90sカルチャーから読み解く、私達の人生とは一体何なのか
いやー、先週友達から勧められた『トゥルーマン・ショー』観たんだけど、面白かった!最高の映画だった。
あらすじは以下の通り。
中でも印象的だったのが、この映画では「私達の生きている世界は現実ではないのかもしれない」とする仮想現実説(あるいはシミュレーション仮説)を基にしていること。
アルバート・アインシュタインとかスティーブン・ホーキングとかイーロン・マスクとか、理論物理学などの分野でかなり大真面目に議論されてる仮説。
同じく仮想現実説をもとに作られた映画で有名なのは『マトリックス』。
主人公ネオの生きていた世界は実はAIの作り出したコンピューターの中で、実は建物もそこで暮らしている人々も何もかもがプログラミングだった…という展開。
ネオは世界の残酷な真実を知り、ショックを受けながらも、AIに支配されている人類のために戦っていくっていうストーリー。
ここで最高に面白いと思ったのが、『トゥルーマン・ショー』が1998年、『マトリックス』は1999年に公開されたという事実。
シミュレーション仮説を軸とした映画が2年連続で公開されて、かつ両方とも大ヒットを記録したことは個人的にかなり興味深い。
そしてトゥルーマン・ショーもマトリックスも、主人公は物語中盤で「目覚め」、それまで何となくだった自分の生き方を変えていくプロットになっているのも興味深い。
そしてこのシミュレーション仮説が広まったのは、1994年PlayStation、1996年Nintendo 64の発売とも関係しているのでは…とも少し思う。
このように2次元ではない3次元のバーチャル世界を私達人間自身で作り出したことが、人類の考えを変えた出来事になった。
「私達の世界も、誰かが作り出したゲームの中かもしれない」と考える人が出てくるのもおかしな話ではないと思う。
さてここで少し話を戻して、主人公が中盤に「目覚める」名作が90sにはもう一つあって。それが1999年公開『ファイトクラブ』。
物質主義的な社会の中で、ビル街のリーマンとして、虚無感を抱えながらも何となく生きる…という序盤の設定が『トゥルーマン・ショー』『マトリックス』とまんま同じなのがかなりオモロい。
ファイトクラブ同様に、テクノロジー社会や物質主義的社会に中指を立てたカルチャーとしては、1997年リリースされたRadiohead『OK Computer』も重要。ロックに留まらず、ポピュラー音楽における金字塔。
コンピューターといえばWindows 95がリリースされたのも1995年か。
ここまでの流れを整理するとこんな感じになります。
1994:PlayStation発売
1995:Windows 95リリース
1996:Nintendo 64発売
1997:OK Computer発売
1998:トゥルーマン・ショー公開
1999:マトリックス公開
1999:ファイトクラブ公開
どうですかね。毎年何かしら起こってるし、自分でも怖いくらいに綺麗な1本軸として収まってる。
現実世界と、バーチャルな世界。発達しすぎた資本主義と、貧しいままの精神。何が正しいのか、どうあるべきなのかというせめぎ合いの中で主人公は「目覚め」、自分本来の生き方を取り戻していく…という流れは、90年代の象徴そのものなのでは!
これほどまでに「生き方」をテーマにした映画やカルチャーが多いのは90年代くらいなのでは?という気が個人的にはしている。
『ショーシャンクの空に』も1994年公開だし。これも個人的には脱獄っていうのはあくまでもガワの部分でその本質は人生論だと思ってる。そのうち書く。
自分としてはシミュレーション仮説はかなり面白いし、否定することって難しいし、実は仏教の思想とかなり近いし、何より今生きてる世界がシミュレーションでも別にかまわない。
ご飯が美味しいとか、絵描いたり歌歌ったりするのが楽しいとか、それだけでまず生きる喜びだし、目標を達成するとか困難を乗り越えるとか、そうやって成長していくことが生きる意味とか目的だと思ってる。
自分も過去のトラウマとか今抱えてる課題とか未来の不安とか、結構あるよ。でも、もしこれが自分の設定したゲームだったら、リアリティショーだったら…って思うと案外いけそうな気がするし。外側の世界では自分のことを応援してる人が沢山いたりして。明日もまた頑張れるかな…!って希望すら湧くねー。
てことで。よりよく生きることは難しいけど、それを諦めない限りは生きてると言えると思う。というかそれこそが生きてる証拠だと思う。たとえ俺たちがシミュレーションの中にいたとしてもね!
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