今、パレスチナで何が起きているのか?

連日、悲しいニュースが続きますね。

この時代においても、空爆。平和な時代を暮らしていると錯覚していた自分が改めて恥ずかしくなりました。平和な世の中を祈るばかりです。

とはいえ、最近友人と話す機会があり、その時に私もこのパレスチナ問題について深く理解おらず、曖昧にしかその原因を説明することができないことに気づかされました。「書く」という行為の中で、少しでも原因を学べればと思い、この記事を執筆するに至りました。

問題の構図: ユダヤ人(= イスラエル人)とアラブ人(= パレスチナ人)の争い

パレスチナの根本問題は、ユダヤ人(=イスラエル人)とアラブ人(=パレスチナ人)の争いです。この構図を第一に把握する必要があります。

ユダヤ人 = イスラエル人、パレスチナに住むアラブ人 = パレスチナ人、ということを忘れると、よくわからなくなってしまうので、これは必ず前提として把握しておいてください。 

ではなぜ、ユダヤ人とアラブ人は争っているのか?そのためには、ユダヤ人の歴史を紐解く必要がありますので、時系列に説明していきます。

歴史①: 2世紀、ユダヤ人は世界各地に離散(ディアスポラ)する

ユダヤ人は、出エジプト以来、前12世紀前後からパレスチナ(現イスラエル)の地に定住していました。イスラエル王国と呼ばれます。その後、ペルシア帝国やローマの支配下に置かれることになります。

1世紀、ユダヤ人は、ローマの支配からの独立を目指して、2度のユダヤ戦争を起こします。しかし、このローマに対する反抗が弾圧されてしまい、ユダヤ人はパレスチナ(現イスラエル)を追い出されることになります。

これを、ディアスポラと呼びます。これを期に、ユダヤ人(=イスラエル人)は各地に離散します。これからユダヤ人(=イスラエル人)は定住の地を20世紀半ばまで失うことになるのです。

下記の画像は、ユダヤ人の子孫の系統のうち一つである「アシュケナジ」の移動の様子です。各国を追放されながら、各地を転々とする様子が見て取れると思います。

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歴史②: 11世紀、ユダヤ人迫害が始まる

11世紀ごろから、ユダヤ人は迫害を受けるようになります。

中世ヨーロッパにおいて、ユダヤ人は「金貸し」を行うことで、商業の復活に伴って豊かになっていました。それに対して、キリスト教徒は「利子をとってはいけない」という教えに縛られて金融業を行うことができなかったため、貧しいキリスト教徒の恨みをかうことになったのです。

数多くのユダヤ人を迫害する事件が歴史に残されていますね。

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歴史③: イギリスの三枚舌外交で、アラブ人とユダヤ人に亀裂が生まれる

19世紀ごろから、迫害され続けたユダヤ人は安心して暮らせる自分の国を建国しようという運動(= シオニズム運動)を開始しました。それにつけ込んだのが、イギリスです。

当時、パレスチナはオスマン帝国(=トルコ系民族)による支配が行われていました。オスマン帝国内では、アラブ人も支配下に置かれています。

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イギリスはこのオスマン帝国の支配する地域の持つ地下資源に非常に興味を持っていました。そこでここでの戦いを優位に進めるために、ユダヤ人とアラブ人から支援を受けようとします。

この時の外交が、三枚舌外交です。ユダヤ人から資金的な支援を受けるために、パレスチナにユダヤ人国家(=イスラエル)の建設を支援するということをユダヤ人に約束します(バルフォア宣言)。その一方で、軍事的な支援を得るためにアラブ人に対しては、アラブの独立を支援する約束も行ったわけです(フセイン・マクマホン協定)。それだけでなく、同盟国のフランスとは、戦争後中東を分割して統治する協定を結ぶわけですね(サイクスピコ協定)。

戦争終結後は、中東はイギリスとフランスによって分割統治されるのですが、フセインマクマホン協定とサイクスピコ協定は矛盾するものです。なぜなら、当時パレスチナにはアラブ人(パレスチナ人)が住んでいるのであり、ユダヤ人国家(イスラエル)をそこに建設するためにはアラブ人(パレスチナ人)を追い出さなければいけないからです。

