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これからインディーはどう生きるか

盛り上がるインディーゲーム

日を追うごとにインディーゲーム制作にチャレンジする人が増えてきました。先日、福岡インディーゲーム協会(以下FIGA)が開催したゲーム開発者ミートアップに参加していた方の多くが、ここ1、2年でインディーゲーム開発を始めた、またはこれから開発を始めたいと考えている人たちでした。さらにそのほとんどが半分が学生さん、そして半分が異業種で仕事をしていて本業でゲーム開発に関わっていない人たちです。FIGAを立ち上げた一つの目的は、インディーゲームの普及だったので、このように挑戦者が増えることはとても喜ばしいことです。

昔はゲーム制作には高度なプログラミング知識が必須だったのに、UnityやUnreal Engineのような高性能なゲームエンジンの普及により、私のようにコーディングができない人がチャレンジできる環境になったこと、そして開発人口が増えてコミュニティの活発になったことが大きいと思っています。

ちなみに、先日のBitSummitで出会った若い開発チームの人たちも、大学時代からの制作仲間が出展していて、チーム3人のうち2人は文学部などのゲーム制作に全く関係ない学科を専攻した人たちでした。(何となく惹かれて試遊してみたら、福岡から来た大学の後輩!)

こうやって、ゲーム制作の裾野が広がって制作人口が増えただけでなく、インディーゲームのレベルも上がってきているのも実感します。もちろんゲームエンジンの進化もありますが、インディー製作者自身のレベルが年々高くなってきていると思います。
特に若い世代の人たちは、幼い頃から素晴らしいゲームやアニメなどのカルチャーに触れる機会が多かったせいか、発想が自由で常識に縛られることもなく、その自由で豊かな発想に感心しています。

インディークリエイターは生き残れるか

このようにインディーゲームが盛り上がることは大変嬉しいのですが、その反面、競争相手が増えてきてインディーで生き残るのは非常に難しくなってきているなと感じます。(あくまでインディーで食べていくことが難しくなってきているという話で、趣味で取り組んでいる人にとっては制作仲間が増えることはプラスだと思います。)

ただ、インディゲームで食べていくことは無理ゲーになってきているのは間違いないです。(これについては前回のゲーム開発者ミートアップでDaigoさんが登壇で話されていたことに集約されています)

僕がチャレンジを始めた頃の7年前と比べると、これが本当に処女作?と疑ってしまうほどのハイクオリティな作品がSNS で流れてきて、正直勝てる気がしません。
最近のインディーゲームは作者の思想が表現されていて、ある意味アートのような作品が多く、芸術性の際立ったインディーゲームはArtistic game(芸術的ゲーム)アートゲーみたいな呼び方をした方がいいんじゃないか、と思ったりしています。

でもそんな才能を持った人たちがみんなインディーゲームで食べていけるかというと、それは簡単ではないと思います。

2作目以降が実は大事

インディーゲームは「尖ってて斬新なゲーム」の方がインディーらしくて話題にされやすいですが、実際にインディーゲームで生計が成り立っている人でも、尖ったゲームばかりを作っている人は意外と少ないです。

大企業が手を出さないようなジャンルを狙うことはインディーでは定石ではありますが、世間に注目されるほどの尖った作品を作り続けるのは余程のセンスの持ち主じゃないとまず無理です。(そんな人はたぶん1%くらいではないでしょうか。)

多くのインディークリエイターは一度ヒットを経験すると、それを越える作品を生み出そうとして、さらに尖った作品を目指しがちです。でも、それがプレッシャーになって次の作品が作れないスランプに陥ったりします。
皮肉なことに「インディーは尖っていなければいけない」という固定概念が足枷になって、自由な発想ができなくなるパターンです。

僕が知っているインディーで食べていけている人の多くがやっていることは

・自分の得意分野を理解して、そこで勝負している

・独自の世界観がありファンを獲得している

・いくつも作品をリリースしている

こんな感じで、尖った作品にこだわっている訳じゃなく、1作品で勝負せずにそれまでの積み上げた作品群で個性を主張しています。
(代表的な人では、ところにょりさん、Daigoさん、じぃーまさんのような方々ですね)

