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『エイリアン』~「ノストロモ号」だけでなくショットにも起こる異常事態~

こんにちは。

今回取り扱う作品は1979年公開の『エイリアン』(監督:リドリー・スコット)です。

簡単なあらすじを紹介しておきます。

あらすじ
西暦2122年、宇宙貨物船ノストロモ号は地球へ帰還する途中であった。到着間際になったとき、船を制御するコンピューター「マザー」がある信号の発生源へと進路を変更していたことが判明する。発信源の小惑星についたノストロモ号から3名の船員が調査に向かった。一方、船内に残った通信士リプリー(演:シガニー・ウィーバー)は信号を解析し、それが警告であることに気が付く。果たして信号は何を警告していたのか。そして船員たちの運命は…

本稿は『エイリアン』のストーリーに関する重要なネタバレがあるため、未鑑賞の方はここで引き返していただくことをお勧めします。また、基本的に作品を観た方が読まれるという前提で執筆しているということをご了承ください。

本稿の構成としては、まず「チェストバスター」が登場するシーンでの興味深いショットについて検討した後、別の場面で通常とは異なるルッキングルームを用いた表現に着目して分析を行います。

それでは内容に入っていきましょう。

ショット分析①「チェストバスターのシーン」

まず、宇宙船の副長であるケインが寄生されており、彼の胸をエイリアンの幼体であるチェストバスターが食い破って出てくるという衝撃的なシーンに興味深いショットがあったので、これについて検討します。

上の画像はチェストバスターがケインの胸を突き破って出てきたことに驚きを隠せない船員たちです。そして下の画像はチェストバスターを殺そうとした船員を止める科学責任者のアッシュの様子を映したショットです。

上の画像では、実際には船員たちに身長差が存在しているのにも関わらず、4人ともが全く同じようなサイズ感で映しだされています。さらに、被写界深度の深いレンズでの撮影がなされているため、4人全員に焦点が合っていて誰もぼやけていません。

このことから、画面中の4人ともが状況について理解できていないという点での調和を視覚的に表されていると考えられます。

一方で下の画像では2人の人物が映されていますが、被写界深度の浅いレンズを用いているため手前のアッシュにのみしか焦点があっておらず、後景の人物はぼやけてしまっています。そのため、この画像を見た瞬間にはアッシュに対して注意が向くように設計されているといえます。

ここでストーリー上の重大なネタバレをしますと、アッシュは実はアンドロイドであり、ノストロモ号に与えられた指令も「エイリアンの確保が最重要であり、船員の生死は問わない」というものでした。そして、このことについてアッシュ以外の人物は知らされていませんでした。

ここにある船員とアッシュとの情報量の差を示すためにこのようなショットが用いられたと考えられます。つまり、知らないということで調和する船員たちと知っていることで調和できないアッシュを表現しているのです。

また、アッシュがアンドロイドであるから人間である船員と調和できないと読み解くこともできます。

いずれにしても、この場面における視覚表現上のメッセージは「アッシュが船員たちと協調していない」ということです。

(アッシュの後景の人物が操縦士ランバートであったことについてですが、彼女は船内でエイリアンが成長したことで何人か死んでしまった後の作戦会議において一人だけ船外への脱出を提案しているという点で回りに協調できませんでした。これが上記のことについての理由だとするのは考えすぎでしょうか。)

ショット分析②「ルッキングルームの非確保」

次に、本作におけるルッキングルームについて着目します。

ここでルッキングルームについて定義すると、映画や漫画などにおいて人物の視線の先にその人物が見ている対象物があることを表すためのスペースのことです。

話を戻しましょう。

この2枚の画像は、エイリアンの襲撃により船員たちがどんどん殺され、4人にまで減ってしまったため、今後の作戦を検討しているシーンです。

上のリプリーのクロースアップは、話している人物の方向にルッキングルームが確保されています。視線の先にいる話者との距離から、この幅は適切であるといえます。

一方で下のランバートのクロースアップは、話者の方向を向いているのにも関わらずルッキングルームが極端に少ないです。いくら話者との距離が近いとはいえ少なすぎるように思われます。

三分割法に(ほぼ)従って比べてみましょう。

リプリーのルッキングルームのおよそ半分しかないことが分かります。

通常はリプリーのようにルッキングルームを広くとることで視線の先に見ているものがあることを観客にも意識させます。

(上:『ゴッドファーザー』より引用 下:『ダンケルク』より引用)

では、ランバートのようにルッキングルームを確保せず、背後のスペースを広くすることにはどのような効果があるのでしょうか。

このような構図が観客に与える印象としては、「背後から何かが迫っていて追いつめられている、危機が迫っている」といったものです。

ランバートはここから進んだ場面でエイリアンによって殺されてしまいますが、このショットの主たる目的は「得体のしれないものに襲われているという恐怖」を観客に与えることだと推測できます。

また、会話シーンというルッキングルームの確保が重要な場面において、あえてそれをしないことで観客の心に微細な違和感を抱かせ、その違和感から恐怖を増強させる意図があったとも考えられます。

結論としては、ルッキングルームをあえて確保しないことでノストロモ号の船員たちが感じている恐怖を観客に伝え、観客自身が恐怖を感じるように仕向ける意図があったと考えられます。

最後に

最後まで稚拙な文章にお付き合いいただきありがとうございます。

エイリアンを初めて観たのは、いつだったのかも思い出せないほど昔です。ただあの時の感想は怖かったというもの以外ありませんでした。まあこれは私自身がびびりなだけということもありますが…

今回はたまたまテレビをつけたらやっていたので分析しながら観てみようというつもりで観ていました。おかげで全く怖くなかったです。

また、今回の分析でホラー映画のショット分析も楽しそうだなと思ったのでそのうち挑戦してみたいです。

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