何となく食べて寝て動いて、それだけの人生でいいのだろうか?
なんとなく偶然にこの世に生まれ出て、食べたり飲んだりして肉体を維持し、ただなんとなく、社会生活を営んで、妻をめとり、夫に嫁し、子を生み育て、そして死んでゆく。
上記は私が愛読する『神と人間』の冒頭の文章なのですが
ほとんどの人がこのような生活を送り、死んだときにただ灰だけが残るというなんとももったいない、なんとも情けない人生を送ってしまっています。
「みんなそうだからそんな哲学的な宗教的なことを考えなくてもいいんじゃない」
という返答が返って来そうですが(笑)
地球や世界、日本、そして自分はもうそんな悠長な怠惰なことを言っていられない状態にあるのです。
他の人は関係ない
危機感を持って今、自分に何が出来るのか?を真剣に考える人が自分を救い、人類を救って行くのです。
【神と人間】
昔の私がそうであったように、世界の人びとの大半が、人間とは肉体そのものであり、精神とは肉体の中に存在する、ある機能の働きである、と思っている。
人間とは五十年、六十年、この社会に生存していて、後は灰になり無になってしまうものと思っている。
死んでしまえばそれまでのもの、と思いこんでいる。
はたして人間は肉体の滅亡をもって、最後の終止符になるであろうか。
私は即座に、否(いな)と答える。
なんとなく偶然にこの世に生まれ出て、食べたり飲んだりして肉体を維持し、ただなんとなく、社会生活を営んで、妻をめとり、夫に嫁し、子を生み育て、そして死んでゆく。
人類の大半はこのような生活を繰り返して、今日にいたっているのであるが、それでは済まない。
何か漠然とした不安の想いが、その大小にかかわらず、人々の胸の中に去来しているのではなかろうか。
このような生き方ではあまりにも無意義であり、無目的でありすぎる。
このような生き方の他に、何かある。何があるかわからない。
わからないが、またわかろうと積極的に思わない。こうした想いが一般人の心であって、その中の少数の人たちが、そのままで済まされずに、社会改革に乗り出し、思想活動に加わり、また一方の小数人は自分自身の心の内面に立ち入って、深く突きつめ、神を知り、霊を知るにいたる。
ともに現況における心の苦しみを突き破ろうとしての動きなのである。
『神と人間』 五井昌久
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