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スタージョン・ムーン(8月の満月)。

赤い月の夜がある。
赤くて低くにあって、なんだか大きい月の夜がある。
小さい頃の事、そんな月の夜は何故だか不安になった。
何か悪い事が起こるのではないのか、と。

そして時折、母親もいつかは死んでしまうのだと考えると怖くなった。
明るい母親は唯一、家の中で輝く太陽のような存在だった。
彼女が子宮の病気になって入院したある夏、毎日神様にお願いをした。
不安で夜眠れずにいると、音を立てながら道路を掃除する車が、家の脇を通った。
寝ていた2段ベッドから降りて、窓から暗い外を眺めていた。
世の中には色んな役割をする車があって、夜遅くにも働いている人がいるのだと思った。

その頃、僕の家族は狭い集合住宅に住んでいた。
僕の通う小学校へは、ほとんどの生徒がその集合住宅からだった。
でも、その中でも確実に貧富の差があった。
子供の純粋さ故に、その現実を見逃せなかった。

外には普通に野良猫が歩いていた時代だった。
裏路地で飛べなくなった鳩がいて、みんなで自転車置き場に隠して飼っていた。
ファミコンのカセットを沢山持ってるだけの理由で人気の奴がいた。
授業中に急に叫び出して、教室から飛び出してしまう子がいた。
婆ちゃんの店からお金を毎日盗んで遊び、学校で大問題になった奴がいた。
そしてそのお金で駄菓子を奢ってもらっていた僕たちがいた。
自転車置き場のあの鳩の存在は、いつしかすっかり忘れていた。

集合住宅の中心にあった大きなスーパーマーケットはもう潰れてなくなってしまった。
あの時、一生存在すると思っていたものが無くなっていく。
毎日通っていたおもちゃ屋のおじいさんも死んでしまった。
今でも連絡を取っている、あの頃の友人は誰もいない。
当時仲良くしていた同級生は、数年前に逮捕されたとニュースで知った。
あんなにずっと出たいと思っていた実家も、引っ越してもうそこには無い。
僕はもう、おそらくあの町に帰ることは無いだろう。

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