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充電Day

週末になったので、転職活動中の私は空いた時間で求人をチェックしていた。

どの求人を見ても「自分にはできなさそう」という気持ちがまず始めに浮かぶし、「特別にはなれない自分」にずっと失望しながら今後生きていかないといけないのか、と思うとふと生きる目的が揺らぐ。

最近気付いたこと。
自分は「他者から認めてもらう」ことで自分の存在価値を見出そうとしている。

この考えではいつまで経っても幸せだと感じることはできないだろう。なぜなら他者の気持ちをコントロールすることなんて誰にもできないからだ。

転職活動をする過程で自分が何をやりたいのか、どんな仕事だったらやりがいを感じられそうなのか、といったことをここ最近はずっと考えている。
結論として挙がってくるのは大抵「誰かの役に立ちたい」とか「スキルアップしたい」という気持ちだ。

この2つの気持ちは「自分に自信が無い」という背景から生まれているのかもしれない。

「誰かの役に立ちたい」という気持ちを深堀りすると「誰かの役に立てることでようやく自分の存在価値が生まれる」という考えの自分がいるし

「スキルアップしたい」という気持ちを深堀りすると「スキルが無い限り自分には存在価値が無い」という考えの自分がいる。

綺麗ごとを言うようだが、誰だってただそこにいるだけで存在価値はあるはずだし、実際、自分が他者に対して「あの人はスキルが無いから駄目だ」なんてことは思わない。

そんなことよりも、その人が人として大切なものを持ち合わせているかどうかということが重要だし、それは決してスキルや能力といったことではない。

そう思っているはずなのに、何故か自分自身に対しては同じように思えない。
自分自身のことになると途端に「何かを成し遂げない限り自分には存在価値がない」という気持ちになってしまう。

でも現実では、何かを成し遂げるための努力をそこまでしていない自分自身に嫌気が差して、落ち込む。

そんな負の連鎖をずっと繰り返している。

自分の価値観に沿って思うままに生き、そんな自分を自分自身で容認できるようになって初めて幸せに近付けるのではないかと思う。

そんなことを考えながら昨日は眠りについた。

日曜日の朝、唐突に「とりあえず何でもいいから自分自身を楽しませてあげないと、何をするにもエネルギーが湧かない」と思い、今日は思い付くままやりたいと思ったことを全てやった。

整体に行ったり、
町中華でエビチリ定食を食べたり、
春の陽気を感じながら公園を散歩したり、
普段食べないパンを食べてみたり、

最近、整体に行くことや外食はあまりしていなかった。
自分のためにお金を使うことに対してなんとなく罪悪感を感じていたからだ。ただ、今日はその罪悪感を全て無視することにした。

単純だが、それだけでも結構エネルギーが充電できたと思う。

あれやこれやとネガティブなことを考えてはnoteに書いたりするが、結局のところ「美味しいものを食べて散歩する」というこんなシンプルなことだけで回復できるなんて自分はなんて単純なんだろうと、少し恥ずかしい。

それでも、いい1日だと思えた。
それだけ十分。

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