3_2_自然科学の学び方

「教科書に書いていない勉強法」シリーズ-2
【自然科学の学び方】
 「自然科学の学び方」と聞いて大学受験を思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、本稿は子供の頃勉強が嫌いだった大人を対象としているので、もう大学受験は関係ありませんよね。(中年になってから挑戦しても良いですが、ここでは取り扱いません。)ここではテストのための心構えではなく自然科学に対する向き合い方の第一歩を書いていきます。
 と、その前に最近起こった社会現象を大雑把に書き出していきます。


1.戦後日本の科学を取り巻く環境
 先の大戦が終わり、日本は朝鮮特需もあって高度経済成長期に入りました。後に起こったオイルショックですらも技術革新に繋げ、更に日本製の技術が世界に進出していきました。今から思い返せば当時の万能感はかなりのもので、バブル崩壊直前には困り事は何でも科学で解決できると勘違いした後に”科学万能論”とまで呼ばれるものまで発生しました。しかし、ご存じのようにバブル崩壊からの不況が起こり、これまで見ないふりをしてきた困り事を直視せざるを得ない状況になっていきました。そんな中で科学万能論が脆くも崩れ、それに塗れた者たちは絶望感に苛まれるようになりました。後にカルト宗教が勢いを持つようになった原因の一つはそれらが科学万能論から転向した者たちの受け皿になったからだと言われるようになりました。
 早い話、多くの日本人にとって科学とは宗教と変わらなかったということです。1990年代、カルト宗教が様々な事件を起こす中、そこを指摘する人は少しはいましたが、まだ私を含め言葉も拙く上手く理解してもらうことができませんでした。はっきりとは分かりませんが、水を使ったインチキ商売もこの頃から始まったと記憶しております。蛇足ですが、これらの社会情勢を見て私は身の回りの人たちに化学の啓蒙・啓発を行うようになりました。”似非科学”と言う言葉が登場するほんの少し前の時代の話です。
 2020年前後になって「宗教は信じ、科学は疑う」と比較的大きく言われるようになってきました。当然、いきなりこの言葉が出てきたわけではなく、数十年の間に何も知らない人々に”科学的検証”を上手く説明する言葉を練ってきた多くの人々がいました。そういった下地ができた上にSNSなどを使った発信が行われ、宣伝文句のようなイカした言葉が出回るようになりました。
 が、私はこれで良いとは思っていません。間違った疑い方をしたり、科学の組み立て方を知らなかったりする人々は相変わらず多く見受けられるからです。比較的まともと思われている学者ですら心配にさせる発言をしているように見えます。私はこの原因は日本での自然科学の学び方から色々抜けているからだと見ています。


