考えるんじゃなく、感じてみて
これからは今までのようには、先のことを予想しにくい世の中になってゆくんだろうな。
たとえば、私の母は今74歳だけど、彼女が50歳からの20年間は、自分が歳をとっての変化はあったとしても、世の中がひっくり返るような変化はなかったし、そんな心配をすることもなかったと思う。
でも、これからは一年先ですらわからない。
世の中が大きく変わっていくとしても不思議じゃない。これまでの「普通」は通用しなっていくと思う。
「みんながこうしてるから」「世間ではこれが普通だから」「いままでそうだったから」そこで安心してちゃ、いざというとき自分を守れないんじゃないかな。
「自分はどう生きたいのか」を常に考えて、選んでいかなきゃ。
私にとっていちばん大切なのは「自由」だ。私は自由でいたい。
行動も、思想も、生き方も、誰かにコントロールされたり拘束されたりしたくない。
「自由」でいるためには、できるだけ依存せずに生きてゆけるようにしなきゃ。
生きてゆくために不可欠な、食べ物や水さえも、コントロールされる日が来るかもしれないから。
現に、種苗法の改正や、水道民営化への動きで、これまでのように種や水を守ることができなくなってくる。
農家さんは種の自家採取が禁止されて、毎回種を購入しないといけなくなる。世界の「食」や「水」を握ろうとしている大きなものに。それは命を握られることと同じだ。
だから今までのように、お金さえあれば安心ってことじゃなくなるように思う。お金って、いざ世の中が変わってしまえばただの紙切れだから。いや、紙切れのお金すらなくそうとする流れか。
デジタル管理下では首根っこを押さえられたらおしまい。そんな不安定なものに自分の人生を預けられない。
確かなもの。
自分が「これは確かだ」と思えるものを手に入れておかなきゃ。いつかじゃなくて、今できることを、少しでも早く。
お金が無いと一日も暮らせないような生活から、ちゃんとこの手に取り戻さなきゃ、自分の人生を。
耳を澄まして、匂いをかいで、野生の動物みたいに。ほんとうは、みんなわかってるんじゃないかな、備わってるはず。
自分の心や身体、魂の声みたいなものが、どうしたいのかを教えてくれてる。それに耳を傾けよう。頭で考えるんじゃなくて。
あたりまえって思わされてることも、いちど疑ってみる。自分で選んだように思ってたけど、じつはそう思い込まされてただけってこと、たくさんある。この世に生まれてからずっと。
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