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「3月のライオン」を読んで

漫画「3月のライオン」についての感想文を書きたいと思います。大好きな方も多いと思いますが、私も大好きな漫画です!

「3月のライオン」はある日突然家族を交通事故で失った少年桐山零がプロ棋士になり、プロ棋士として、人として成長していくお話です。全く将棋のことを知らなくても、そして途中将棋の内容が全然わからなくなったとしてもぐいぐい引き込まれてしまう、なんていうか一度読み始めたら息をするのも忘れてるんじゃないかと思うくらい吸引力の強い漫画だと思います。そのくらい熱量がすごい。

「3月のライオン」をたった一つの形容詞をつけて感想を言うならなんだろう…とずっと考えていたのですが、私は美しいが一番似つかわしいんじゃないかと思いました。いや、そんな簡単な話ではないことは重々承知の上です。そうです。3月のライオンはそんな簡単な話ではありません。むしろ殴り合いの喧嘩をしているような将棋や、ずる賢く勝ちに行くような将棋があり、業火に焼かれているようなシーンが幾度となく訪れ、その度に読む方も七転八倒します。何度ぼろぼろと涙を流しながら読んだかわかりません。

将棋もですが、主人公やその周辺の人達の暮らしにも平坦とは言いがたい難しい問題が何度も降りかかってきます。登場人物が誰一人として問題を抱えていない人はいない、といってもいいかもしれません。特に主人公である桐山零。実父の友人である幸田の家に引き取られ、プロ棋士になり17歳で育ててくれた義理の父に将棋で勝ってしまうシーンから始まるなんて、もうはじめから心が軋んでしまいます。

幸田家で生きていく為には将棋がうまくならなきゃいけない。必死に勉強する零とその差を感じてどんどん歪んでいく姉と弟。努力すれば努力するほど家の空気が悪くなり、でもそれ以外自分の居場所を確保する方法のない男の子。歪みの原因である自分をどうにかしたくて家を出るためにまた必死に将棋をする零。

家を出ることになってホッとするのと同時に、無力感と孤独感に襲われます。そんな時に出会う暖かくて明るい空気を纏う3姉妹あかり、ひなた、もも。食事に無関心な零にご飯を食べさせ、零が生きることを応援をし、文字通りあかりと日向を湯水のように惜しげもなく降り注ぐ3姉妹。でもその三姉妹にも困難が訪れます。困難ではないですね、災難…いじめやびっくりするほど自己中心的な父の再訪。物語はこのとき沼に引きずり込まれるような重苦しい状況に苛まれます。

3月のライオンはどちらかというとずっと重い空気の中、霧の中を手探りで一歩一歩歩いて行くような漫画です。少なくとも3姉妹の父の登場シーンまでは本当に読んでいて、ああどうしたらいいんだ、大丈夫なんだろうか、頑張れ頑張れと言い続けてしまうシーンが本当に多い。

でも、何にでも遠慮して自分を透明人間のように扱う零が、学校の担任の林田先生や親友と自負する二階堂君、その他たくさんの周りの人に助けられてどんどん人間らしさを取り戻していくシーンや、3姉妹が柔らかい明かりをずーっと照らし続けてくれるシーンはそれまでの重苦しさを跳ね飛ばしていくくらいのまばゆい光や暖かさを発して零を明るく照らします。その時の明かりは本当に美しい光を放ちます。暗闇に一筋の目印を見つけたように。

また、対戦相手、ライバル自身もそれぞれ抱える事情がそれぞれ重い。新たに棋士が登場すると、その都度主役が入れ替わるくらいの背負った環境、歴史があり、そのまんま力任せに将棋にぶつける姿は圧巻です。

仕事ですから。プロですから。生活がかかっていますから。もうそこを居場所と決めた人間が必死になるのは当たり前と言ってしまえば当たり前ですが、でもそれが一方ではみっともなく、あるいは狡さが垣間見え、あるいはまた酷く残酷に見えてしまう時も…読む側としてはいっとき不快だったり憎かったり哀しかったり思えるのに…その一方で、そこを突き詰めた先に見えるのは凜と花が咲くような美しい姿だったりするのです。将棋の世界に真剣に取り組み、例え辛さから逃げ回ったり、逃げ道のない場所を繰り返し繰り返し逡巡しただけに見えたとしても、情熱と努力の時間をとてつもない時間突っ込んできた人間の姿は、やはりそれは美しいとしか形容しがたい。それがしわくちゃなおじいちゃんの姿だとしても。

