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フロ読 vol.21 田中優子 『江戸の想像力』 ちくま学芸文庫

江戸といったら田中優子先生。学生時代に一連の著作に読みふけったことが懐かしい。
 
今年はご挨拶だけでも果たしたかったが、どなたにも人気のある方なので、遠目から元気なお姿を窺うだけとなってしまった。
 
本書は学生時代にさっと目を通し、知識だけを得ようと試みたものだが、今落ち着いて読むと誠に味わい深い。
 
以前には興味を持てず、読み飛ばしてしまった金唐革のくだりをじっと歩む。もともと金唐革は東インド会社、つまりヨーロッパから来たデザイン。

 タンニンでなめした皮革(主に牛革)に接着塗料を塗って合金の箔を貼り、金属に彫った型でプレスしてエンボス(浮き出し)を作り、さらにその上から塗料で彩色等をほどこして壁材などに使用したもの

これを平賀源内が、革ではなく紙で作ろうとした、という話。これをきっかけに当時の江戸における、産業社会への影響が次々と披歴される。一回読んだはずなのだが、若かりし己には何のことやらで飛ばしたのだろう。この齢になって漸く驚いたので暫く記しおきたい。
 
・革から紙への「変革」がコストダウンを呼び、金唐革を大名の宝物から庶民の流行商品へと変えていった。
 
・漆細工をしても「やぶれない紙」への挑戦が盛んになった。源内と同グループの鈴木春信は、肉筆を使わず重ね摺りだけで彩色する錦絵を開始したが、ここでも紙の耐久力が問題となる。
 
・16世紀から、各藩が独自の生産物で競争し始める(今の世に欠けているのはこれだよな…)と、紙の質と量が急速にレベルアップ。しかも、この成長を促したのは武家や貴族ではなく、商人の使う「大福帳」だった。丈夫で厚手でなおかつ上質な紙への需要が一気に高まる。
 
・古来の紙の産地である安芸・石見・伊予と新興産業地帯の周防、長門。産業スパイ合戦から、果ては機密保持を因とする殺人事件まで起きた。
 
・この競争事に目を付けたのが江戸幕府。西中国を中心に紙の専売制を敷いて米の代わりに紙を取り立てる。農閑期の産物であった紙を税とすれば、ちょっとした凶作で、たちまち農民の生業はたちゆかなくなる。藩との結託をする問屋なども出て、紙一揆にまで事態が発展する。
 
・この紙暴動と江戸デザインの代表たる金唐革と錦絵は踵を接している。錦絵は売れ、金唐革は庶民の当たり前な持ち物に。果ては輸出品にまで成った。
 
以上の件は、知識として感心するだけで充分楽しいが、この章の結びがホントにシビれる。
 
日本の文化は「負の文化」「凹の文化」(by上山春平)。低くてくぼんでいて卑しくて遅れている。だからこそ、向こうからやってくるものを受容する文化。うまく消化できるかは分からないし、また、「向こう」にどう追いついたかも関係ない。正統と異端の別もなければ、進歩と遅延の別とも無縁なのだ。

 我々は大航海の時代になって、初めて人間の大規模な移動が可能になったかのように考えがちである。しかし実は、移動に関する大航海時代の成果とは、単にスピードとルートの拡大にすぎなかった。なぜなら、地球全体をかけめぐる人間と情報と物の移動は、決して新しい事実ではなかったからである。あたかも血液の流れがとどこおれば生命が途絶えるように、人類が始まって以来、情報(モノを含む)の流れが途絶えたことはなかった。私たちはその絶え間なく動き続ける情報や技術や物を使って、見事に変容と創造を行った人間に、強い共感を覚える。

うんうん、まさに。よくぞ言ってくれましたという文は、何度読んでも気持ちが良い。

 常に至る結論は、国学者たちが夢見たような「本来の日本文化」などどこにもありはしない、ということなのだ。そのかわりに発見するのは、世界の至るところにいる、モノを使う人間、情報を変容する人間、パターンを認識する人間、そして、ささいなことに全力をふりしぼって行為する人間なのである。

これこそが人間賛歌。やはりポスト進歩主義を握るカギは、江戸にこそ凝縮していると睨みたい。

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