18才くらい考え出す話

えろいことって考えますか?考えたとしてそれを人に話せますか?友人との会話で話すことへ躊躇したことはありませんか?

男性の性を顕にすることを健全としたり、逆に興味ないとすると不健全としたり、女性が性を語るときにはオブラートに包んだり、ファッショナブルを追加させることによってポジティブに主張したり。

男女だけの枠でこうすべきあーすべきと言われる現状に疑問符を浮かべることが多々あります。

男女ではなく十人十色、個人差で多種多様な性がある。その中で誰かを傷つけないで、傷つけることを助長されることもないようなしていくこと(心も体も)は性の問題には切り離すことはできない。内部へ(心または体)の不可侵を脅かす事になるものだからこそ、互いの合意が欠かせない。

守りながらもそれでいて自分自身の性を満たし謳歌できるにはどうしたら良いのか?私はそれで幾度となく悩んでいる。

私は高校生までマスターベーションをした事がなかった。マスターベーションに類似するような行為はあったが仕方が分からず処理できたことはなかった。

ある漫画の一文で女性のマスターベーションとは、波乗りだと知った。それをイメージして突起を刺激して処理できたのが高校生の時だった。

その後も処理という言葉に則する購入した漫画や冊子を見てするということはあったが自己啓発的な仕方の変更とかは一切なかった。

21才ごろ初めて本当に好きになれた彼女ができ彼女と付き合ううちに性というのが奥深いことなんだと知った。

彼女も誰かと混じって知識を深めてきたのかそれとも長けていたのかは分からないが彼女との交際がきっかけで私は性とは楽しいものだと、そう思えるようになった。

それでも気恥ずかしさから口でしてもらうというのは抵抗があり未だ未経験である。自分がすることは好きだったけれど、自分が淫れる様子を想像するとなんだか受け入れがたい。

自分の中では自分が可愛い女の子ではないからとよくわからないレッテル貼り、カテゴライズをしていたのかもしれない。自分でない世間の目を作り愛玩対象ではないでしょうと勝手に自罰的だったのかもしれない。

今になれば可愛い女の子である必要もなく、誰しも自分を満たすことはしていいと気づく。あのとき素直に彼女と話し合って素直にしていればとも考える。

もう遅いかもしれないが、彼女とは同じ関係になれなくても今の自分で人を傷つけずに性を楽しめるかを再考してみてもいいかなと思う。

ここまで語ってみたけれど、誰かの恥ずかしさを消す話の種になれば幸いである。

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