ド忘れとズッキーニ

 この間、ズッキーニのことをド忘れしていた。食卓に並んだ「それ」を見て、「あっれ、なんて野菜だっけ?」と頭がいっぱいになった。思い出せない。見た目は太いキュウリ、火を通すと柔らかい食感がおいしく、「夏野菜のカレー」というメニューがあったら十中八九スタメンに名を連ねる、好きか嫌いかでいうと割と好きに分類される「それ」の名前が一向に出てこない。悔しいが、たまにしか食卓に並ばない野菜の宿命である。
 その時一緒に食事をとっていた母が兄に、ズッキーニを指さしながら尋ねた。「この野菜何かわかる?」。我が家の食卓に珍しい食材が並んだ際、母がほぼ毎回発するフレーズである。普段の兄であれば即答しているであろうが、その時は答えがすぐ出てこない。兄もド忘れしているのである。その兄の姿を見て背筋が凍り付いた。兄と私が二人そろってド忘れしているという、記憶力の低下を案じてのことではない。三人中二人から名前が出てこないという状況から私は、「ズッキーニの存在が消滅しかけているのではないか。」と考え恐怖したのだ。
 読者の皆様は映画や小説などで「過去を変えてしまったせいで未来が変わってしまった」といった内容の作品を見たことがあると思う。今回考えた「ズッキーニ消滅未遂説」も要するにそれである。私の両親が結婚しなければ私が存在していないように、ズッキーニも何らかの事象が過去に起きたことで消滅しかけたのではないかと考えた。
さて、ズッキーニが消滅するとなると、どのような事象が理由だと考えられるだろうか。ズッキーニの歴史やどのように日本に入ってきたかなどは一切調べたりせず、すべて妄想の中で考えたい。
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 時は明治時代、ある農学者の男が瓜類の研究をしていた。日本のような狭い国土の中でより効率よく作物が収穫できるように、品種改良を日々行っていた。男は新しいキュウリの開発の最終段階に携わっている。そのキュウリは太く、栄養豊富で、火を通すことでおいしく食べられるものであった。男は有頂天であった。この新しいキュウリの開発が終われば久しぶりに家に帰ることができる。愛する妻が待つ家に。しかし状況は一変する。同じ研究者仲間から愛する妻が不倫していることを告げられる。男はこれまで以上に研究に没頭した。とにかく家に帰りたくなかった。その結果新しいキュウリはより良いものになっていったが、同時に興味も薄れていった。もともと農作物が好きでこの世界に飛び込んだ男である、今はその農作物が愛する妻との距離を引き離した鎖としか思えなかった。しかし、同時に妻が不倫をしているという事実と距離をとるための鎖として機能しているのである。男は二つの愛するものを同時に失い、自棄的になった。男はほかの同僚に問われた。この新しいキュウリの名前はどうするかと。どうでもよかった。「好きに決めてくれ。」と告げようとしたとき、ズキンと心が痛くなった。「いや、そいつの名前はズッキ・・・。」
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 まさかズッキーニの歴史の中に儚くも美しい男の愛があったとは思わなかった。その日食べたズッキーニは普段よりもジューシーで、少し塩辛かった。ズッキーニの歴史の中にこんなふざけた物語がないことを祈るばかりである。

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