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第1回あたらよ文学賞を振り返って

楽しみにしていた文芸ムックあたらよが届いた。
と、同時に、公開する予定のなかった、あたらよ文学賞の落選作品を公開しようという気持ちになった。第2回に向けて少しでも参考になったらいいな、という気持ち半分、あとは自分自身の作品を振り返ることで次に繋げていけたらいいな、という気持ち半分。

あたらよ文学賞のことを知ったのは、たぶん、それこそnoteだったと思う。
もともと短い物語を書くのが好きだったこともあって、3作品も応募できるなら、まずはいちばん短い3000字くらいのものを応募してみようかな、と思ったのがはじまりだった。(最終的にこの1作品しか応募できなかったのだけど)。

だから15000字の枠をたっぷりと余してしまったのは、そのせいでもある。最初から3000字くらいのものを書こうと思って、書いた。もちろん3000字がだめなわけではないと思うけれど、今振り返るとやはりもったいなかったなと思う。せっかく15000字という上限があるのだから、ある程度それを活かした短編なりの幅のある物語を書けたら良かった。反省。

それでも、わたしは今回応募した「明け方を航る鳥たちは」という作品を個人的にはある程度気に入っている。
まず、コンビニという場所を舞台に物語を書いてみたかったというのがある。あと、夜には「けだるさ」がよく似合うな、という思いから、そういう雰囲気の漂う物語をコンパクトに書きたかった。正直なところ、わたしはコンビニで働いた経験はない。そもそも「夜」が怖くて苦手だから、深夜のコンビニに行って買い物をしたこともほとんどない(というか、たぶん、ない)。

でも、やっぱり物語を書いているとき、自分の知らない世界のことを想像するのが楽しいから、知らない世界こそ、書きたい、と強く思っている。

真逆の発想というのだろうか。
嫌いで苦手なものほど、それを好きなひとの気持ちを想像してみる。
どれだけ頑張っても、自分のなかの「嫌い」「苦手」を「好き」「得意」にはできないから、せめてありったけの想像力をかき集めて、考えてみる。もちろん、自分のこころが疲弊しない程度に。
それは、物語を書くということだけではなくて、誰かとコミュニケーションをとる時にも意識的に心がけていたいという自分ルールなのかもしれない。

あとは、ひたすらにリアリティのある会話を書きたかった。これも好みの話になるけれど、わたしは文章から温度を感じられる物語が好きだ。
温度、というのは、光だったり音だったり、香りだったり、質感だったり。そういう類いのもの。日常生活を過ごしていて、とりこぼしてしまっている感覚を、ああ、そうだ、こういうときってこういう気持ちになるよな、こういうときって、こういうものに美しさを感じてるのかも知れないな、と再確認する作業がとても好きなのだ。そういう点でいえば今回は褒めていただけた部分もあったのかな、と思うので、それらは物語を書く上でこれからも大切にしていきたい。ただ、これからはリアリティに寄ったものだけじゃなく、物語らしい物語(特にファンタジー)を書くことにも挑戦してみたい。

最後に。
第1回あたらよ文学賞の各賞を受賞された皆様、改めておめでとうございます!そして、文芸ムックあたらよの創刊、本当におめでとうございます!
文学賞、そして、この文芸ムックがますます大きく世の中に羽ばたいていく素敵なものになることを心より願っております。

糸野 麦


◇第1回あたらよ文学賞 候補作『明け方を航る鳥たちは』

「永田さんってお母さんなんすか」

深夜の休憩に上がる直前、レジを挟んだ向こう側で気だるそうにしていた森本くんの声は、はじめて聞く彼なりの真剣さを帯びていた。

どこから、なぜ。
どうして知りたい?

返答するまでに数秒を要している私の目の前で、なんの滞りもなく進められる期間限定100円のあんまんへのテープ貼り。ぴー、と鳴った電子レンジから出てくる、数分後に賞味期限切れの鮭おにぎり。手際の良さに注目しながら、彼のごつごつとした手を見つめる。視線を落としたまま、そうだよ、と答えたけれど、返答をためらうほどのことなのか、と彼は感じただろうか、と思う。

「まじすか」

長髪の根本が黒く、その先からくすんだ金色が伸びたプリン頭の森本くんは、なんとなく満足のいっていないような表情をしたあと、私にそっとお釣りを渡した。カサついた指先がほんの少しだけ私の手に触れる。その表情の意味は分かりそうに無かったけれど、おそらく日中のシフトの時に小向さんあたりから聞いたのだろう。40くらいに見える彼女は店長の親戚で、どうやら訳ありで雇われているようだった。会ったのは日中のシフトに入った最初の数回のみで、その時に根掘り葉掘りプライベートなことを聞かれたのが印象に残っている。

「じゃあ、休憩入るからなんかあったら呼んで」

はい、という森本くんの返事を聞きながら、肩をかすめる程度の髪を結んでいた黒ゴムをほどくと、さっきしたばかりのトイレ掃除の匂いがするような気がした。最悪、と思いながら、店舗入り口近くの給湯器からカップ麺にお湯を注ぐ。ぱ、と手元のApple Watchが光り、23:02と現在時刻を示した。茅乃《かやの》の1歳の誕生日に撮った写真が表情され、私はふぅ、と息を吐く。

会いたい。

そう思う気持ちが許されないことだと知っていても願わずにいられないのは、私が弱い人間だからだと自分が一番よく知っている。知っていて、分かっていて、その上で目の前に差し出された優しさに流された。だらしないのだ。何もかも。

