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この世界から音楽がなくなったら私は生きていけないと思う

つい先日、「車の運転中一人でいるときに何をしているか」という話題になったとき、なにもしていない、という人が一定の割合でこの世界にいるという事を初めて知った。驚愕した、は言い過ぎかもしれないけれど、わりと驚いてしまった。だって、車の中なんて好きな音楽が聞き放題なのに、と。

代車を運転するときも無音が悲しいからわざわざラジオにするし、最新のイヤホンが出れば必ずチェックするし(高くて買えないけど)、ヒットしている曲のランキングは海外日本問わず知っておきたいし、大好きなアーティストのMVがプレミア公開すると知っているときなんかは、仕事を頑張るモチベになったりする日常を送る自分が、わりと音楽が好きなタイプの人なんだとそこで初めて認識できた気がした。

考えてみれば、仕事中の有線をのぞいて、私は基本的にずっと自分の好きな音楽を聴いている。仕事の休憩中、料理中、洗濯物を干している最中、小説をかいている最中、お風呂に浸かっている最中。Spotifyプレミアムの月額使用料分、めいっぱい使うぞ!という心意気(?)もあってか、年で考えると相当な時間を音楽を聴くことに費やしている。

だから、聴かないという選択肢のある人生のことを理解しようとしてみたり、思いを馳せようと試みたことがなかった。でも、よくよく考えたら、ああ、そうだよな、そういうひともいるよな、と。
理由までは聞かなかったけれど、雑音に聞こえるようにいるひともいるかもしれないし、単純に興味がないだけのひともいるだろう。人間なんだから、そういう違いがあるなんてあたりまえのこと。

──でも、もし、この世界に音楽がなかったら?

夜眠る前に浮かんだその考えは、0時を過ぎても眠れなくする程度には私を悲しい気持ちにさせた。
創作物はたしかに人間が生きていく上で優先順位の高いものじゃない。
私が日々楽しんでいる、自分の頭のなかにしか存在しない世界を、私以外のだれかが読んでも理解してもらえる世界にするための作業──執筆も、生命を維持するのに必須なものじゃない。

──いや、それって……ほんと?

小学生の頃、中学生の頃、高校生の頃、社会人になった今。
それぞれの時代の私を支えてくれた音楽は、間接的にだけど、だけど絶対に、私の一部になっている。音も、歌詞も、歌声も、身体の維持に必要な栄養素みたいに摂取できるものじゃないけど、絶対に。不思議とそう確信できる。

そんな私はこれからも、食べ物を食べることと同じくらい音楽を聴く時間を大切に生きていくんだろう。いつかあの有名なキャッチコピーを自分の目で確かめに行ってみたいなと密かに思いながら。

◇おまけ

「ひとりでいるとき、運転中って基本なにしてる?」
「ん-、無音かな」
「運転に集中してるってこと?」
「うん、まあそんなとこかな」
「そっか。それも良いね」
「でしょ。無音もいいよ。ちなみに窓開けたときの車の走行音が好き」
「おー、そういうことか。今度ひとりの時やってみようかな」
「やってみて。ウインカーの音とか響く感じもいいよ」
「分かった、玲菜は車が好きなんだね」
「あ、そうかも」
そう言って彼女は愛おしそうに車のハンドルをぎゅっと握る。助手席に座る僕は車内に静かに流れていたラジオのボリュームを0にして、半分ほど窓を開けた。薄い紫と深い紺色の混ざった空の下。車通りの少ない夜道を、静かなエンジン音とともに味わう車内も心地良いということを、今日、知れて良かった。
「風、気持ちいいね」
「でしょ」
得意げな横顔をする彼女のことをこれからもっと好きになる気がして、僕は耳に抜けるひとつひとつの音をしっかりと噛みしめた。いつか、僕の好きな音楽のことも、その曲を好きになった理由も、共有できる日がくるといいな。そんなことを揺れの控えめな車内でぼんやりと考えながら。

Fin.