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『夢幻』予告文

 現代の大人はいつも忙しいものです。

 忙しくて、普段は感傷から逃れている気になりますが、それでもなにか満たされない瞬間があります。

 たとえば、日常の喧騒から逃れてほっと一息ついているとき、安らぎを感じながらもふと感じる寂しさ―

 たとえば、忙しさにかまけて人生の目標達成に近づいていると思いつつ、人生をいくらか浪費しているような気になって感じる失望―
 
 たとえば、過去の出来事を思い出して、懐かしみつつも込み上げる羞恥心や後悔、喪失感―

 そんなとき、あなたのなかに、そっと滑り込んでくるなにものかを「浪漫」と呼ぶことにしましょう。

 いえ、滑り込んでくるという言い方はふさわしくないかもしれません。あなたが潜在的にであれ顕在的にであれ、意志に基づいて求めているものかもしれません。たとえば漱石やルソーが書いたように。

そうしてこの道をもう少し辛抱強く先へ押して行ったら、自分が今まで経験した事のない浪漫的な或物にぶつかるかも知れないと考え出す。

夏目漱石『彼岸過迄』

いま僕は、分別ざかりの老成の年齢にある。もうすでに老衰期に入りかけている。このうえ、ぐずぐずしていたら、思案にあまっているうち、自分のあらゆる力を使わずにしまうだろう。使おうとしたところで、もうそのときは、僕の知的能力などとうに活動性を失っているにちがいない。今日なら、全力をつくしてできることも、あとになればそうはいくまい。だから、この好機をとらえよう。今は、僕の外部的の、有形的な改革の時機である。これをして、知的の、精神的な改革の時機ともしたいものだ。

ルソー『孤独な散歩者の夢想』

 「浪漫」とは、意志の力に支えられた情熱ともいえるかもしれません。

 このような気持ちは、人生が長くなればなるほど、表向きはなくなってくるようで、実はある瞬間に強い衝動を伴って押し寄せるものです。ある時には、この気持ちが現実社会の新しい活動の原動力となるでしょう。いっぽうでまたある時には、この気持ちが新しい奇妙な世界への扉を開くかもしれません。

 我々『夢幻』編輯所とそこに集った同人は、上記のような現代の「浪漫」を嗅ぎ取って、それに身を任せんとする者です。こうした「浪漫」的要素を皆様にお裾分けしたり、お届けしたりできないかと考えて集まりました。

 そしてこのたび、皆様の「浪漫」心を刺激せんとして、文藝同人誌『夢幻』を発刊するはこびとなりました。間もなく、皆様のもとへとお届けできることと思います。

 願わくば皆様と一緒に浪漫できることを!

明治157年(大正112年)3月 『夢幻』編輯所一同


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