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素晴らしき哉、ストリップ人生

私はお腹が空いてもチェーン店の店の、それも一度誰かと行ったことのある店しか入れない。でもストリップには通う、1人で。行ったことない町にも足を踏み入れるし、寄り道もしないで目的地は特定のお姐さん。
そのお姐さんがいる劇場へ足を今日も運ぶ。


そもそもの始まりは女体がみたいな、だった。
私は当時、同棲していた彼女と別れ、その後男性と結婚して子供を産んでいた。育児や家事、仕事。毎日せっせと過ごしていた。
精神的な病気を持ちながらこの生活をするのは中々ハードだ。
お母さんになった途端、周囲はお母さんの枠におさめて次々とノルマをかすし、過去も彼らが想像する定跡のこんな感じで通ってきたんでしょ?と当たり前のように聞いてくる。
周りから聞かれることは決まったテンプレートばかりだ。
その人たちから求められるのは、普通に仕事して、普通に異性と出会って、普通に結婚して、普通に子供をなして、友人がいて、親がいて、支えてもらって、趣味もあってちょっとの息抜きをしてというあまりにもそんな枠ありきの質問で偏っていた。
その普通の中の″どこで“だったりを聞きたがるばかりで、まずその道以外は聞くつもりもないらしい。
そこからは全部溢れるから、私は答えられない。
なくても、ここにいたいならそんな顔をしとけと無言の同調圧力で、私も仕方なくそれに倣うようにし始める。
こちらを選んだのは自分自身だからと、必死でその枠というやつに嵌れるように毎日背伸びを続けてしまった。ないものをこねくり回して稼働率150%で始終オーバーワーク。

そんな毎日にふと欲したのが女体だった。
どんなに世間の求める”普通“を頑張ってみても、なんだか無理矢理違う自分を作って息ができない。
世間のいいお母さん像の枠におさまろうとしても私はそもそも違う。
偽るように無理を続けていると大事な彼女との思い出まで消えていくみたい。
まるでそれをなかったことのように、悪いことのようにしまっておくのが、自分自身世間の目ってやつに負けて屈しているようで許せなかった。
彼女との事は自分を形成した全てと言ってもいいくらい濃いものだったし、嫌いではなく互いに先が見えない怖さゆえの別れで。
そこから変化はして、この生活をしているものの自分の中ではまだ消化不良であったし、偽って世間の常識みたいなやつに加担している自分もなんだか虚しい、悔しい。
それは決して悪いことではなくただそういう道で私はきたってだけなのに。
元々の自分の生き方やセクシュアリティを否定しているようで嫌だった。
そんな中湧いたこの感情だけれど、その感情にさえも葛藤があった。
女体が見たいと思うのは、今ここにいる人間が思ってはいけないことなのではと思ったから。
結局自分も固定概念に取り憑かれている側なのかとも悩んだ。
宙ぶらりんの自問自答の答えの出ないまま、それでもこの欲求はどんどん肥大するし、気持ちは鬱々としていく。
毎日望まれるまま、世間の”普通“に当てはまるように、そこから漏れないように、必至にしがみつかなくては篩い落とされるような恐怖をどうにかしたかった。
それを続けていると、これが最初からのあなたよと型にはめられて日々を過ごすのが辛かった。
だからどうしても女体を見たかった。
私は見れる方法を探し始めた。

そこで見つけたのが
そうストリップだった。

Twitterで女性でも見れるらしいということを知り、すぐにでも駆け込みたい。
そんなはやる気持ちを抑え入念にチェックをした。
金額、場所、時間帯、一番不安だったのが怖いことが起きないか。
メイド喫茶に行ったことがあるくらいで風俗には行ったことがない。
風俗というと漫画の世界しか知らない耳年増だったから、なんとく怖いものと思っていた。
調べてみると正に劇場と行った感じで、料金は明確、時間も決まっていて、ぼったくりだとか連れていかれるだとかそんな事はないみたい。
寧ろファンがいて、熱心に足繁く通っている感じが伝わってくる。
手始めにと紹介されていたのが”浅草ロック座“で、私はまずそこへ行くことにした。
仕事の休みがちょうど明日だ。これを逃すまいと意を決して浅草へ向かう。

