ペドロ&カプリシャスの話

私は、懐かしめの歌がとても好きである。
愛用のウォークマンには、邦楽洋楽・年代を問わず様々な曲がこれでもか、と入っている。

今日の話は、ペドロ&カプリシャスについて。
かつて、高橋真梨子さんが在籍していた、あの素敵バンドについてである。

ある日。
『ジョニィへの伝言』と『五番街のマリーへ』を聴いていて、ふと思った。


この2曲、繋がってるんじゃね?
2曲で1つの物語なんじゃね?


おいおい、小娘。何言ってんだ。
と思っただろう。私もそう思った。だが、歌詞を見て私は確信したのだ。


阿久悠、やりやがったな。と。
(大先生をまさかの呼び捨て)


ではここで、ひやむぎによる超意訳版『ジョニィへの伝言』
主人公(女性)「ジョニィが来たら、私が2時間待ってたって伝えといて。お酒のついででいいから。え、私?これからどうするかって?踊り子に戻るから大丈夫。ポジティブだし。Going My Wayって感じで生きていくから平気平気!じゃ、バスの時間あるんで。くれぐれもうまく伝えてね」

同じく超意訳版『五番街のマリーへ』
主人公(男性)「五番街に行くんだったら、ついでにマリーって娘がどんな暮らししてるか見てきてくれる?いや、ちょっと、自分で行くのはキツいっていうか…。いろいろあったというか…。とりあえず、マリーがどうしてるか見てきて。もし、結婚してたら見て来なくていいけども…とりあえず、はい。よろしく」

我ながら酷い超意訳だけど、歌詞も曲も素晴らしいので是非聴いてみてほしい。

そして、問題はここからである。

歌詞を見ると、2曲ともそれぞれ、主人公がジョニィ(または自身)の友達に伝言をしている共通点がある。私は、この共通点からこう思ったのだ。


もし、この友達が同一人物だとしたら。

『ジョニィへの伝言』の主人公(女性)が『五番街のマリー』で、『五番街のマリーへ』の主人公(男性)が『ジョニィ』だとしたら。


この2曲の世界線は実は同じで、2曲で1つの物語として成立するんじゃない!?


と。


阿久悠、やりがっt…


これはあくまで、私の勝手な推測&妄想の産物だし、少なくとも私は公式な見解を見たり聞いたりしていないので実際は違うかもしれないが、そう考えるとある種の文学として音楽を楽しむというのもありなのではないかなと思う。

とりあえず、この件に関して同じ考えだよって人!ハートマーク見えますでしょ!

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