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clubhouseで「capoeirax何とか」という実験④:capoeira x お魚 / capoeira x fish その1

clubhouseでカポエイラと、カポエイラとは全く関係ない何かを無理やりかけ合わせたら、カポエイラの何か興味深い一面に光があたったり、思わぬ共通点を楽しめるひとときになったり、ステキな出会いにつながったりするのではないかというTOSHIさんのアイデア💡より始まったcapoeira x 何かroom、第四弾はこれ。2月9日に開催しました。すごい時間が経ってしまった。反省です。反省なのですが、とにかく言いたいことがたくさん過ぎて、なかなかまとまらないので、二部構成にしちゃいました。文字数多くて恐縮ですが、ぜひお付き合いください。

天文学史、manga、おいしい粉、ときて、今回のお題は「お魚」。もうこじつけてもcapoeiraにつながりそうにもないトピックですが、チャレンジしてみました。今回のトークには、満を持して、「心にあたるアクアリウムをコーディネート」でおなじみの株式会社a.a.c.(atal aqua coordination)代表取締役の浦田恭資さん a.k.a. きょうちゃんに来ていただきました。この記事、「capoeira x お魚 その1」では、主にきょうちゃんのアクアリウムについて、お伝えしてゆこうと思います。

まずは、a.a.c.のウェブサイト、ちょっと覗いてみてください。すてきなアクアリウムの画像があふれてます。お魚がいる景色を、誰でも気軽に楽しめる、そういう幸せ空間を提供することにより、私たちの心が豊かになるような、そして同時に私たちがもっている常識をひらひらと剥がしてくれるような、そんなサービスを展開しています。
実はTOSHIさん・Hirokoさんの経営するOnda buildingの1階には大きな水槽があります。この冬に設置された170cm×40cm×80cmくらいの、普段あまり見かけないほど大きな水槽(この記事のタイトル画像)で、この中でエンゼルフィッシュやカラーブラックテトラ(ブラックなのに色は白!)、アルジーイーター(よく食べるので随分でかい!)など、いろんなお魚ちゃんたちがわいわい暮らしています。こちら、a.a.c.のアンテナショップ的な意味合いで設置されたもので、イベント会場やオフィスのエントランスなどにステキなアクアリウムを設置することにご興味あるかたがいらっしゃったら、ぜひお気軽にOnda buildingへ足をお運びください、な感じなのです。

水中の、どことなくゆったりした空間、そのなかで悠々と泳ぐお魚たちって、なんであんなに魅力的なんでしょう。きれい。かわいい。日常と異なる世界がすぐそこにある感じがたまりません。そんな世界を切り取って、気軽に楽しめるようにアレンジしたものがアクアリウムなのですよね。
そんなアクアリウムをきょうちゃんがプロデュースすると、
魅力盛り盛り!
・ お気軽に楽しめる
お魚がハッピー
お魚がハッピーだからこちらもハッピー
「生きる」ということをやたら考えちゃう
未来のこともやたら考えちゃう
って感じになります。順に説明いたしましょう。

魅力盛り盛り!
a.a.c.のアクアリウムは、アクアリウムが提供しうる魅力をとにかく盛りに盛りまくったアクアリウムなのです。まず、お魚が元気できれい。そして、その元気できれいなお魚たちが映えるステキな水中空間をクリエートしているのです。その端的な例がフラワーアレンジメントの中をお魚が泳ぐアクアリウム。お祝い事やイベントにぴったりです。優雅でかわいくて、ちょっといい花束くらいのお値段で入手可能。このゴージャス感、いつ見てもため息が出ます。

お気軽に楽しめる
いい花束くらいのお値段と書きましたが、お財布的にお気軽なだけでなく、基本お魚のお世話込みのレンタル形式なので、掃除するとか、片付ける(取りようによったら恐ろしい言葉……)とか、そういうことを気にせずに、ハッピーなお魚たちの泳ぐ姿をただ楽しむことができる、というお気軽さも、a.a.c.のアクアリウムの魅力です。スタッフさんがちゃんと面倒を見てくれるだけでなく、アクアリウムの中の世界が持続的であるようにお魚や環境が準備されているので、そもそもあまりお世話する必要がないのです。大きなアクアリウムになると、それ自体がほぼ独立した生態系になるように創られています。餌を食べたお魚のフンがコケの栄養となり、増えるコケを美味しくたべるお魚がいて……
ちなみにOnda buildingにあるアクアリウムの場合、餌やりも自動、照明もコケの生え具合とかお魚の状態を見ながら調節してタイマー設定しているので、ほんとにごくごくたまにしかお世話の必要がありません。そんなこんなでとっても気軽に生活の一部にしやすいアクアリウムなのです。

お魚がハッピー
そんな盛り盛りゴージャス、かつ、手軽に置けるアクアリウムであっても、泳いでいるお魚が元気なかったり水が汚れていたりしたら、元も子もありません。が、きょうちゃんのところのお魚たちはちゃんとハッピー。いきいきしています。
当然ですが、お魚たちは生きています。ただ「きれいだね」と言って眺めて、それだけのために、お魚を自分のところに持ってきて、知識もなく面倒も見ないって、それはかわいがっていると言えるのか。命あるお魚の搾取じゃないのか、虐待じゃないのか。これって、近年、動物倫理とか動物福祉というキーワードで議論されている重要な指摘ですよね。まあアクアリウムにいるお魚は自由意志でそこにいるわけではないですが(そして自由意志という話をすると話が非常に複雑になるのでここでは割愛しますが)、少なくともきょうちゃんのところのお魚はちゃんとお世話が行き届いていて、ハッピーにのびのびと泳いでいます。幸せ空間を提供するからには、お魚もハッピーに過ごせること、そのためにできるかぎりをつくしている。それは、アクアリウムを準備しているきょうちゃんを見ているとよくわかります。だって、一匹一匹のお魚をお仕事のパートナーとして扱い、コミュニケーションをとっているんですもん。泳ぎ方や反応から健康状態とそれぞれの性格とご機嫌を把握して、言葉ではないメッセージを受け取っては環境を調整しているきょうちゃんを見ていると、あ、この人のところに来るお魚はきっとずっとハッピーだな、と感じます。そして、これを実現するためにしてきた勉強や経験の量はきっと膨大で、ご本人がお話してくれるのの何倍もあるんだろうなと思います。