2.自然科学を学ぶと同時にすべきこと
 先ず断っておきますが、私は化学と物理学の末端にいる変人(彼方此方で言われております)らしいので自然科学について書いていきます。人文科学・社会科学に関してはど素人なので触れるだけということにしておいてください。
 欧州では自然科学と同時に哲学を学ぶとか、理系・文系と言った分け方もしていないと言うのは聞いたことがあるでしょうか。私は多方向から聞きましたが、実際のところはよく分かりません。実際そうだったとしてもどの階層がそうなのかとか、程度とかになると確認のしようがないからです。ただ、でたらめなくらい多方面に通じていたダ・ビンチ、数学者であり哲学者であったパスカル、オカルティズムにもキリスト教研究にも手を出していた数学・物理学者ニュートンetc、多方面の学問を修めていた学者がフツーにいたくらいなので伝統的にそうだったのだろうと思います。ここで頂点だけがそうだろうと考えるのは早とちりです。それだけの文化的背景がなければ頂点は作れません。
 恐らく、明治期の日本も一部はこれを真似していたのだろうと思える節があります。例として狩野亨吉(数学→哲学)、米山保三郎(哲学→数学)、寺田寅彦(物理学、歌人)などを挙げておきます。(全員夏目漱石と正岡子規の周辺じゃないかと言うツッコミはなしの方向で)
 ここで何故哲学や社会学が出てくるかを大学での哲学の授業(一般教養)の内容を元に書いていきます。
 哲学と聞いて人生論を思い浮かべる方は一度その連想を止めてください。本来の哲学は古代ギリシャから始まったものを指し、古代中国の道(タオ)などの欧州以外の思想は入れないことになっています。中身としては「世界をどう見るか」と表現されますが、一種の表現法のルール付け、もっと言えば言葉の定義づけです。世界あらゆる物質と現象をどう区切りどう言い表すかは世界観を決定し、それによって社会が形作られます。言葉は世界を作るとはそういうことです。そういう意味では古代中国の道もお釈迦様の教えも哲学の内と言えるはずなのですが、今回はそこまでは踏み込みません。
 古代ギリシャ人は文明圏を広げ様々な物事を記録していきました。即ち博物学の始まりです。彼らはそれらを定義づけ名づけていき、それが世界の見方を決定していきました。この世界の見方こそが哲学であり、後の自然科学に於けるルールに大きな影響を与えました。
 さて、考えてみてください、ルールも知らずにゲームを遊ぶ人はいるでしょうか。更に言うなら規則も知らずに会社を作ろうとする人がいるでしょうか。いるかも知れませんが、片手間レベルでしょう。本格的にやるならルールを知る必要があるのは誰でも分かるでしょう。ならば、自然科学のルールである哲学を知るのは程度の差こそあれ必須ではないでしょうか。自然科学のルールを知らずに学ぶからただの暗記力勝負になるのではないでしょうか。それは宗教と何が違うのでしょうか。


3.化学の場合
 ここからは一つの例として私の商売道具(笑)であるところの化学に関わる哲学を紹介します。
 先程の古代ギリシャより更に昔の話、エジプト錬金術と言うものがありました。エジプト錬金術にはルールがありました。即ち、それがなんであるかを知り(分析)、それらをなるべく純粋な物とし(精製or単離)、掛け合わせ(合成or混合)、新しい価値を作る(創造)と言うものでした。これは現代でも誰もがやっている或いは知っている事ですよね。例えば金属の鉱石を用意し、純粋な金属を取り出し、混ぜ合わせてより良い合金を作ることは古代から現代に至るまで非常に重要なことです。
 時代は進み、場を古代ギリシャに移ます。ここで先程の分析・精製・合成・創造の過程の内、分析が深堀りされることになりました。世界の見方が分析に関わってくるからです。
 さて、ファンタジーゲームでお馴染みの四大元素と言う言葉を聞いたことがあると思います。世界或いは宇宙は土・水・空気・火の4つの元素よりできていると言う考えです。これらは現代では固体・液体・気体・エネルギーと言う分類に置き換わっていますが、ここで見るべきは身の回りの物質を形や性質で分けていったと言う点です。古代の博物学ではそうやって物事をどんどん区分けしていきました。現代でも同じように形(形態)・性質(機能)・場所(地理や部位など)・由来(原料や遺伝など)などで分類しています。蛇足ですが、この分類は化学以外の分野でも使われているので分かった上で出てくるものの名前を並べていくと覚え易いです。化学の場合はその最たるものが周期律表です。
 話を戻しましょう。ここで四大元素の内、気体とエネルギーは19世紀までお休みです。残りの固体と液体は更に分類が進みます。欧州の錬金術の登場です。ここで鉱石を含む金属や石の分類とそれらを解かす液体の研究が進みました。後に元素記号の元となるような記号も使われ、世界に更に多くの元素があり、それらを上手く使う知識・技術が生まれました。当然、その過程で錬”金”術ではなくなっていくのですが、本稿では省略します。
 時代は進み19世紀に入るかどうかの時期に気体とエネルギーの関係が研究され始めました。気球と蒸気機関の登場です。細かい話ですが、これらは物理学からの発展なのでここから解明された気体の状態方程式やアボガドロ定数などは化学からのルートではありません。従って、本来であれば物理学でmolの登場を勉強すべきなのですが、化学でも重要であるため学ぶ順番がおかしなことになっています。どの分野でも境界領域の取り扱いは難しいですね。
 ここで様々な物質とそれらを構成するほとんどの元素が出そろいました。そこで、元素を分子量と反応の性質で分類することで周期律表ができあがり、現代の化学の教科書に載るような知識が集積されていきました。
 他にもフロギストン(燃素)や宇宙を満たすエーテルなどの失敗談も化学のルールを知るために学んでおくべきだとは思いますが、情報の洪水になるのでこの辺にしておきます。
 一言断っておきますが、”科学史”とはしませんでした。下手に「歴史」と書くと事件名と年代を覚えるだけで学問の組み立ての手順や紆余曲折を全く考慮しない暗記合戦が始まる危険性があるからです。ここで知るべきは物語とそこから作られるルールです。
 このルールを知らないから科学をただの知識量勝負の道具にしたり、正しい疑い方が分からなかったり、理論の組み立て方を知らなかったりするのだろうと見ています。現代は専門分野が細分化し過ぎてルールブックを読み込む暇もないと思うかもしれませんが、想定外のことが起こった時こそが科学の本領発揮なのでそこで間違わないためにも触りだけでも良いので自分が専門としている学問の成り立ちくらいは知っておくことをお勧めします。