つまり、インディーだからと尖っている必要はなく、大切なのはミュージシャンや漫画家のように「この人の作る作品が好き」と強く支持される、唯一無二の作家性があるかどうか。
一つの作品でクリエイターのことを知ってもらい、他のゲームも遊んでもらう。これをロングテール戦略というそうです。(詳しく知りたい方はroom6の木村さんの講演をご覧ください)

そして作家性はいきなり生まれる訳ではなく、何作品も作っていく中で形成されていくものなので「人の琴線に触れる自分の強みはここだ!」という自分だけのストロングポイントを見つけ出して、日々磨いていくしかないのです。

「これは何だ」と「これでいい」

インディーゲームでは斬新なゲームが多い反面、ついつい時間を忘れてプレイしてしまうような中毒性のあるゲームはそこまで多くない気がします。
インディーゲームの潮流と真反対な存在はソシャゲーだと思っているんですが、あのジャンルは作家性などは皆無な代わりに中毒性のあるゲームは多い(ガチャ頼りなシステムをゲームと呼んでいいかは置いといて、ユーザー心理を研究し尽くしているのは確か)
斬新なインディーゲームは、リリース直後は話題となって初動では何万本も売れるかもしれませんが、大多数を占めるライトユーザーはゲームに感動やアート性を求めていないので、支持されにくい(刺さりにくい)からです。

ちなみにここで言うライトユーザーとは、ゲームの知識が浅い人のことを指すのではなく、通勤時間などの合間にお手軽に短時間でゲームを楽しみたい層のことを指しています。かく言う私も、長時間ゲームに没頭することが年々難しくなってきていて、ちょっとした時間に遊ぶことが多いのでライトユーザーだと思います。
私はゲームを制作している立場なので、話題になっているゲームやオリジナリティに惹かれるゲームは買って遊びますが、多くのライトユーザーは自分の好きなジャンルを中心に検索するので、理解が及ばない斬新なゲームには食指が伸びにくい。つまりゲームで冒険したくないのです。

あまり見かけない斬新なコンセプトのゲームは、見た瞬間「何だこれは?」と感じますが、意外と爆発的なヒット作は少ないように思えます。原因はいろいろあるでしょうが、最近はゲーム実況が増えてプレイ動画を見て満足してしまうからではないかと思っています。特に最近の若者は、タイパ重視で知らないジャンルに時間を割きたくないから、実況動画を見るだけで済ましてしまう。

「何だこれは?」の逆で「これでいいんだよ」というジャンルもあります。
これは、すでに見たことのある既知のジャンルで、見ただけで内容が想像できてしまうもの。古き良き〇〇といった呼び方をされることもあります。実はこのジャンルは、最近見かけないから久しぶりにやってみたかった。といった気持ちで気軽に手に取ってくれやすく、売り上げも意外と安定しています。(実況動画に載せるほど絵面も面白くないからネタバレもされにくい。)

長い歴史を誇るシリーズものは、ゲームでもドラマでも最初は「何だこれは?」から始まります。しかしその作品のファンになった人は続編に「何だこれは?」ではなく「これでいいんだよ」を求めています。
(「男はつらいよ」の寅さんが、毎回ヒロインに振られて、いつまでも定職につかずフーテンなのと同じです)
「何だこれは?」だけではなく「これでいいんだよ」を作れるクリエイターが一番強いと思っています。

「斬新」で「新しく」て「尖った」ものがインディーゲームだ、などという固定概念を持っているなら、そんなものはいますぐ捨てて、まずは自分のストロングポイントを見つけることに力を注ぎましょう。そうすれば自然と唯一無二のゲームが作れるようになり、インディーゲームで食べていけるようになると思っています。(かくいう私も自分探しの途中ですが)




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