セブ留学をつむぐ。

ああ、やはり持たなかったか。
まさか1つ記事を書いて飽きてしまうとは。
自分の飽き性に心底呆れる。阿呆か。
今回は先日行ったセブ留学についてお伝えしたく言葉を紡いでみる。

セブ島という場所をご存知であろうか。
リゾート地というイメージをお持ちの方が多いであろうその島は、
フィリピンの南部に位置する離島の中で一番栄えている島である。
直行便だと約5時間。
わたしは格安航空で向かったため、
成田空港から釜山を経由しマクタンまでトランジット含め約半日掛かった。
何故こんなに遠い国に行くことになったのか。

それは、弊劇団 空白ゲノムのプロデューサーである
えのもとぐりむ氏からの

「劇団全員でセブ留学したら面白くね?」

の一言からである。

それは劇団旗揚げ前の7月末、都内某所。
何も聞かされずえのもとぐりむ氏の書斎に集められた劇団員に伝えられた。

わたしは、正直困惑より何より先に
「なんてクレイジーで面白いひとなんだ、一生ついてく」
と心躍らせていた。
元来から無鉄砲なわたしは翌日部長に伝え退職願を提出した。
セブ留学をする権利を得た代わりに、わたしは職を失った。

そのあとのサプライズも凄まじかった。
セブ公演、夢セブの参加、主宰の旅費をセブで稼ぐ・・・
何か良く解らないが、一生ついてくと心に決めた。

セブ島では、英語の勉強4時間に加え夢セブの練習、セブ公演の練習と
休む暇なく遊ぶ暇なく毎日が過ぎていった。
英語を聞くと眠くなるほど英語が嫌いなわたしであったが、
先生方がとても優しく教えてくれたためある程度聞き取れるようになった。​AHGS English Academy のジャネット先生、メアリージョイ先生
本当にお世話になりました。
明るく楽しく英語が話せるようになったのは先生方のお陰様です!

日々の英語の勉強と街ブラでの現地の方との交流の甲斐有って
何とか英語はモノになってきたのだが、
一番大変だったことはまた別にある。

セブ公演の集客である。

本来はこんな裏事情を書くべきではないことは解っている。
が、書かずにはいられないほど苦労したがかなり楽しい思い出であるため
泥臭い思い出を語らせていただきたい。

未開の地、セブでの日本語公演。
「どうせ知らない土地だからダメ元でしょ」
「お客様来なくても何とかなるっしょ」
正直、正直な話最初は舐めてかかっていた。舐め腐っていた。

そんな浮付いたわたしを、劇団員を厳しく律してくださったのは
えのもとぐりむ氏と氏の先輩の175RのSHOGO氏である。

「芸事舐めんな、死ぬ気で売れ」

本来一生関わらせていただくことのないような方から
お叱りをいただいたわたし達は、毎日販促に走ることとなる。

来る日も来る日も日本人の居るところへ走り回った。
時には道に迷い、細い真っ暗な路地を震えながら歩いた。
野犬に囲まれ吠え追い回される時もあった。
それでも歩き続けた結果、心温まる出会いを何度も経験することとなる。

一力茶屋、ママのりょうこさん。

一力

ゲストハウス和(のどか)さん。

和

ゲストハウス Uh-Huh Houseさん。

画像3

出逢ってくださって、本当に本当にありがとうございました!

一力茶屋さんでおいしいカレーうどんをいただき、
ゲストハウス和さんで楽しくお話しし、
ゲストハウスUh-Huh Houseさんで夢を語り合いました。

ご縁はご縁を繋ぎ、お陰様でセブ公演は満員御礼となりました。ご来場くださった方々、本当に本当にありがとうございました!

セブ島でこんな素敵なご縁を結べたのは、
SHOGO氏、えのもとぐりむ氏のお言葉があったお陰様です。
本来は言われる前にやらねばならないことを言わせてしまい申し訳ございませんでした。
お言葉をかけてくださり、本当にありがとうございました!

正直、色々有りすぎて語りつくせない。
素敵で心に留めておきたい思い出や苦い思い出などたくさんある。
それは少しずつ、ぽつりぽつりと紡いでいけたらと思う。

今回の留学は、本当に一から十まで感謝しかないものであった。
わたしは一人では生きられない。
何でも明るく笑って優しく接してくださったセブの方々に
最大の感謝をお伝えしたい。
必ず近年中に戻ります。
お礼を直接お伝えさせてくださいませ。

最後に、セブ留学のすべてを支えてくださった
AHGS English Academy  の皆様に最大の感謝を。
短い間でしたがわたしたち空白ゲノムを支えてくださり本当にありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

名前も知らないあなたへ、また見に来てね。

瑞貴つむぐ

ごはん代になります。