私の万葉的食卓

七年前の夏、思うことがあって、比良山系の庵で、一人暮らしを始めた。

当初、親族、友人、知人たちの多くは、七十代を迎えた私のこの決断に危惧を示した。比良山系の冬の寒さは厳しく、故に「関西のチベット」ともいわれているのだと。熱心に物知らぬ私の翻意をうながした。

 それでも、なかには眼を輝かせて
「なんだかあなたらしい。このまま大人しく、老人生活をまっとうするとは、思ってなかった」と、面白がる人たちもいた。

 ともあれ、それから八年が過ぎた。

 「無事庵」と名付けた庵での一人暮らしである。毎日、飽きもせず、空と山と樹ばかりを眺めて暮らしている。

満月の夜は枕辺にさしこむ月光に額を冷やし、月のない夜は満天の星のきらびやかな明るさに息を呑んで見上げる。

夜半、谷風と山風の激しくせめぎあう音が、いつのまにか消えて、誰が奏でているのか不思議な楽の音に目覚めることもあった。

 十月。暗緑の阿弥陀山を吹きすぎる風の音が、谷にこだまする。

黄金色に熟れた太陽のからみつくような光線が、樹木の間を重く漂うようになる。

 ある朝、突然に全山が明るく発光する。クヌギ、ブナ、木楢などがいっせいに黄色くなり、世界は、どこかものの終末を思わせる淋しい明るさとなる。

 十一月。終日、風が強く木々を揺さぶると、秋の空は光りつつ、大量の黄金を西日のなかにちりばめる。谷間が生々しい落葉の香りに満たされ、渓谷は水面を紅葉に染めて鎮まる 。

 十二月。痩せた山稜を縁取る裸木が、まるで古代の弦楽器のように調子はずれのおおらかな音をかなでる。弱い冬の日差しに薄の群れが薄い影を落としている。

 阿弥陀山から吹き下ろす風は、遠くの山に降りはじめた雪の香りを運んでくる。今年始めての雪の降る日まで、それから、十日も待つことはない。やがて長い冬が来る。

 

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