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ひろゆきの壺の話とセラピストと努力と

どこかのラジオ番組のタイトルのようになってしまいましたが、ひろゆきの壺の話って目にしたり聞いたことないですか?

【ひろゆき】壺に石を入れる話|seijiblog (seijivlog.com)

だらだら長い話なので、要約してくれるこちらから引用しますと、

先生が空の壺に、最初に岩、次に小石を入れます。
先生「この壺は満タン?」
生徒「満タンだと思います」
そこで先生は岩と小石の入った壺に砂を入れます。
先生「この壺は満タン?」
生徒「さすがに満タンだと思います」
さらに先生は岩と小石と砂の入った壺に水を入れます
無事に壺は満タンになりました。
中略
この話の本当の教訓は
一番最初のデカい岩は一番最初にしか入らない
ということです。
「人生にとって一番大事だと思うものはまず一番最初に入れて下さい。

さもなければもう二度とと入りません」が本質です。

【ひろゆき】壺に石を入れる話|seijiblog (seijivlog.com)

こんな感じです。
やることを決めようとか何になりたいかの方向性が大事みたいなことを教訓として言う人もいると思うんですが、個人的にはこの考えとセラピスト、特に職人気質寄りの人には相性が悪いと考えます。
本日はそんな話です。

なぜ壺があるていなんだ

そもそもの話として、壺がある段階で、その人の器は完成しているっていう感じになりますよね。
そこに中身の石とか入れてしまったらもう、そこから引き返せなくなります。
勤め人全開でやっていく人なんかはそれによって安定性も出るのでいいと思うのですが、セラピスト界隈にいる時点で、ちょっと社会性に伸びしろがある可能性が高いと思われるため、その状況で壺なんか固めちゃったら大変ではないでしょうか?
もちろん、会社経営してたり、なんかの組織の人間を教育する立場の人は話が別です。
そういう人たちからすれば、早いとこ壺確定させて中身詰め込んだほうが利益的ですし、安定的に働きたい人からしたら、自由になんか追求しろって言われるよりこう生きてくださいって言われたほうが、むしろいい場合もあるでしょう。
ただ、技術、知識を高め、それによって自分の理想を体現したい人からすれば何度でも壺を割って新しいものにしたいでしょうし、自分が何をしたいかわからないうちに適当に壺を作ることに反発心がある人もいると思います。
そういう人にとっては壺の話は寧ろ害悪になりえます。

壺に何か入れるよりも

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