見出し画像

#13 平時からヤバさが出てくるように

一心不乱にコトを動かしている人って、ある種のヤバさを纏っています。世俗離れした雰囲気というか、凄みというか。どっかオカシイ(笑)今回は、そんなお話。

この類いのヤバさって、場面で切りとれば、多くの方にも身に覚えがあるものかもしれません。如何です?

個人的には、スポーツの最中に何かを模索しているとき、または学者として何かを書き切ろうとしているとき等々が浮かびます。何かを探しとる…瞬間なのかな。まぁ後語りですが。

こういう瞬間って、少々むず痒いですが、美しいなと感じます。混じりっ気がないし、シンプルで良い。必死だからです。

どこか狂気があるのもまた良いんです。気をつけないと噛まれちゃいそうな、容赦ない感じ(笑)必死だからです。

幼い頃は、「美しい」って言葉に馴染みがなかったので、声を大にしては言いませんでしたけどね。カッコ良いとか渋くて好きとかにズラしてたかも。斜に構えていた気がします。

ただ、落合陽一さんの次のようなコメントに出会ってからは変わりました。徹底的に自分の「美しい」に従って良いんだと、追い風をもらった感じです。

自分が好きなものについて、文脈となぜ自分がやるのか、それが美しいのだってことを他人に説得できる表現方法、それらをやらずにはいられない衝動をもっていて初めてアーティスト。

自称「アーティスト」っていうのも、やっぱりむず痒いですが、しっくりとくるものがありました。自分の手掛けるコトって、広く創作活動として捉えられるし、その(どうしようもない)動機に説明をつけてもらいました。…助かりました。

自分の在り様に「名前がつく」と、安心します。たとえ社会的には違う名で動いていたとしても、ホッとします。自覚できるからです。他者と共有できるからです。時々で、微修正ができるからです。

そんな訳で、きっと私自身いま微修正の只中にいます。それは、冒頭にあるようなヤバさが、平時から出てくるようにすること。

一度引っ込んじゃったんですよね、きっと。その調整弁をいじくって、どこで誰と何をやっても「むじ877」というヤバい味付けが(うっすら)残るよう、動いていきたい。もちろん、誰かに迷惑を掛けてしまうほど弁えないのは別として、です。

その為には、必死にならないと。

がんばりましょう。

今回もお付き合いいただき、ありがとうございます。ではでは。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?