界の第一線で活躍することもできます。しかも、私がこれまでクドクド押し付けてきた哲学とか言う呪文など全く触ることなく、マニュアル的にシステマティックにその領域までたどり着けます。事実、コロナ禍に於いて哲学や科学の成り立ちを勘違いした世界の第一線の研究者(あえて名前を出さない)が何度もメディアが取り上げられました。
 ただ単純に栄光をを求めるのであれば、凡人こそ学問をすべきです。しかもその手順は全て示されています。


2-2.自由になるための学問
 ここでも手っ取り早く理解するには科学を使った方が良いです。
 善く「科学の理解が進むとできないことが分かってくる」と言われます。これを聞いて根性論を信条とする方々は何と窮屈なことだろうとお思いかも知れません。率直に申し上げますと、とんでもない間違いです。理解しようとしまいと自然の法則によってできないことには変わりはありません。新しくできるようになったことはたくさんありますが、根性のおかげではありません。単により良い知識・技術が見つかっただけです。
 考え方が全く違います。科学の理解が進むと何をすれば危険か、どんな状態なら安全かが分かってきます。分かれば危険を避けて安全に進めば良いだけです。目隠しして走り回る愚を犯すより遥かに着実で活動できる範囲が広がります。
 自由になりたければ学問を修めるべきです。


3.学ぶのが当然の世界
 最後に一部の特殊な家でのみ見られる理由を紹介しておきましょう。見出しにあるように「学ぶのが当然だから」です。
 「思考停止」と反射的に批判したくなる方もいらっしゃるかも知れません。しかし、ヒトが学ぶのは本能です。ヒトの脳は周りから情報を得て、法則性を見つけるようにできていますし、そのために肥大化しました。
 ヒトをしてゴリラ(或いは他の野生生物)と評する方々がいらっしゃいますが、ネタで言っているのでなければ本当にどうしようもありません。ヒトは顎の筋肉が弱くなったから頭蓋骨を薄くし、脳を大きくすることができました。ヒトは食っちゃ寝る生活をすると筋肉を壊して糖分を得ますが、飢えた状態が普通の野生生物がそんなことをしたら直ぐに走れなくなって死にます。ヒトと野生生物は決定的に違い、同じことはできません。どうしようもなく貧弱な肉体を酷使するのではなく脳を使うしかありません。従って脳を使う事即ち学ぶ事はヒトにとって当然の事です。
 少なくとも死にたくなかったら学ぶのは当然です。私の一族はそれを匂わすような発言をする事が何度もありました。役に立とうが立つまいが学ぶべきを学び、更に知りたい事を学べと言われ続けました。だから、冒頭の「馬鹿馬鹿しい」と言う感覚に至るのです。


4.最後に
 様々な理由を書いてきましたが、普通の方々に勧めるのはやはり王道です。基本ルールに従って、学べる事は素晴らしい事だと言う境地に至るのが本人のためでもあり、社会のためでもあると思います。
 劣っていると自覚している方々に勧めるのは手順書として学んでください。精神的に余裕のない学び方とは思いますが、”衣食足りて礼節を知る”です。先ずは満たされるために学んでください。自分が満たされるまでは他人や社会について思考を巡らさずに黙々と学んでください。迂闊に周りを見過ぎると嫉妬と羨望でろくな方向に進みません。
 閉塞感がある方は自由になるために学んでください。少しでも思考や行動範囲を広げて精神的に楽になることをお勧めします。落ち着かなければどんな能力があっても侮られ、奪われるだけです。困ることがなくなるように学んでください。
 学ぶのが当然の世界は真似しない方が良いです。できるのは恵まれた家庭だけです。迂闊にやるとひねくれて社会生活に悪影響を及ぼす危険性があります。
 探せば他にも思いつくものはあるかも知れませんが、おおよそこんなものでしょう。自分に合った理由を見つければ良いのではないかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?