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実は日本が看板大国であるということ

 さっそくですが下記の画像を見てどう思いますか。

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『よくある街並み』 とか
『雰囲気おしゃれな気がする』とか
『よく見ると日本ではない街』なんて感が良い方もいらっしゃるかもしれません。

そうです、こちらはニューヨークの街の風景です。自分は行ったことはないのですが、よく映画とかで見るせいかニューヨークっぽいなあと感じます。

 そんなニューヨークを含む世界の都市を東京っぽくする「世界東京化計画(Worldwide Tokyo-lization Project)」を手掛けたデザイナーの石井大五さんの作品がとても面白いです。(出典:Spoon & Tamago「What Would Cities Look Like if They Were “Tokyo-ized”」

さっきのニューヨークを東京っぽくした作品がこちら。

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これは東京!なんてなじみのあるTOKYO!!という日本にこんな感じの所いっぱいある気がする!!!
車が左通側通行していなかったら、海外という考えには至らない作品…

一目みればわかりますが、何が変わったかというと埋め尽くさんばかりの看板ですね笑
このことから看板が日本の街並みに欠かせないことがわかります。切っても切れない『日本』と『看板』の関係のことをちょっと書いてみようと思いまう。

【日本での看板のはじまり】

  諸説あるのですが平安時代あたりが日本での最初の看板ではと言われています。前回の記事にも書いたのですがサインの要素の自己名称を示す『看板』が最初です。

法律的なものでお店には標を立てよ、という御触れがありを表示していたとのこと。また当時の唐の都を模してお店には販売商品の名が書かれた札がぶら下げてあったという文献が残っているらしい。

それらが鎌倉時代、室町時代に発展しお店に屋号という概念が生まれ、元来日除けの役割であった暖簾に屋号を入れる文化が始まったそうです。これは今でも引き継がれています。

本格的発展していったのはその後の江戸時代になってからで、『広告』の 要素が出てきました。皆さんが知っているデパートの三越の起源となる三井越後屋が「現金売り、掛け値なし」という謳い文句で丸に越の字を使用して表示していたとのこと。

これを発端に経済の成長と共にどんどん看板も派手になり、明治には理髪店の看板が増えたり、時計塔や広告塔といった大掛かりでシンボル的なもの、アドバルーンやネオンサインなど新しいものを取り入れ、今ではモノやサービスが増え、それに伴い店舗も広告も増え現在のような日本の街並みが形成されています。

日本では経済の発展と共に常に看板がありました。

【歴史的文化と看板】

 経済が発展したのは日本だけではない、他の国も同様に発展してきているのだから、日本だけこんなに看板が多くなっていることは経済の発展だけで片付けるのは早計では?そう思われる方もいると思います。

そうです、ここにもう一つ文化という視点が入ります。

事実経済が先に発展していた西洋、とくに西欧諸国ではとても看板が少ないのです。なぜでしょうか。
これはキリスト教的な考え方と資源枯渇の問題が重なって、経済を発展させるのは良くないと考える価値観があります。

  西欧では古代ローマ帝国の衰退と共に、資源の枯渇に悩むようになったそうです。ここでいう資源は木材、つまり森林資源であたったそうです。資源が枯渇していると誰かが勝手に資源を消費してしまうと、全体として人が生活に苦しむということになります。
またにお金稼ぐことを善としない(正確には優先しないに近い?)キリスト教的な考えが広まっていました

この2点があり、抜け駆けをしない・経済は無理に発展させないということが行われていました。宗教的観点ではお祈りの時間とか協会に行く日も多くあり、その日は商売を行うことは硬く禁じられていました。

当時の名残りが、現在でもあり、ドイツでは日曜日や深夜に店舗営業をしてはいけないという法律があると聞いたことがあります。
クリスマスやイースターの日は、お店が閉めるところも多く経済活動よりも宗教的行事を優先というのが文化としてあるように感じます。

このような理由から出し抜くような目立たせる看板は発達しなかったのではと考えられます。

日本の商業の文化ではそういったことはなく、伸び伸び経済活動ができたので看板が発達したと思います。
ですが、商業以外の武士道といった質素倹約の考え、農本主義での第一次産業重視の時代、四季折々の景観や風情を楽しむといった文化から他のアジア圏よりは比較的、経済活動を善と考えない思想も持つ文化もあったのでちょっと控えようという気持ちがあるのではと思ってます。

中国韓国、東南アジアの看板郡に比べるとおとなし目なとことがあるように自分は感じています笑

お店の看板はちゃんと視認しやすく皆にわかってもらえるものでないと!と思う一方、華美すぎるものはちょっと品がないなあ、なんて感じるときは日本人としてのアイデンティティをちゃんと持っているなのかも…なんて考えちゃいます。


自分たちが今生きているこの場が歴史や文化とつながっていることが感じられるとき、自分はとてもワクワクし作り上げてくれた先人たちへの感謝の念が湧いてきます。

看板もその脈々とつながれた先人たちの何かを感じられる良いものです。

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