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人生は上々だ

よい人と一生安らかにいたとて、  

一生この世の栄耀をつくしたとて、  

所詮は旅出する身の上だもの、  

すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。


ルバイヤート 第20節より


人生の儚さと流天の無常さを歌った1000年前のペルシャの叙情四行詩らしいです。


様々な人と出会い、生き、別れ、時も人生も最後はただただ潰える。その中で過剰な期待もしたりしなかったりしながら、悠々とたゆたうときを過ごしましょう、というスタンスは私自身にも宿っているところでもあります。


大事な人だけど遠慮なく、あんまり気にしてない人だけど丁寧に、という相反しそうな行動を持って、より高い次元(ある意味、素の状態)で深い話ができる関係を築きたいという思いが、私にはあります。


でも、それこそ考え方や環境の違いで、折り合わなかったり、逆の意味で取られたりすることも日常茶飯事。そこで離れたり、追っかけたりするわけですが、それ自体も意味があるかというと初頭の通り、意味なんか持てません。


それでいいと思うんですが、それこそ意味もなく、世の中が許してくれないこともあります。合わせて、自分自身が許さないこともあります。どこからこの無意味かつ色めきだった感情って降ってくるんでしょうね?


こうしてたくさんの景色や感情に彩られる人生ですが、一時無心の状態で過ごすことも目指したこともあります。それはそれで面白いのですが、やはり、景色の色は楽しむもの、音楽の調べは喜ぶもので、それをつまんないと思わなければならない自分がつまんなくなってきます。


今、多くの人と関わり、近づき、疎遠になりを繰り返していますが、人生終わるときに、5人も一緒に時間を楽しめる人がいれば、十分だなと思ってます。それ自体も意味はないんですけどね苦笑


私はたくさんがっかりしてきましたが、それでも人を信じて期待します。そのほうが面白いし、確信的な人生の虚無的ながっかりを、面白さで埋め合わせていく、そういうやらされ感も嫌いではありません。


今までの人、これからの人に感謝と敬愛を持って、よろしくって言いたいです。


妻の由香子さんはじめ、大事な人たちは神様のように私は信じ切ってます、だから頼って欲しいですし、お応えできれば喜びにもなります。もちろん離れていってもいいんですよ。そこを縛るほどの摂理は持ち合わせていません笑


そういうことのために、このふらっとした世界で、ちょっとだけ知恵をつけたいなと願い続けてます。


ではでは、一緒に世をはかなみ、自分を愛し、他人を楽しみ、良い酒、時間を酌み交わしましょう!

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