「白い皿」 10月 1回目

「白い皿」10月 1回目

私は、この間の夜の「白い皿」ディナーから大分たってから、この間の夜の「白い皿」の月が
十五夜であったことに気づき、そういえばそうだと、あの白く燦然と輝く白い月をまざまざと思い出し、あれがと思うと同時に私はいつ頃からか、十五夜のお月さんを楽しみに思わなくなったのだろうと考えだしていた。

私は、夏前ぐらいから、友達や同僚との外食は加速する一方だった。
必要に迫られてと言う所もあった。
留学していた友人が一時帰国で戻ってきたり、結婚式の披露宴や友人の誕生日に、同僚の退職祝い等と、そのたびに名だたる店や格式あるお店で食べるのは、香ばしい肉料理ばかりで、バターの柔らかな塩味に、白ワインで味付けした肉や熱くうるわしいミートパイ、それに卵の柔らかさに、揚げ焼きした仔牛の肋間肉や蒸し焼きにされた小鴨の味わい、赤く煮込まれた兎の肉のソースにからむねっとりとした感触の胸肉にキノコの歯触りは、森の味覚と合わせられ、
ジビエには早い肉に舌に足らないように思ったり、みんなと楽しく食べる、その時々に私は夜の「白い皿」のディナーでの自分を思い出しては、黒い参列者のような私達と思ったり、よく夜の「白い皿」でも見るような料理と同じようなメニューを頼んだりしては、有名店だからと高級店だからと期待していたものは、夜の「白い皿」程ではなく...、しだいに友人達と食事をするたびに、みんなと食事をするそのたびに焦げ付いた肉の匂いや固すぎる肉に、血の気の足りない味わいに、弾力のない鶏の味に、食事をするたびに、肉を食べるたびに、血を舐めあげたくなるような咆哮を押さえつけ、室内の光々とした明るさの中で、人と食べる作業は(今までの私には無機質な感動を見るものでしかなかったのに)、口にするフォークの歯ざわりや、お皿にあたるナイフの音がだんだんと私を苛つかせ、そのまま皿ごと肉を叩き切りつけたくなる衝動に駆られながら、不自然なまでの霜降りの柔らかさに、気持ち悪く思うたびに、のろのろとコース通りに運ばれてくる料理に、誰が言った言葉だったのか、「そう料理と言うものは、人間の肉ではないと言うだけなのだから」と言う言葉を思い出しては、私は一体何に対してなのか、いらつきながら、同じ料理でもお店によって盛り付けが違うと、味が違うと思ったり、それは旅行先の料理も本場の味と言いながらも、土地の味にと、都会的にと変えられているのだから違っていて、違いがあって当たり前で、でも、いろんな店に行けば行くほど... 、料理を見るたびに、一口食べるたびに、日が増すごとに、迷妄とした迷いに突き落とされていくような感じがなくもなく、夜の「白い皿」のディナーは国籍がないと言うのか、決まりがないようでいて、また、・・・私は何を考えて思うのか、気が付くと暑く思える炎の中と思っていたり、見えているように思う思う映像に、業火の中と思ったり、私はウィンドーや電車の硝子に映る自分や、歩道を渡ろうとする時、改札口を通っている時や、何気ない日常の些細な行動のそんな時々に息をつくかのように、鳥の死んだ時の事を思い出したりしている自分に、私はビーの事を忘れていないと安心していた。

そして、外での食事にと言うよりは何を食べても、釈然としない気持ちはそのままに、私は昼の「白い皿」で、ただ1人で食べる事に退屈になっていて、気づくとここ1年くらいで、時折見かける人とたまにランチを一緒に取るようになっていて、私はそんな自分が信じられなかった。
私は訪れるたびに、また、女の子と一緒に食事をとるたびに、頼んだテリーヌ置かれるたびに、今は見なくなった、多分来なくなったと思うあの夫人との食事で、夜の「白い皿」のディナーを教えてくれた事を面白く思っていた事を私は彼女と食事をするたびに何となくぼんやり思い出したりしながら、彼女から聞く昼の「白い皿」の話に、私はまだ自分が出会った事の無い、昼の「白い皿」のスープに少し羨ましく思ったりしていた。

その昼の「白い皿」で、私は婦人から聞いていた白裸(ハクラ)うな濁りを旬の柔らかさを見せる〈冷たい桃〉のスープに、今日初めて、出会った。

お店の人が言うには「この〈冷たい桃〉のスープは人気が高く、要望が多いいので、桃は晩生種ですと10月近く迄市場に出荷されます。ギリギリ迄可能で良質なモノを農家にお願いしております」と、私はこんな遅い時期迄桃がある事を知らなかった。

「ですが、今回の〈冷たい桃〉のスープは、少し再現させて頂いています」、「再現」、「ハイ」、「少し味が足りなかったので」、「何かを加えたと言うこと」、「ハイ、何かはお考え下さい」と言って、彼はテーブルから去っていった。私と彼女は、何?と言った感じで見合った。