向かった先は想像と違い明るかった。
お花もポスターもある。階段もぴかぴかしている。小劇場の出立ちだ。階段を上がり受付の窓口が小さくある。
顔を一瞥され女性料金の3500円(当時の値段、現在は4000円)と言われた。お金を渡しスムーズにチケットを買う。
中に入ると室内はミュージックホールを思わせる豪奢な感じで性の匂いは薄い。
フロアの写真も展示会の雰囲気だ。いやらしさはあまり感じられなくお芝居でも見にきたような気持ちになる。
その時点で不安な気持ちはほとんど消え、高揚感が増した。
席についてほどすると公演が始まった。

想像を超える美しさが目の中に次々と飛び込んできて胸がいっぱいになる。ブロードウェイミュージカルをモチーフとしているようで、知っているナンバーが流れる。
見事な群舞、コミカルでチャーミングな動き、きりっとかっこよさの引き立つダンス、美しくしなやかなポーズ。
演出の素晴らしさだとか、モチーフを知っているからこそ楽しめる感覚だとか、造形を引き立てるためのポージングであるだとか、布の質感や照らされた肌の色味だとか。
情報が四方から入ってきて終始自分の胸がうるさい。
そして求めていた裸はそこにあった。
胸の柔らかそうな感じ、肋のなだらかなカーブであったり、胸と胸の間の胸骨の平坦さ、横隔膜あたりの凹み、鎖骨と首筋の繋がりだったり、肩の丸みだったり、白魚のような5指であったり、おへその照りや、腰骨のくぼみ、お尻の稜線、脛の直線、足の指先の力強さ全部全部が愛おしかった。
見ながら私は彼女の裸を思い出した。全部全部やっぱり好きだった。
彼女のおっぱいに顔を埋めて呼吸が止まりそうになるほど深く深く埋めて、もうやめなーと彼女に引き剥がされて笑うまでの瞬間も思い出した。
馬鹿なこともして、大事な時一緒にいて乗り越えたあの時はなくなってない。
あの自分もいて今の自分もいると思えた。
枠にはまるのではなく、自分が選んだ以上自分らしくでいいから地道に前を向かないといけないとも。
過去を懐かしむのではなくアライ(セクシャルマイノリティを応援する人のこと)の立場で何ができるか、自分が選んだ事に責任を持つことだ。
その公演一回で気持ちが満たされて私はその後半年ほどストリップには行かなかった。

2回目はその効能が切れた頃、というよりは私はストリップというものの面白さをもう一度見たかった。
あの時は1人の観劇で誰とも分かち合えなかったけど誰かと見た後話をして、どうしてもこの感動をリアルタイムで話し合いたい。
Twitterで探していると1人のストリップファンの方と見に行けることになる。
常連の彼女が今日は長めのハンカチかタオルを持ってきてと言った。
着いてみると今日は参加型の演目でタオルをブンブン回すシーンが。おお!フジロックみたい。一体感もなんだか病みつきになる。
公演後あれやこれや話をして感動を伝えることの楽しさを味わう。
うん、やっぱりこんな素敵なものを分かち合えるっていい。
カフェではあそこがよかった、ここもよかった。あれ気づいた?あの意味はこうじゃない?私はそこがフェチなのー!!最高!!と話は尽きない。同じものが好きだと対話が不得意な自分も言葉数が増えた。