『歩美、自分がなにしたか分かってるの』

あの日の夫の声が耳の奥にこびりついて離れなくなったのは、おそらく私の心の中にも自分を戒めるという能力がわずかにでも残っていたからだろう。

給湯ボタンの手を止めて、ノンフライ麺とふたに書かれた文字を目でなぞり、内側から湧き上がるまとまりのない罪悪感を打ち消した。

最近森本くんの様子がおかしいからなんとなく聞いてみてくれない?深夜入ってくれる人少ないから辞めないか心配なんだよ、ほら永田さん仲良しでしょ、という思いやりのかけらもない店長の言葉を、私は先ほどから反芻していた。なんとなく、の後に続く、なにを、の部分が抜けていることも、仲良し、という言葉にも違和感を感じた。

そもそも森本くんは美容の専門学校に通っていて、まだ二十歳くらいの学生だと聞いている。それだってお喋りな小向さんが私に勝手に話してきたから知り得たことで、彼のことで知っていることといえば手際が良いことくらいしか思い浮かばない。"お姉さん"と声をかけるには、若干ためらいを覚える顔になってきたと感じる私との接点は、同じ時間に同じ場所で働いていることくらいしかないのだ。

「永田さんってあんまり笑わないっすよね」

だから、お客さんを送り出した深夜帯のコンビニで彼にそう話しかけられたとき、私はシンプルに動揺した。

また、だ。
なぜそんなことを突然。

低いトーンで発せられたその声を無視することもできず、お互いそれぞれのレジの前に立って、とりあえずまっすぐ前を向いた。若い男の子と話すのは昔から苦手で、自分の手の指先が少しずつ冷えていくのを感じる。

「そうだね」

私はくじの景品がぽつぽつと残った棚に向かって話す。定価の半額にしても売れ残っている景品は小さなものばかりで、購入する人はほとんどいなかった。パネルに赤いシールが貼られた1等から3等までの景品と違い、これなら当たっても嬉しくない、と思われてしまう景品たち。

「なんでですか」

「なんで、って。笑うのって楽しいときでしょ」

「楽しくないんすか」

「楽しくないよ」

私の語尾が強まったせいか、しん、とした空気が一瞬流れた。気を遣わせるようなことを言ってしまった、と思って、すぐに後悔し始める。

「ごめん、なんかこどもみたいな喋り方しちゃったね。森本くんは楽しい?」

「いや、楽しくないっすよ、毎日」

「だよね」

「だよねっていうあたり、永田さんっぽい」

「え?」

「や、大人って価値観押し付けてくるじゃないすか、こうだああだって。もっともらしいことつーか」

「うん」

「そーゆーのよくないと思って。だから、なんか、いい意味で大人っぽくない人と一緒にいると、ありがてえーって思います」

「なにそれ。褒めてる?」

もちろん褒めてますよ、めちゃくちゃ、と続けて笑った森本くんの声を、私はこの日はじめて聞いた。それを皮切りに私と彼は、ぽつぽつと間を縫うようにゆっくりと話しだす。

「私、想像だけに留められないようなおとなだからね」

「想像だけ、って?」

「うーん、そうだな。たとえばお母さんに今日あなたの好きな夜ご飯だからおやつ食べないようにね、って言われたとするでしょ」

「はい」

「お母さんが私のために言ってくれてることだって分かるし、美味しく好きなものを食べるために食べない方がいいってことも分かるけど、それでもお腹が空いちゃって目の前のたいして好きでもないお菓子に手をつけちゃう、みたいなこと」

「まあ、例えであって、そんな可愛い話じゃないんだけどね」

水滴のようにこぼれる私の話を、森本くんはそれはだめ、とか、良くないすか、とか、時折私を叱ったり慰める言葉を挟みながら、ただ聞いてくれた。

そして、お客さんのいない深夜帯の時間が明ける頃。
喋り疲れた私たちは、お互いに半額の肉まんを買って、その日のバイトを上がった。

ため息をつくと不幸になるからなるべくつかないようにしてる、と言った私の言葉に、ため息は落ち着いた気持ちになるときにもつくもんすよ、不幸にならないっす、煙草と一緒っす、と言った横顔を、なんだか一生忘れない気がした。

「原付乗るんだ」

店舗の脇に停めてあった赤いレトロな原付が、森本くんのものだと知ったのも初だった。すぐそこにあるのに視界に入らないのは、入れようとすらしていなかったからなのだろう。明るみ始めた空とともに、柔らかい光が地上に降り始めていた。

じゃ、また、と手を振る彼に、じゃ、と私も手を振り返す。

ジジジ、と音がしてヘルメットに手をかける森本くんを少しのあいだ見つめた。男の子にしては珍しい、肩につからない程度の長い髪を結っていたのをほどく仕草が、気だるげな森本くんによく似合うと思った。

彼の身体がこちらを向いて、何かを思い出したかのように口を開く。ふと触れた自分の手は、深夜のあの時間と比べて今は少しだけ温かい。

「あの、俺、永田さんのこと好きです」

「え」

「気持ち悪いっすよね、でも今日話してなんかそう思っちゃいました。付き合ってほしいとかそんなんじゃないっすけど」

ますます混乱する私の頭を見透かすように、くくっと笑った森本くんは、大きな手を振って、もう一度だけちゃんと、じゃ、また、と言った。

どうってことない、どこにでも存在するただの国道を走るその背中から目を逸らせずにいるのは、救いようのない私に答えを求めない優しさをくれたからで、それ以外のなにものでもなくて、溢れそうになる何かを、ぐっと喉元あたりで押さえ込んだ。

「ありがとう」

明け方の空のずっと高いところを翼の大きな白い鳥が飛んでいた。5月の爽やかな香りが鼻先をくすぐる。肌を撫でるように掠めていく風。

真っ直ぐな大きな道を走る森本くんの姿が消えて見えなくなってしまう前に、私は踵を返す。

ふぅ、とついた息が、やけに心地良かった。