見出し画像

無い無い尽くしの記憶

私は短期記憶激強人間である。知能検査では74という数値を叩き出したいうならば、100人中95番目なのが私だ。字面にするとあんまり頭がよくなさそうに見えるのだが、生きてて「私頭悪いなぁ…」と思うことはあんまりない。


もちろん人によるのであくまで例えなのだが、皆さんはSF小説などを読んでいて「わけわからん」と感じることはないだろうか?主に造語だらけになるとその傾向が強まる気がする。「ネイチャラスにはマーティンというお茶があり、そこからパラリンが摂取できるので、メタンメタン人にはとっても人気があるのだ。」という文章を今なんとなく書いてみた。これだけでも目眩がする人はでてくると思う。なんせ造語のオンパレードだ。このようにわけのわからん単語がでてくると「えっ???」という疑問符で脳内が埋め尽くされることになり、私としてはただただ固まるばかりだ。例えるなら「私だけ数分間遅れた世界に生きているのに、誰もそのことに気づかない」感覚が淡々と続く。具体的に話すと、歯医者でなにか喋った記憶はないのに、いつの間にか口の中にある虫歯を治療することになっていて治療スケジュールが勝手に決められてたりして、記憶がすっぽり抜け落ちているのだ。もしかしたら社会一般として私が知らないだけで「歯医者では口の中にある虫歯を必ず治療しなければならない」と決まっているのかもしれない。(ちなみに私は特性なのかニブニブな部分と敏感な部分が混在していて、口内炎があるのに気づかなかったり、歯が削られてるのにワンテンポ遅れたリアクションになって信じてもらえなかったりする)今ではしょうがないと思うのだが、まるで自分が瞬間移動したかのように全然関係のない場面に連れて行かれることがしょっちゅうで、そのたびに戸惑いながら学生生活を送っていた。


具体的に話すと印象的なのは音楽室でのエピソードだ。他の人もそうかもしれないが、私は通っていた学校では、普段の教室から移動したところにある音楽室で毎回授業を受けていた。こんなことを言うと支離滅裂に聞こえるかもしれないのだが私が覚えていることを話すと、ある日、突然音楽室にいて聞いたこともない楽曲をクラスメイト全員で演奏するように言われて(おそらく数回目?)、担当したいと言った記憶もないまま木琴を演奏した。もちろん見たこともない楽譜がかかっていて、その楽譜をもとに木琴を鳴らすのだが、そもそも自分がどのパートを担当するのかもわからず、ぼーっと突っ立っていたら、同級生に「ちゃんとやって!!」と怒られるので毎回横にいるクラスメイトと「全然演奏できなかった…」「家で練習しようかな…」と会話しあうのだ。しかしもう一度言うが、私は音楽の先生と話した記憶はないし、そもそもどうしてこの曲を担当することになったのかという経緯も知らない。ついでに言うと、なぜ自分が木琴を演奏することになったのかも分からないのだ。なんだか怪奇現象のように聞こえてしまったかもしれない。しかし、別に私が通っていた学校は特にホラーな背景があるわけではなく、ごくごく普通の学校である。在学中に事件があったりなどもしなかった。全てはおそらく私の短期記憶が強すぎるあまり起こってしまった出来事だと思う。文字にするとあまり怖く見えないが、当時小学4年生ぐらいだった私はそのような体験から学校を「なんだか怖いところだ」とぼんやり思っていた。おそらくなぜ怒られたのかという記憶があればよかったものを、前後関係なしに突然怒られたことが私の中で大きなショックだったように思う。


さっき私は自分を「あまり頭が悪いと感じることがない」と話したが、それはSFの造語のように(一応言っておくと、私はSF小説が好きだ)そもそも知らない単語のオンパレードだと意識がどっかにいってしまうので「自分の頭がいいのか/悪いのか」という客観的な話にはならないという話だ。そもそも自分がした体験と自分自身の知能を結びつけることすらできない。なんというかただ圧巻されてしまって。実際問題、私がボケーッとしてても世界は進むわけだし、あまり問題ではないのかもしれない。ここまで読まれた中で、もしかしたら私を「解離性障害」なのでは?と思われた方もいるかもしれない。実際、精神科医にそう診断されたこともあるのだが、後から「ADHDの特性だ」と言われたので、私としてもよくわからない。