ストリップというものが少し何かわかってきたら違う場所にも行きたくなる。
関東には何箇所か劇場があって埼玉県にも劇場があると知ったので、今度はそこに行ってみようと考えた。
そこで出会ったのが私の最大の推しである黒井ひとみさんである。
向かったのは栗橋にある劇場。
浅草とは違い、一見さんにはややハードルの高い外観。アダルトショップのような雰囲気で怖気付きそうになる。
入ってみるとこじんまりはしているもののライブハウスといった感じで良い。
緊張しながら椅子に座った。
黒井ひとみさんは女性に人気の踊り子さんだと言うことはTwitterでなんとなく知っていた。
演目は演歌で着物と滑らかな動きがとても心地よい。くりっとした瞳と可愛い笑顔が愛らしい。演目を伝えるその流し目の技巧が素晴らしい。肋の薄い体躯が、自分にはないその華奢さがすごく羨ましい。
演目が終わるとデジカメ(ポラロイド)ショーが始まった。
なにが始まったのかわからずドキドキしながら見ていた。
みんな楽しそうに二言三言交わしながら、アイドルの握手会さながらの交流会が始まる。
500円を払い、写真を撮っていく。感想を伝えてお姐さんの前で皆ニコニコだ。
いいなぁと思いつつ、尻込みしていけない。そうこうしている内にオープンショーと呼ばれるものが始まった。
刺激的なそれにも個性があって楽しい。こんな魅せ方すごい!柔軟性や劇場の一体感、オープンをしながらも自分の一番のチャームポイントを引き立てるような動作。たくさん飛び込んでくるものに満たされながら、恥ずかしさと嬉しさで早鐘だ。
浅草とはまた違う趣で、なんだかとても楽しい。
オープンショーが終わると暗転して、また新しいお姐さんが出てきて演目が始まっていく。
そうこうしているとあっという間にフィナーレ。全員のお姐さんが出てきて1回目の終了のご挨拶。
ストリップは、一日に5人ほどのお姐さんが、1人持ち時間が30分弱で演目とデジカメショーとオープンショーを行う。全員が終わると一回目が終了。それを4巡やっているようだ。
フィナーレが終わり飲み物販売のコーナーですの声。
飲み物販売なんてあるんだ!と驚いていると2人のお姐さんが出てきた。
黒井ひとみさんと高崎美佳さんというお姐さんだということが先程の演目前のナレーションの名前紹介でわかった。
黒井ひとみさんはこちらを見て、女の子がきてくれてると手を振って声をかけてくれた。すごく嬉しい。
女性のお客さんを歓迎してくれるお姐さん。素敵な演目に優しい仕草。もう格別に嬉しい。嬉しいから飲み物を買ってみることにした。2人にありがとうと言われながら買った飲み物は缶コーヒーだけど格別に美味しく感じられた。
女性に声をかけられると嬉しい。
このドキドキはなんだろう。求めてたことはこれだったと自覚した。
女性は、同性だけどやっぱり自分とは違くて、なんだかすごく尊いものに思える。
女性に対して、私は恐怖と憧憬の感情を持っているから。
その理由を考えてみると、女性にいじめられた過去が起因していると思う。
そんなトラウマがあるのにやっぱりどうしても女性という存在が愛しい。
自分が考える、女性としてのらしさが、自身は足りないから、羨ましいという気持ち、憧れ、そして恋慕の気持ち。
遠い存在でありながらやっぱり近づきたくて惹かれて仕方ない。
そうは言っても私自身、自認と体も女性なんだけれど。でもやっぱりドキドキしてしまうのは女性で女性は特別で素敵な人間という感覚。
そんな私にとって女性と会話をするということがとても難しい。
私みたいなやつと話させて申し訳ないという気持ちが湧いてしまう。時間を割かせて悪いなと。
でもお金を払うことで発生する時間なら少しだけ呼吸がしやすい。いつもガチガチになってしまうけどこれなら対人関係をならす訓練にもよいかも。
この飲み物販売の交流はあまりにも自分に合っていて、それにしてはあまりにも安くてなんだか有頂天だった。
写真も撮ってみたいなと思ったけれど撮り方の作法もわからないから、とりあえず受付で買えるお姐さんの写真集を買い、その日は満たされ帰って行った。
家についても1日声をかけてくれた、黒井ひとみさんの存在の嬉しさでその日は一日心踊っていた。家事も育児もパートも今日の自分ならへっちゃらに感じる。すごいパワー。

ストリップは10日ずつの興行で、お姐さんが代わるらしい。それを知って黒井ひとみさんにもう一回どうしても会いたいとその週にもう一度劇場へ。
今日の演目はマッチ売りの少女。参加型でみんなすごく楽しそう。
キュートさとコミカルを強調し始まって、まずあっと驚くのに、1人舞台劇のようなリアルさに酔いしれるし、ポーズの大胆さはかっこいいし、手の使い方は美しい。笑った顔がすごく可愛い、肋の薄さは私にないものでやっぱり大好き。
演目が終わってデジカメショー。
今日は500円も準備したし、この間撮り方を見てたから作法もなんとなくわかる。勇気を出して写真を撮りにいく。
お金を渡して素敵でしたと一言。近くによるとますます可愛い。可愛いですね、と震える声で二言。おまかせでと伝えてパシャリ。
写真にはサインを書いて返してもらえると知ったので、お願いする。
写真の受付表に書いて欲しい自分の名前を書き書き。
ありがとうございましたとぺこっとして帰ろうとすると、さっと握手をしてニコッと笑ってくれた。
(きゃーっっっ、可愛い!!!!)
黒井ひとみさんは、いい匂いがして優しくて可愛くてもうメロメロになった。
撮った写真にはこの間来てくれた子だよね?また来てくれてありがとうと温かい言葉が埋まっていてすぐ宝物になった。
私はこうしてストリップの虜に。黒井ひとみさんの虜に。
心の隙間を埋めてくれるこの温かさが私は欲しかったんだなとじわーんと感じた。

