見出し画像

2年次の過ごし方。

前回のとおり、なんだかもやもやしたまま始まった2年生。

始業式→行きませんでした。

プリントや宿題になってるところを聞いたり、連絡事項などを受け取るために私は1年の頃と同じくほぼ毎日せっせと学校へ。

下校時に合わせていくので、子どもたちとも会う。とてもうるさい下駄箱周辺の音を聞きながら「これは息子には酷だ…」と再認識。加えて、学校行きたくないの原因の子どもがしれっと「なんで学校来ないの?」などと聞いてくる。

「お前のせいだ」と言いたいところをぐっとこらえて、その子がやったことをあえてほかの子がやったことのようにお話ししてみると「それはひどいなー」と。だろ?ひどいよねぇ?いつか気づいて省みろよ?とかなり性格が悪い私(-_-;)。

一方で家でやってる勉強は明らかに学校のより先行してて、学校から渡される「ドリル、ここやってきてくださーい」とかがむしろ邪魔に( ;∀;)。

一方、息子は放課後ちょこっとなら先生と会ってもいい、ということで塾の帰りに少しだけ学校へ顔を出すことに。

そこでモヤモヤが顕在化した。

「ねー、〇〇さ~ん、今度こんな授業あるんだけどちょこっと来てみない?」

登校刺激である。

息子は渋る。渋る息子に「どうかなー?楽しいよ??」と畳みかける担任。

担任の中では学校は楽しいところ、あるいは楽しそうなところだと先生自身がウキウキしながら話しかければ興味を持ってもらえるかな?くらいの認識かもしれないけれど、息子にとっては、話が(妥当性のある話をしても)通じない上に、吠えれば勝てるってところだけわかってエラそうな顔をする人がいる環境そのものが嫌いなのだから、「楽しい」などと思えるわけもなく(*_*;。

後日やんわりと「登校刺激はしないでほしい」旨を伝えたけれどこれがおさまるまで半年はかかった。

目につく「一律主義」めいた指導法や「同調圧力」でこっちが精神的に追い詰められたので、正直、子どもが不登校を選択したら、ヘタに学校とつながりを持ち続けようとか思わなくていいかも!とすら思った。

一方で、放デイは、というと、「(子どもに合わせて)支援します」というよりは「(組んだプログラムに子どもを合わせて)指導します」という感じで、設立当初に言っていた内容とはかけ離れたことをやっていてこちらも頭が痛い状態でもあった。

居場所ほしいけれど、合うところがないね…というより息子、家で日々の学習が終わったらマイペースにゲーム(2年夏まではマイクラ一辺倒、それ以降はマイクラに加え、フォートナイトやモンハン、スーパーマリオオデッセイなどなど)をやったりするほうが大好き、が続いて生活のパターンがゲームを柱にそれ以外をちょこちょこと、で固まりだしていた。

そんなこんなで、母親は学校とのやり取りの中でメンタルを削られつつ、本人は本人なりに生活のパターンを作りつつ日々が過ぎて。

2年生の11月に、特別支援教育相談センターへ電話して、かねてから少しだけ話の出ていた「WISC検査」を受けさせてもらうことになった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?