「前後関係がない」というのは何も学校に限った話だけではない。日常生活でもそうである。たとえば私は朝9:30頃に起きて21:30頃に就寝する生活を送っている。それでは9:30から21:30までの記憶があるのかというと、ない。たとえ途中に「映画館に行く」というイベントを挟んだとしても、覚えてないことには変わりないだろう。よく困るのが「どれくらい記憶がないの?」と聞かれることだ。大体その後「〇〇したことは覚えてる?」「〇〇したのはどう?」と続いて質問されるのだが、正直この質問はナンセンスだと思う。なぜなら単純に「覚えてないことは、答えられないからだ」考えても見てほしい「忘れたこと」ならまだ答えられるが、「覚えていない」ことは答えられない「覚えていない」からだ。そもそも答えてしまったら「それは本当に覚えていない」といえるのか?という哲学めいた考えが頭に浮かんでしまう。


たとえ「〇〇したこと」を覚えていたとしても、「映画館に行ったこと」は忘れているかもしれないし、「歯磨きしたかどうか」「お風呂に入ったかどうか」「家の鍵を閉めたかどうか」などなど、これらはどうだろう?1つや5つの質問だけで、全てわかった気になるのは安易な気がする。


「覚えていない」ことは、本人にとって気づきにくいことである。みんな「記憶喪失になったら絶対自分でわかるでしょ!!」と思われていることが多いと思うが、全然そんなことないと私は思う。私は「映画館に行ったこと」を覚えていないときに、まさか「今日の昼映画館に行った」なんて考えないので、記憶が想起されることもない。ワードが結びつくことなどないのだ。もしなんらかの話題で当日「映画」というキーワードがでてきても、しれーっとながす自信が物凄くある。


困ること

困るというか、私はミステリ小説が好きなのだが、ここで記憶力が悪いことはかなりのバッドステータスになる。なにせアリバイを聞いても「犯行時刻がここだとすると…」のような推理関連一般ができないからだ。よって推理は探偵役に全部おまかせしている。ついでに登場人物を覚えるのも難しい。例えばこれを読んでいる皆さん向けにわかりやすくカタカナで書くが、普段は日本の小説が多いのでもっと難しい。「ジョンは四十代、男性。離婚歴あり。過去にメアリーと不倫していた。」という情報を覚えておくとしよう、そうすると数分後には「あれっ?この人誰だ?ジョンって言うらしいけど、いつから出てたっけ?ていうか、何してる人?」という具合になる。ここで毎回ページを捲るのは面倒くさいので、読み終える頃には7人しかいなかった登場人物が体感としては20人弱に感じられるのである。こんな具合なので果たして私が皆さんと同じ具合にミステリーを楽しめているのか?という疑問が長年私につきまとっている。


まずアリバイに関しては覚えておく自信がないし、トリックとかもよくわからない。どういう状況で被害者が倒れていたのか、とか、そのとき部屋におかしな点はなかったか?とか、私が読むのは主に連続殺人モノなので、次の犯行現場に行く頃にはもう最初の状況など忘れている。つまり第一の殺人のときにはアリバイがあったけど、第二の殺人のときはアリバイがなかった人物が何人いるか、とか覚えておけないのである。どんでん返しもさほど能力を発揮していない気がする。よくある「おっ…お前だったのか…!!」という展開にも(えっ?なになにその反応?…この人誰だっけ?)となるので、よくわからないまま読み終えることが多い。


誤解しないでもらいたいのだが、どんでん返しは好きだし、大好物だ。たしかにあんまり理解はできていないかもしれないが(なにせすぐ忘れるので)読んでいて(なんか盛り上がってるなぁ…)くらいはわかる。例えるなら部屋でスマホをいじっているときにどこからともなく花火の音が聞こえたので(あれっ?どこかで祭やってる?)となる心境に似ている。気づくのはいつも後からで、クライマックスになっていることが多い。なのになぜ楽しめているかと言うと、多分映像が好きだからだと思う。作家さんが書いてくれた描写が好きで、そこから連想できる映像は、普段自分が行かないところばかりだし、新鮮味がある。ちょっと旅行している気分になれる。それに殺人が起こるとなると皆がワイワイガヤガヤしているので、そこがいいのだ。なんか活気があるというか、当たり前だけど読者なのでどれだけ周囲がトラブってても傍観者でいられることに安心する。よく海外旅行などで「自分にとっては外国だけど、そこに住んでる人にとっては地元なんだから羽目を外しすぎないようにしよう」みたいな文言を見かけるが、(ちなみに私は立派な引きこもりなので、旅行なんて一度もしたことない。)私にとってミステリ小説は外国である。完。



おまけ

とある日のテリヤキピザ

煮詰めすぎて、ちょっとしょっぱかった(後日談)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?