そこから黒井ひとみさんが出る劇場に色々足を運ぶようになる。
たくさんの演目に触れ黒井ひとみさんのすごさをどんどん知っていく。
芝居劇を見ているような構成、語り部の鮮烈さ、顔がくるんと可愛いところ、流し目の色っぽさ、手に表情があるような仕草、劇場全体を包む暖かさ。
面白い演目も、可愛い演目も、考えさせられる演目も、強い女性の演目も、くるくる表情を変えて、誰にでもなれる所がかっこいい。
誰にでもなれて、誰にでもなっても一貫して屈しない強さや大きな愛情で背中押してくれるところ。
盆と椅子で離れているのにそのキャラクターが正にいて今起きているような錯覚が起こるほど臨場感がある。
場面が切り替わったような、映画のような組み立てだったりとすごいのだ。
たくみさだけじゃなくメッセージ性に飛んでいて、いつだってなんだか私大丈夫だと思わせてくれる。
きちんと見ているよということを物語を通してメッセージを送ってくれる。
見るたびに綺麗さは増すし、可愛くて可愛くて仕方がない。
彼女の魅せ方が本当に好き。
彼女はいつだってお客さん一人一人を見てくれて、その他大勢にしない。
それってすごいことだ。
楽しんでいるその今の、本当の自分を覚えてもらえるそんなすごいことが劇場の中だけではある。
だからといって、あくまでお客と演者でそこにはそれ以外の繋がりはない。
お姐さんたちは劇場の中で存在しているだけだから。
私も私で一歩外を出れば、毎日お母さんをしたり仕事をしたりせっせと日常ってやつに追われている。
でも劇場の中ではあの頃のまんまの私でいていいし、そんな私の存在を覚えてくれる人がいる。
そんな幸せなことがあるのだ。
それは黒井ひとみさんに出会えなければ叶えられなかったことだから。
私はこの奇跡みたいな劇場の中の一時を愛しているし、黒井ひとみさんが舞台に立っている間はずっと応援していたいし、私はストリップファンでいたい。

ストリップは私にとって救いだ。
人との関わり方が下手な私には人間関係は難しい。だからといって人と関われないのはさみしい、辛い。
それを埋めてくれるのがストリップ。それが劇場の中だけだとしても、さみしくない時間があることが、足りない人間にとってどれだけ有難いことだろう。
人付き合いの下手さはずっと前からで、付き合っていた女の子に対してもそうだった。
好きな気持ちを表すために物を買ってあげて愛情表現をするしかできず、どうしたらよいかわからず、その子が求めてもいないのにお金を使ってプレゼントで愛を伝えていた。
その関わり方をしては呆れられていた。
そんな私でもストリップは許してくれる。
寧ろ応援するにはきちんと劇場にお金を払って、写真を撮れる時は撮ることが正しい応援なのだから。
その正しい応援の際に一言、可愛いと伝えても許される。最高でしかない。
ストリップに通うようになってさみしい時間が減った。
それはストリップファンとの交流の時間もあるから。
彼女を応援している人、ストリップを愛している人の心根が優しく居心地が良い。
ここにいてもいいんだって思える雰囲気で。唯一見つけた楽園だーなんて思ってしまうほど暖かい空気で嬉しくなる。
ここでは自分の生き方を揶揄されない。
誰も詮索しない。ただステージを集中してみるそんな仲間。
ステージの良さで、今自分どんな風に体を動かさなきゃ口を動かさなきゃ、こんなことして嫌われないかなと関わり方を気にする前にステージの素晴らしさで口が動いて少しだけ感想を言い合うそんな関係。
深い関係じゃないけれど誰かに伝えられるだけでそれが幸せだ。

