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【コラム】言葉の暴力性との付き合い方

どうも、変化にもっと優しくなりたい前田です。

私たちは「死」というデリケートなテーマを扱う以上、意図せずに誰かを傷つけてしまう立場にあります。サービスや企画を立ち上げる際、特に何に気をつけているのか。私たちなりのチェック項目の一部をご紹介します。

与えうる痛みを想像する

大前提、自分たちのすることで誰かが傷つくかもしれない、ということを念頭においています。もちろん、全ての感情を想像することはできませんし、想像しただけであって、完全に理解することはできません。

理解した、というスタンスにも暴力性を含むと思っています。
「私の気持ちがお前にわかって堪るか」という感情を誘発します。理解はできないという前提に立ち、理解しようという営みを止めないことを大切にしています。

どのような排他性を持つか想像する

例えば、2021年6月に行ったオンライン企画、死んだ父の日展では以下の説明文を使っています。

天国への想いが集う、父の日の特別展示会「死んだ父の日展」応募期間は2021年6月6日~6月20日。お父さまとの死別をご経験の方はどなたでもご応募いただけます。

ここで「天国」という言葉を使うのは「死後、天国にいく」という死後観を持った人だけが対象になってしまうという排他性を含みます。

それでも、この企画は亡くなったお父さん宛に綴った手紙が届いた感覚をもっとも大切にしたいという願いがありました。

そうなると、宛先が必要になります。「心の中のお父さんに宛てる」などの言い方もありますが、宛先として、多くの人の共感を得られるであろう天国という言葉を採用しました。

「天国などない」という死後観が入り込めない企画になってしまっていますが、この状況を理解することで、次の企画は死後観のインクルージョンをやってみよう、など、むじょうとして、特定の宗教・死後観に傾倒することがないようにしていけたらと思ってます。

死んだ父の日展は、父の日というイベントからエクスクルードされてしまう、お父さまを亡くされている方の父の日の過ごし方の1つの選択肢になることを目指して立ち上げました。まずは、お父さまを亡くされている方のインクルージョンを目指す所が第一ステップで、年を重ねるごとに死後観のインクルージョンも目指していく、というように、少しずつ間口を広げていけたらと思っています。

他にも、ある人には痛みを与えてしまう可能性があり、ある人には救いになる可能性がある場合、どのように判断するか、などの基準も持ち合わせていますが、それはまた次の機会に書きたいと思います。

では、今日はこのへんで。ありがとうございました!

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