三姉妹の真ん中のひなちゃんも、これだけの苦境(学校のいじめや父)があるのに、健気に頑張る女の子です。友達がいじめられたときに我慢できずに刃向かってしまった瞬間から次のターゲットになってしまう。でも、彼女の心は折れそうになりながらも心の中の芯は折れない。折らせない。その強さもまた零の心に響く強い美しさなのだと思うのです。そして、難敵父に立ち向い家族を必死に守ろうと震えながらも一歩も譲らないあかりさんもまた。

これだけ苦難に満ちた世界を描きながらも、読んでいて感じるのは癒やしであり人の美しさです。まるで生きること自体が素晴らしいことなのよ、悩むことも負けることも停滞することも、怒ることも憎むことも含めて、(勿論楽しむことも食べることも友人と素敵な時間をたくさん過ごすことも)息をして生きることは美しいと、人間は愛らしい生き物なのよ、と囁かれているように。そして、ひとりで生きてはだめよ、周りに頼りなさいとも。頼り頼られるから、弱くても強くなれるのよと。

それから、神様に愛された子どもと称される宗谷名人。史上初七大タイトルすべてを制覇している最強の棋士と零が対戦する時の時間もまた美しいシーンです。

将棋が全然わからないので、こんな美しい光景がそこに広がっているのですか?と思いました。「もしもしあなたは誰ですか?」との問いから始まる戦い。対話をするように、静かに戯れるように将棋を指す、コマの音だけが響く時間…相手の思考もなにも入ってこなくてただただ真っ白な中にいる。そんな静謐な時間に二人だけで落ち着ける場所が、本当にあるのだとしたらすごい素敵だ…と思ったのです。

宗谷名人の将棋は戯れるように将棋を打ちますよね。島田さんと対局するときも、二階堂君と対局するときも。すごく楽しそう。

それからもう一つ、「3月のライオン」を美しいと言いたいところを最後にあげます。とにかく風景と文章が美しい。

羽海野先生の漫画の特徴と言ってもよいと思うんですけど、いくつもの感情や状況が輪唱するように、追いかけっこするように表現されるところがいつも心をきゅっと締め付けられるような気持ちにさせられます。感情ってそうだな、ひとつじゃないな、嬉しかったり哀しかったり苦しかったり、いくつもの感情が同時に湧き上がるし、自分の気持ちだけじゃなくて対する相手の気持ちも一生懸命考えるし、今の状況はどうだ?とか、これからどうしようとか、ごはんも今のうち食べておかなきゃとか…本当に複雑に重なった気持ちや状況がゆっくり流れるようにいくつもいくつも浮かんでくると思うんです。それが本当に美しく現わされている素敵なシーン。

それから大きな舞台として、大きな4つの河に囲まれる六月町と三月町。零がひっそりと暮らすために準備した雨が似合いそうな名前の六月町と橋を渡って行く先に3姉妹が住んでいる三月町。

河はゆったりと流れるその様子のように少しずつ時が流れ、少しずつ成長し、またいくつもの声にならないような声や心情を優しく飲み込んでくれるように存在します。

「3月のライオン」の2巻のあとがきに、「主人公の零君が無口で考え事をしているシーンが多い為、広い空や河と一緒に描いてあげたいと思ってロケハンをしてたくさん写真を撮ってかいています」とあります。

河をはじめとして天候など、登場人物と呼応するかのような風景の描写、また心象風景が水に潜ったり、数多くのたすきで覆われたり、肌や視覚や嗅覚で感じられて、そして添えられた文章もまた美しい。何度読み返しても素敵だな…と思います。

将棋の順位戦は六月に始まり三月までかけてやるそうです。零はきっと何度も何年も対局をし、3月のライオンになるために挑み続けるのでしょう。その先に見える風景はどんな光景なのでしょうか?楽しみにゆっくりと待ちたいと思います。

長い文章になってしまいましたが、ここまで読んで頂き本当にありがとうございます。



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