盗んだバイクで走っていいわけなくて

自分は他人にどう思われるかを気にして自分の好きな曲が変わることがある。小学校の時、GReeeeNを聞かないわけにはいかなかったし、最近まではあいみょん、King Gnu、Official髭男dismの曲を知らないとドライブなんて楽しくない。今周りのブームは専らHIP HOPだ。実際、周りに影響されて聞く音楽ははまりやすいし、なんだかんだ「最高だ」と思ってしまうちょろい人間なんだ。もうドライブで困ることは全くない、注意することと言えば高速道路での湘南乃風だ。あれは飛ばしたくなる。海に向かってるとなるとなおさらだ。まあこんな風に自分のプレイリストはみんなの寄せ集めであり、流行の年表となった。そんな中で私がずっと聞いている曲がある。尾崎豊の『15の夜』だ。これは流行り廃りなく、ずっと聞いている。酔って歩く帰り道に聞き、なんて自由な歌なんだろう、と。いつ聞いてもかっこよく思えてしまう。人がかっこいいと思うのは自分にそれができないからではないだろうか。自分は夜に抜け出す勇気もなければ、バイクを盗む勇気もない。そこがかっこいいわけではない。事実、抜け出したくないし、盗んでいいわけない。ただ、自由じゃないと感じたその瞬間からその中での生き方を探すのではなく、自由になるための方法を考える15の男は激しく漢気にあふれているではないか。この曲は若者が大人と心を通わすことができず、敵意をむき出しにし、自由を求めるといった歌である。今の時代自由を求めることはマイノリティでわがままな考えに思われることが多いような気がする。みんな同じようなレールで同じように生きている。そのレールからはみ出たのは落ちこぼれと言われる。『15の夜』を聞くとやりたくないのにレールに乗ってるものこそあほらしいと思ってしまう。周りのことを気にしすぎて自分のことを大事にできなくなる。私も今度こそ周りに伝えよう、「その曲よりも『15の夜』がいいぞ」と。

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