このバルフォア宣言をもとに、ヨーロッパ各地から多くのユダヤ人がパレスチナの地に帰還を始めるのですが、パレスチナの地に定住していたアラブ人(パレスチナ人)と対立を起こすになります。

このようなイギリスの矛盾した協定が、両民族に亀裂を生む原因をつくることになります。イギリスは、パレスチナにおけるこの対立を手に負うことができず、第二次世界大戦後、パレスチナを国際連合に丸投げすることにします。国際連合は当時できたばかりでした。

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ユダヤ人の歴史④: 国際連合決議・パレスチナ戦争をえて、イスラエルが再建国・既成事実へ

イギリスから丸投げされた国際連合は、パレスチナ問題の解決を目指して、「ユダヤ人とパレスチナ人の二つの国家を建設し、聖地イェルサレムは国際管理下におく」という国連勧告案を出します。

この勧告案では、下記の画像の、"Arab State"がアラブ人の支配地域、"Jewish State"がユダヤ人の支配地域(=イスラエル)としました。

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この勧告案は、賛成33、反対13、棄権10で可決されました。反対したのは、当然アラブ諸国です。この分割案は、パレスチナの全人口197万人中の約3分の1の60万人にすぎないユダヤ人に、パレスチナの56.5%を与えるもの<『世界史の窓』より>で、ユダヤ人にとって明らかに有利なものでした。

しかし、第二次世界大戦中におきたユダヤ人に対するホロコーストなどの歴史を鑑みて、ユダヤ人に対して世界中の国々が同情的になっていたことが、この決議に繋がります。

国連決議とはいえ、当時からパレスチナに住んでいたアラブ人たちにとっては到底納得できるはずもなく、1948年にイスラエルが建国されると同時に、アラブ連盟軍(シリア、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプト)がイスラエルへ攻め込みます。パレスチナ戦争(第一次中東戦争)です。しかし、米・英など国際連合の支援を受けていたイスラエル軍が圧勝することになり、イスラエル建国が既成事実となることになります。

このイスラエル建国に伴い、もともとそこに住んでいた70万人以上のアラブ人(パレスチナ人)が故郷と家を失うことになるのです。かつてのユダヤ人(イスラエル人)にとってのディアスポラと同じことが起こってしまったわけですね。アラブ人の場合はディアスポラではなく、ナクバと呼びます。

彼らは、ヨルダン川西岸地区、ガザや、ヨルダン、レバノンなど周辺諸国に逃れて、パレスチナ難民として過ごしています。

その後も3度に渡る中東戦争があり、イスラエルは国連分割決議時よりも多くの領土を手にすることになったわけです。当然、パレスチナ難民をはじめとするアラブ人はパレスチナの地を、第二次世界大戦前のように取り戻したいと考えています。

これらが、ユダヤ人(= イスラエル人)とアラブ人(= パレスチナ人)の争いアラブ人とイスラエル人の対立の原因なわけです。

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今回、イスラエルと衝突を起こしているハマスとは何者なのか?

ここまで、ユダヤ人(= イスラエル人)とアラブ人(= パレスチナ人)の争いアラブ人とイスラエル人の対立を見てきました。では、今回イスラエルと衝突を起こしているハマスとは何なのでしょうか?

ハマスは以下のような構想を提唱しています。

「私たちは20年前の創設以来、1948年のパレスチナ分割決議に定められたパレスチナの全域にイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が仲良く平和に共存するイスラム国家を樹立する目標は変わりません」と、「一国家共存」構想を提唱した。<森戸幸次『中東和平構想の現実―パレスチナに「二国家共存」は可能か』2011 平凡社新書 p.129-130

パレスチナをアラブ人のために取り戻すことのできるこの構想を実現するために、ハマスはイスラエルと対立を続けており、交戦を開始したわけです。

もちろん、今回の交戦の直接的な理由としてはいくつか挙げられますが、根本的な歴史的背景を共有することに今回は留めたいと思います。

最後に

テロ組織として国際社会から見られるハマスですが、それは現代社会という眼鏡をかけて見えるもので、歴史的背景を紐解けば、ハマスが単に宗教的な信念に基づいて争いを起こしていないことが理解できると思います。

歴史から視点を学ぶことは多いなと改めて。

FYI. ガザ衝突におけるご支援はこちらから行えます。

了。

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