フリフリな衣装を見るのも好きで、華美な装飾にもうっとりと憧れてる。
そんな時でも、いじめを受けたときのことがフラッシュバックする時もある。
「声は可愛いから声だけだったら寄ってくるからテレクラでもしたら?」と言われたことを思い出す時が。
そのことがあってか、自分の容姿に自信がないし、似合わないとわかっているから憧れるなんて言えない。
でもここではその衣装にときめきながら見ても誰に何も言われない。茶化されない。
お姐さんたちを見ているとお姐さんたちの容姿は十人十色で細身だったり、ふくよかだったり、丸顔だったり細面だったりと多種多様だ。
その一人一人が美しい。
そんなお姐さんたちを見ていると、この傷つけられて卑屈になってる心も癒える。
容姿や体型に関してポジティブなメッセージを与えてもらえているから。
お姐さんたちの磨き上げられた裸を自分と比べると失礼かもしれないが、千差万別の裸を見ると、自分も魅せ方を知らないだけじゃないかと思えてくる。
どんな体もどんな顔もすごく綺麗だから。
生まれ持った造形のどこを生かすか、どこを引き立てるかが重要で、コンプレックスも輝かすことができるし、ありのままの自分というのも中々に綺麗って思っていいんじゃないかって。
等身大の自分も愛してあげてもいいんじゃないかって。
ストリップと出会って、黒井ひとみさんと出会って私は変わった。
まるで再教育してもらったような感じ。
トラウマで、ぐるぐる心だけは歳をとらず、幼いまま精神年齢が止まっていた私を育ててくれたような。
なんだか自分ってやつもまぁ、そんなに悪くないじゃないかと思えるようになった。
できないことも至らないことも、自分を認めてあげて、どうしてあげたら苦しくなくなるのか、正当なクリアじゃなくてもそれはそれで自分の生き方なんじゃないか。
今ある自分で何ができるかなんじゃないかと。

初めは不純な理由で、今だって推しに可愛いと言いたい自分の欲求はまだあるけれど、演目を楽しんで、衣装を楽しんで、演出を楽しんで、一体感を楽しんで、ルールを守って劇場に行って、見て楽しんで、そのおまけで一言可愛いと言うくらい許されるんじゃないかって。
こんな風な楽しみ方もこんな自分もいい気がする。

ストリップの演目では、キャラクターが恋をしたりもする。恋しい貴方がいる姿を演じていたりもする。そうすると彼女たちの熱い眼差しを見れる。
その目を見ていると昔を思い出せる。女の子から恋している目で見てもらえたことを。
そんなちりちり火花が散るような幸福な時間が自分にもあったことを。

思うにストリップは、ファッションショーのようでもあるし、映画のようでもあるしミュージカルのようでもあるし、スポーツマンシップに則った競技のようにも思える。
アイドルの現場にも思えるし、朗読劇のようにも思える。キャバレーのようでもあるし、官能的な部分もある。
神秘的で芸術的な要素もあるし、かといってその裸は筋肉美や造形美をすり抜けていき、そのまんまの裸にも見える。
舞台に立ってるのは1人だから。誰の強要もない。だからそれはもうただそれだけの一つの体って感じる瞬間がある。
例えば、演目上浮かび上がってくる人物がお姐さんの技巧で出てきたとしても、なんだかいやらしさより1人がどんどん高みに登っていくような感じがして不純物がない感じがする。
浮かび上がる相手は本物の人間の荒々しさはなく、組み敷くような無理強いさもない。
ただ自分と対峙して自分の体を尊重していく感じが、一個体の人って感じがして好きだ。

ストリップは楽しみ方がたくさんある。
どんな楽しみ方もルールをきちんと守れば後ろ指さされたりはしない。
”普通“と違うと糾弾されない。
女なのに裸を見たいだだとか、女の子に可愛いと伝えて気持ち悪いとも言われない。
きちんとお金を払って劇場に入って、その瞬間だけ楽しんで相手を探ったりはしない。
その一瞬一瞬を楽しむ分には誰も自分をおかしいと言わない。
ストリップはいつだってこのまんま自分でいいんだと言ってくれる。
人と上手に話せなくたって、それでも生きてていいし、劇場の中にいる間は1人じゃないよと教えてくれる。
良いお母さん像に当て嵌まってなくても自分らしく頑張ればいい。

私は今日もコミュニュケーションが下手でチェーン店の店で食事を取る。慣れない場所は苦手だけど、劇場に行けるなら喜んで行く。適当にいつもと同じ味を食んで、ストリップ劇場に正規に払ってその間だけ幸せを買う。

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