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Culture:耕すということ②「耕作は無慈悲な開拓である」

人類のみなさん、こんばんは。

むじゅんです。

この記事は、Culture:耕すということ①「なぜ、食べ物を育てようと思ったのか」という記事の続編です。

前回の記事をご覧になっていない方は、ぜひご覧になったうえで、本記事をお読みいただけると幸いです。

本当はこんな注意は書きたくありませんが、生死について生々しく描写しています。受け付けない方は、本投稿の閲覧をおやめいただいたほうがよいかもしれません(しかし、これは現実に行われた命のやりとりです。できれば様々な方にご覧いただきたい)。


蛞蝓と血、殺戮。

「さあ、畑を頑張って耕そう!」

おばあちゃんと母と共に畑にやってきたわたしは、気合を入れて畑の中へ足を踏み入れました。

この畑はおばあちゃんのもの。

最近は育てていないスペースが多いものの、こじんまりと、里芋とかぼちゃが植えてありそれ以外のところは雑草除けの黒いビニールで覆われていました。

そのビニールを、瓦や針金で抑えてあるので、それらを取り外しながら土をあらわにします。

ビニール上に溜まって固まった土をパラパラと砕きながら、どんどんビニールを外していく最中さなか、とある瓦を引っぺがした際、わたしの心を揺るがす事態が生じました。

瓦の下に、それはもう立派に肥え太った蛞蝓なめくじがいたのです。

誤解を回避するためにあえて言うなら、別に蛞蝓がいることにわたしの心が揺らいだわけではありません。

そりゃ、畑の瓦の下なんて、じめじめして暗くて、蛞蝓には最適なスポットでしょうから。

わたしの心が揺らいだのは、この蛞蝓を殺すか否かでした。

なぜそう考えたかというと、蛞蝓は葉っぱ類を食べてしまうと聞いたことがあったからです。

じゃがいもの芽が食べられてしまうかもしれない!」と、わたしは警戒しました。

わたしには、普段より自らの殺生の基準がありました。

わたしに対して何もしてこない生き物は、たとえ一般的に「気持ち悪い」と呼ばれるような生き物であっても、何もしない。

いたずらに殺さないということです。

しかし、わたしに害を及ぼすものや、テリトリーを侵したものは、命を懸けて殺すことにしていました。

わたしの身体や領域が侵害されるのを黙って見ているほど、わたしは慈悲深い存在ではありませんから。

人間以外の生物だって、侵害行為を受けたら、反撃するでしょう。

それと同じです。

話が逸れてしまいましたが、わたしにはそういった殺生のルールがありました。

それと照らし合わせて、目の前の蛞蝓はどうでしょう。

この蛞蝓という生物は、人間が食べるために植えた植物の葉を食べてしまうかもしれない。

ということは、わたしの植えたじゃがいもの芽を食べてしまうかもしれなくて、それはわたしの領域を侵害していることになるのだろうか。

いや、でも、畑を人間の縄張りと考えるのは傲慢なのではないか。この蛞蝓たちは、わたしが来る前からこの畑で暮らしているし、そもそもまだわたしのじゃがいもの芽を食べたわけではないし…。

しかし、農業をするにあたって、「害虫」駆除を怠っていたら、あっという間に作物が食い荒らされてしまうかもしれない。人間が殺生に迷うことは、蛞蝓たちにとっては関係ないのだから。そのあたりは、ドライにやらなければならないのだろうか。

わたしの脳内で、瞬間的に様々な考えが生まれはぶつかり、四散しました。

わたしは決めました。

「迷っているようでは農業などできないかもしれない。わたしは、この蛞蝓を殺す」

今思えば、殺したくないという思いにとりあえず蓋をして、半ば心を殺して思考していました。

わたしは、瓦をそろっと持ち上げ、蛞蝓の上に振り下ろしました。

でも、わたしの決意は決まり切らないまま。

決めきれない思いは瓦に乗って、蛞蝓の周りに何度も落ちました。

土は柔らかい。

蛞蝓の身体には中々ヒットせず、わたしは焦りました。

次の瞬間、ついにわたしの瓦は鈍器となって、蛞蝓の身体を貫き、真っ二つにしました

蛞蝓は、一瞬身体をこわばらせた後、だらっとなり、絶命しました。

蛞蝓からは、どろっとした赤黒い液体が流れ出しました。

ああ、なんてことをしてしまったんだ…

わたしがふと我に返ると、息は少し浅く早く、額には脂汗が浮かんでいました。

蛞蝓を殺した感触が確かにあり、その罪は明らかでした。

いや、殺すと決めた時点で、その罪を負う気ではいましたが、なんと蛞蝓の血が紅いことか…。

目の覚めるような鮮血。

まるで、わたしの指が、切り落とされて畑に落ちているような。

蛞蝓の血が赤いなんて知らなかった。

いや、血が何色でも関係ないんだけど、それでも、自分と同じ赤い血が通っていることで、否応にも自分自身を思い起こさずにはいられなかったのです。

のびのび暮らしていたら、急に蓋が外されて、少しの後、命を何者かに絶たれる…。

わたしが殺りました。

わたしは殺戮者だ。

紛れもなく。

そして、あることに気づきます。

農業は、命を育てる行為であることは確かだし、更に、その面が強調されますが、その反面、非常に無慈悲な開拓のような行為であるということです。

農業における作物は、人間によって庇護されて育てられます。

蝶よ花よとまではいかなくとも、土を畑として耕され、使わない人もいますが、多くの場合、肥料や農薬で守られながら育てられます。

その目的は人間が食べるためですが、人間は、作物の植物のために、生育環境を最適化します。

最適化するということは、そぐわないものは排除するということです。

蛞蝓を殺したわたしのように。

わたしの中に、今まで考えもしなかった種類の苦しみ、葛藤が生まれました。

農業が全面的に「よいこと」だと信じて疑わなかった。

農業の、人間にとって素晴らしい面しか見ていなかった…。

一匹の蛞蝓を殺したことによって生じた感情は、鋭いショックとなって、わたしの身体を走り抜けました。

わたしは半ばふらふらしながら、1分もしないうちに起きた大事件の名残を、母とおばあちゃんに悟られぬよう必死になりながら立ち上がりました。

「それでもわたしは農業をする」

とりあえず、そう決めましたが、今でもあの蛞蝓と、その血のことが忘れられません。

後日畑を訪れた際にも、2~3匹の蛞蝓を見つけましたが、わたしには殺せませんでした。

だって、まだ何もしていないでしょう。

これらの蛞蝓を予め殺さないことは、より例の蛞蝓を殺したという苦しみを強いものにしましたが、もう殺したものはどうにもなりません。

命は返ってこないのです。

この間、植え付けから2週間ほど経って、じゃがいもたちは芽を出しました。

じゃがいもの芽が蛞蝓及び畑に生息する生物に喰われていたら…。

その時は、わたしは腹をくくって殺そうと思います。

罪を意識しながら。

自らの手で。

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途中、別の投稿が挟まるかもしれませんが、またこのシリーズの続きを書こうと思います。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

それでは、また次回!!

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