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なんだか「うれしい」note生活

ご無沙汰しています。米田です。

肩の力が抜ける。そして、たまにうれしい。
これがnoteを初めて少し経った私の感想です。

書くことで心や頭の整理整頓が出来て、誰の目に触れなくとも気持ちが落ち着いたりする。でもそれだけではなく、書いたものを読んでもらえることは、気持ちをふっと軽くしてくれるようなところがある。

力みに力んで描いた小説も、勢いをそのままにぶつけた小説も、のんびりまったり綴ったエッセイも、私自身を左右することはありません。でも、スキを頂けると、「見てるよ〜」「大丈夫だよ〜」と声をかけられているような、そんなくすぐったい気持ちになるのです。

スキを受け取った私の「うれしい」気持ちは、身近なもので例えるならば、タンポポの綿毛のような形です。
ふわふわと右に左に曖昧に飛ぶので、しばらくぼーっと見つめてしまうような、そんな感じです。

ふっと肩の力が抜けてほっと息をつき、気持ちが柔らかくほぐされる。そして、いつもより丁寧に掃除をしてみたり、少しだけ口角を上げてみようかな?と思ったり。
我ながらとても単純な思考。でもそれがなんだか癖になる。これは承認欲求というもののひとつなのでしょう。

うれしい。
うれしいが原動力になることも、うれしい。

私が書いたものや描いた人物が、誰かの目にとまって、ほんの少しでも余韻が残っていてくれたら嬉しいなぁと、飛んでいった綿毛を見て思っています。



「#忘れられない恋物語」をテーマに書かせて頂いたお話に、多くの方からスキを頂きました。
お読みいただき、スキまで送ってくださり、本当にありがとうございます。(小説はこちらです)

少し矛盾しているようですが、例え悪い意味であったとしても、忘れられない人や、心に在り続ける人と巡り合えることは、実は幸せなことだったりするのかなぁと思ったりしています。

年齢を問わず、お話していて楽しい方を観察していると、人や物との関わりを大切にしている方がすごく多い印象なのです。それは当たり前のようで、継続していくことがとても難しい。
ぶつかったり弾けたりしながら色んな人や物と向き合って時間と心を割いた分、実感として記憶が残るのでしょうか。辛くても、苦くても、「後から思い返せば」と話し出すその表情はとてもイキイキしています。
そういう方々のお話は言葉の表現方法も様々で、いくら聞いていても、不思議と飽きないのです。
いつか私もそんな大人になりたい。

ぽっ と浮かんで ふわっ と飛んで、すれ違ったこともない誰かの中に着陸して、ふと見ると咲いている。
そんなお話を、描いていきたいです。

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