お魚がハッピーだからこちらもハッピー
上でも触れましたが、お魚が泳ぐのを見るのはスキ、癒やされる、水族館もアクアリウムもスキ、だけど生き物を搾取するような行為やサービスには抵抗がある、というかたは少なからずいるのではないかと思います。だけど、a.a.c.プロデュースのアクアリウムでは、そんな感じで、お魚が心地よく過ごしているので、それを見ているこちらも憂慮せずに楽しめます。お魚がハッピーであることで、私たちも心置きなくハッピーになれる。「お魚、かわいいけどほんとに大事にされているのかな」って疑わなくていいのって、なんか相当大事なことなんじゃないでしょうか。商品・サービスのなかに、「お魚well-being」が組み込まれているから安心して楽しめるわけですね。

「生きる」ということをやたら考えちゃう

ところで、「ハッピーであること」=「お魚たちがほんわか仲良しであること」ではありません。のびのび生きているからこそ、ピリピリしているときもあれば、あんまり動かないときもある。ご機嫌なおはしゃぎさんもいれば、結構いじわるなやつもいる。そんな社会の縮図のような世界が繰り広げられているのです。老いたお魚は弱っていくし、小さい子は食べられちゃうこともある。たまにクサクサしてやたら攻撃的になる子もいる。Onda buildingにあるアクアリウムのメンバーなんかだと、愛を育むカップルもいて、場所を見繕って卵を生み育てます。そして稚魚が他の魚に食われたり、まあ、パパママに食われたり、そういう生々しさも目の当たりにします。生命の循環って、そんなにほんわかしていないし、きれいごとでもない。弱い命は強い命の糧になる。そんなあっさりした残酷さも、あれもこれもぜーんぶ含めての小さな生態系であり、だからこそ「生きる」のいろんな側面を目の当たりにできる、自分で考え学んでいく貴重な機会となっています。

未来のこともやたら考えちゃう
上記の「生きるって甘くないよ」的な側面の延長線上には、「持続可能性」があるように思います。命を喰らう的な場面は、大きなアクアリウムでなければそんなにないのですが、a.a.c. のサービスは基本的に持続可能性が共通テーマになっている感じです。たくさんお魚が入っているアクアリウムでなくても、魚→光+水中の栄養分(フンとか)→コケ→コケ食う魚、とか、そんな循環をプロデュースしているのです。コケリウムなんてものもあり(魚いないバージョン)お手軽に自作するためにキットもあったり。
それだけでなく、アクアリウムの場合、そのお世話もサービスに含まれると書きましたが、それってつまり使い捨て要素がすごく少ないことも意味します。水槽や機材など、いいもの、ステキなものを繰り返し大切に使う。本格的なもの、きょうちゃんのお眼鏡にかなうものの組み合わせで、アクアリウムが一つひとつ、創られているのですね。
さらにさらに、アクアリウムという一つの(ほぼ)閉じた世界で循環をプロデュースし、持続可能性を高めることができる、ということは、その閉じた世界(閉鎖系)をそっくりまるごと移動させたり、その中身を利用する、なんてことの可能性をも示唆します。たとえば、お手軽なアクアポニックス(養殖=アクアカルチャー+水耕栽培=ハイドロポニックスの掛け合わせ用語で、お魚のフンでお野菜とかつくるしくみ)の可能性につながっていたり、非常時や宇宙飛行時の食料提供の可能性につながっていたり。後者については、普段はアクアリウムを眺めていれば、学びにもなるしストレス対策にもなるけれど、必要なときにはお魚が貴重なタンパク源になる、なんなら水もコケも全部活用できるかも、といった具合です。そして、そんな状況になったとき、「自分にはこの子は食えないよ」と思うのもアリだし、「生きていきたいのですみません、お命いただきます」という決断をすることもアリ、つまり選択肢ができるのだろうなと思います。もしかしたら、他人が「食べちゃいますね」な判断をすることに対する許容のようなものも生まれるのかも。そんなこんなな可能性に思いを馳せていると、なんか頭の中が未来志向になっていく気がします。勝手に宇宙を身近に感じちゃったりしてね。

というわけで、今回、タイトル詐欺?というくらい、とことんカポエイラ、出てきませんでした。
きれいなお魚、あでやかなお魚の、存在と命へのリスペクトとたっぷりの愛を注ぎ込んだアクアリウムという水中世界を、日常に取り込み、命を見つめ、持続可能性について考え、そして、未来のことまで妄想しちゃって、そんなこんなの中でまたお魚のかわいさ、きれいさ、あでやかさを楽しむ。そんな思考の循環なんかも生まれてるのかなぁ、なんて勝手に思いながら、まずは「capoeira x お魚 その1」この辺で終わりにしようと思います。
次は、「その2」で、こんなお魚ばなしとcapoeiraとの掛け合わせに挑戦します。どうなることやら……


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