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所謂サブカルチャーや邪道が好きな話

ここ最近好きな漫画や好きな小説の事について話したり、こっそりとおススメしたりすることがあった。
それらを羅列すると所謂純粋や純文学、正統派や王道とは少し遠い、所謂サブカルチャーやヴィレッジヴァンガードの商品棚に陳列されていそうなもの、あるいは邪道や王道から少し道が外れたものが並んでいるなあと感じた。

ここでいうサブカルチャー。ヴィレッジヴァンガードの商品棚に陳列されていそうなものが並んでいること。邪道や王道から少し外れたもの、は卑下た表現ではなく、適切な表現が見つからず分かりやすく言っていることにご留意願いたい。

幼い頃からどこか王道というものがあまり好きではなかった。
周囲が童話で言うシンデレラや白雪姫のディズニーのプリンセスがメインのロマンス映画を好んでいた頃、私はワーナーブラザーズの親指姫・サンベリーナの冒険譚を見ていてディズニーでもアラジンの冒険譚を見ていた。
ごっこあそびをしていてもパパやママやお姉ちゃんなどに属することなく、ペットの猫とかうさぎをやっていた記憶がある。

「天邪鬼なの?」と言われたらそれもきっとあるし、「そういうのは自分が見る・演じる役柄ではない」というのもあったんだと思う。

今では正統派だとか普通という言葉は「何をもって普通とするか」という定義が当時とは違うけれども、その時はジェンダー観念は「男の子はブルーや黒で特撮や冒険ものが好きで、女の子は赤にピンクで人形遊びや恋愛ものが好き」だったのでそれに反骨心はなくとも、ふんわりと「なんで?」の気持ちが浮かんでいた。

当時我が家はだいぶ自由というか、両親は共働きであったし、祖父母は同居していないし、兄弟はいないしで私は一人っ子なもんで暇さえあれば一人遊び、もしくは何かアニメとかやってたらそれ見てていいからみたいなそんな家庭でした。
女の子だから少女漫画のものを、特撮は見ちゃ駄目みたいなのも無かった。

当時の風潮。当時の観念。当時の環境。当時の……と羅列をしたけれども、ふんわりと感じていた「なんで?」を無意識に抑圧されていたなあと思う。

今となっては正統派も王道も、嫌いではないし見聞きするとうんうん良い話だねとなるからいいけれども、でも何処かその「普通」と分類されるものに関してはコップの中に水を入れて満遍なく7~8割は満たしてくれるけれども満杯にはならない感覚だった。

そんな心の隙間というか、コップを満杯に満たしてくれたのがサブカルチャーや邪道、王道から少し横道に逸れたものだったりした。
当時はアングラなものに心惹かれていた時でもあった……と思う。それもあってそういうのに心惹かれていたのは否定できない。
でも心の中にあるコップを満たしてくれたのはそういったものなんだよなあ。

王道や正統派なものに対してそれが正解、とラベリングをされていたと思うんです。当時は。だからその正解に対していいや違うね!と反骨精神もあったし、その正解や正しさや清さに対して、自分が間違いと言われているようで嫌だった。のもある。
どうしでも心の隙間やコップを満杯にしてくれるのはサブカルチャーに分類されるものだったから、そういうサブカルチャーが落ち着く、みたいなところは正直否定しないし、実際好きなものは好きなんですよね。

今では多種多様に分類しよう、というかそうい区分けできない・しきれないようなものもできたと思う。
だから何が普通か普通じゃないかとか。正解か不正解かもなくなって、ああいろんな形があっていなと思う。

サブカルチャーは今はメディアに出たりもしてカルチャーとサブカルチャーの違いとは何だろうみたいになって、その内カルチャーとして浸透するのかなあとも思ったんですけれども所謂エログロ系のR指定の分類も入って来るので完全には無くならないだろう、でも薄れてはいくのかなと思いつつ。ゾーニングはしっかりしてくれたらまあ良いんじゃないかなと思うところ。

それが寂しいとか悲しいとかではないし、それでもやはりサブカルチャーと分類される・されたものをやっぱり好きになるだろうし好きでいたいし、時折見返しては好きだなあって思いたいです。

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