4.私の場合
 では最後に私がどうやって哲学を知ることになったかを書いていきます。結論から申し上げますとかなり特殊です。
 私が小学校に入った頃、医師だった父は私に様々な科学全般に関する書物を用意してくれました。程度は幼稚園児向けの絵本から大人向けのソフトカバーまで、範囲は天文学、生物、機械、物理学、化学、文化、歴史、地理、古文etc、量は一般的な市販の本棚4個分以上。それら以外に刊行され始めたばかりの雑誌「Newton」に加え「Science」、記憶が正しければ「Nature」も転がっていたと思います。当然それらの書物を全て読んだわけではありません。むしろ小学校低学年で「Newton」(小学校高学年以上が対象)はおかしい。当然それらの中には科学の様々な分野の成り立ちを書いたものもありました。なぜそう考えるようになったかも成功も失敗も書かれていました。
 それらを用意した上で元研究者でもあった父はこう言いました。「基本となる原理を押さえろ。そうすれば色々なことが分かるようになる。」小学二年生に言うことではないですよね。しかし、私は真に受けてそうやっていきました。と言うのも父は生活の中でそれをやって見せていたのでできないことではないと考えていました。今できなくても成長すればできるようになるし、できるように成長すべきであると父の真似をしていました。従って、当時は言葉としては表現できませんでしたが、学問の原理たる哲学を知るのは当たり前と思い込んでおりました。
 とは言え、それでも理解するには余りに幼く、学校で教えられる範囲ではないので中々上手くいきませんでした。化学はなんとなく分かりましたが、数学はただ数字を動かすだけで哲学を見出すことはできませんでした。
 転機は大学に入ってから訪れました。微分積分の授業で球体の体積を積分の公式を使って導く内容でした。講師の先生は4通りの計算をやって見せました。1つ目は半円をその直線を軸に回転させた計算、2つ目は底面が小さいピラミッドを頂点を中心に全方位に敷き詰めた計算、3つ目は半径の異なる円を大きさの順に小→大→小と重ねた計算、4つ目は残念ながら忘れました。これらは大学受験では単なる公式としてしか見てませんでしたが、順序良く説明してくれたおかげでこれは球体を数字で表現する方法であると理解できました。つまり、数学は数字を用いた世界の表現法即ち「数学は哲学」なのだとやっと理解できました。
 と書いていて思い出したのですが、大昔(1980年代前半)に父がパソコンに計算を打ち込んで円を描くところを見せてくれていました。あれが数字を使って世界を表現するところを見せてくれていたのだと今更ながらに理解できました。しかし、小学校低学年に教えることではないですね。
 他にも人文科学・社会科学の領域も多少は学んできましたが、話が煩雑になるのでこの辺にしておきます。 


 さて、世界の捉え方もとい自然科学の学び方を見直すきっかけになったでしょうか。全ての人々がこれを使いこなせるとは思いませんが、よりよく学びたい方はほんの少し回り道をしてみてはどうでしょうか。1つの分野でできれば他の分野でも応用が利くので試してみることをお勧めします。


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