私は、彼のハイと言ったイントネーションを反芻し、以前聞いた話を気持ちよく吹く風と共に思い出していた。以前、ハイと言う言葉だけイントネーションが違うのねと彼に言った時、ええ実は私には色々な外国に旅行する祖父がおりました。祖父は、現地で色々会話をするのでしょう。そのトーンが、母国語に混ざるようで、子供の私には魅力的でした。色々マネてみましたが、このハイだけがまあなんとかですか。明るく軽く、開放的で砕けている訳でもなくと言った事を。「私、このスープ初めて」、「私は2回目。わかるかな?」と彼女はスープを口にし、んーと判然としない口元に、何回口にしても首を傾げるばかりで、私も何度も口にしてもわかる事はなく、スープと一緒にだされる昼の「白い皿」のバゲットは、他店よりも塩味のある物で、幾分残ったスープを千切ったバゲットに含ませ、山羊の乳のバターを塗り、口にするとバターに嘗めらう桃の糖が、実を噛ませながら柔らかく美しい水を吸わせるようでいて、桃のスープのミルク風味の円やかで爽やかな味覚に私は、この夏、口にした塩味の濃い薄い色のコンソメゼラチンの中に胡瓜の青やかな水を見せる氷(クラッシュ)をきらめきとして混ぜた新緑のなごやかさが、口の中で涼風のように広がるスープやあの実置き所のないような果肉色の実甘(ミアマ)さを映し込んだチェリーのスープを思い出しては. 、私は.... 回りの景色や目の前の彼女を目に映しながら、あれだけ、待ち望んでいた〈冷たい桃〉のスープで、とても美味しいと思うのに.... 、再現されたモノに少しの残念なモノを思うのか、昼の「白い皿」のスープは日替わりで、日毎違うスープで.... 、まだ口にしたことのないスープもあって....、それを口にしたい為に、少しつまらなくなっていた昼の「白い皿」に、少し無理をしてきているような、今の私には(響かないようでいて)、運ばれて来るお皿にフォークでテリーヌを甘く思うように掬ってみたり、意味不可思げに思ったり、
口にするたびに曖昧な感触に食べれないわけでは無いから努力はしてみても、確かめ見る味の形にナニもみだせるものはないばかりか、自分の味覚なのに、何処か立ち迷っているようでいて、だからなのか時折一緒に食べる彼女が、満足げに食べる姿は嬉しくもあったけれども羨ましくもあった。

私はそんな昼の「白い皿」に、ある日テリーヌに添えられたシャーベットの果実の濃厚な果汁の血を舐めるような笑の味わいに、どうして今までだされていても気が付かなかったのかと思った。
けれども、私は嬉しくなるような喜びに、私はまた嬉々として、昼の「白い皿」に通おうと思っていた。

そして、シャーベットを除いては、思うほどに思えなくなっていた昼の「白い皿」に、また、今迄どんな店に行っても満足のいく物に出会える事はなくて、もうそんな物を見つけることが、できないと思っていた。

そんな時に、ここにきて「それ」を見つける事ができた。
「それ」は、ローストビーフだった。
その店のローストビーフは、他の店で食べるような生ぐささのない、新鮮な血肉を食らうような味わいニ、私は満足なものを思い、それからの私は気持ちの余裕が出てきたのか、私は昼の「白い皿」で会う、私より若いその彼女は可愛らしく、私は彼女に言った。
「或る日は、いつか来るからと」
そして、私は彼女の何処か満足してない顔に繰り返して言った。
「人数は一定、期間は12ヶ月。月1人入って、1出るの。
ここ「白い皿」で行われる月一回の美しいディナーは、それは美しい料理で「薔薇のご馳走」とも言われてるの。
その美味なる料理は「一足はごとの恐怖」とも言われていて、筆舌尽くせない称賛の言葉ともされていると、そこまで言った時、私は、「そう一足ごとの恐怖」と心の中で繰り返していて....

それからの私は、夜の「白い皿」が、後4回と思えば思う程、後残りの夜の「白い皿」の味を忘れてしまわないようにと思うのと同じに、体が慣れた「空腹は最上のソース」と言う生活はそのままに、会社の帰り道やお休みの日のその時々に思い出したように、少し足を延ばして小学校や中学校、港の近くの公園や、頼と初めて待ち合わせた場所や思い出懐かしく思うような所に行っていた。
その度に全くそのまま残っているような場所はなく、様変わりしていたりで、でも、記憶の中の風景に淋しく思うような事はなくて、新しく様変わりしていたり、面影残しつつ変わっていたりする建物の姿はそれはそれで楽しく、その時々に何故か、前に見に行った花火を思い出しては、昔から夜空に打ち上げられる花火を思い出しては、赤い花火と言う印象があるように思っていた。

そんなある日懐かしく開いたアルバムに、赤い花火の浴衣を着ている私の写真があって、そばにいた母が、小さい頃の私は、お祭りがある度に赤い花火の浴衣を着ていたと、私がそれを気に入っていた事を言い、私は自分の中の赤い花火と言う印象の理由が解ったからと言って、私から赤い花火と言う印象が消える事はなく、そんな事を思っていたある日、私は気づく事があった。

以前は好きで、美味しい店があると聞くと友達とよく食べに行っていた甘いケーキは、今では夜の「白い皿」に出てくるデザートぐらいしか食べれなくなっていて、昔はしっかりと焼いた肉を好んでいたのに、今ではほとんど生の肉に近いほどのレアが好みになっていたり、それでいてどっか香ばしく焦げ付き脂染みたモノを好み、そんなに好きでなかった運動もするようになった。今の私は、私自身ある意味不思議ではいた。夜の「白い皿」に行く前の事を思い返せば思い返す程「人が好みが変わるから」と言う言葉が私の中から聞こえてはいても、今の私は思い返せば思い返す程、何かが違うように思っても、何が違うのかが解らなく、またそれとは別に、味覚と運動をする以外では行動に対する裏づけが変わっただけで、行動パターンはさほど何も変わってはいないように思った。
味覚は、今までに何度でも変わった。
父と母は、私達に子供に嫌いで食べれなくて残す物を、無理に食べさせようとはしなかった。
食べれないなら食べれないでいいと。
大人になったら味覚が変わって、食べれなかったものが食べれるようになったりするし、食べれたものが食べれなくなったりする。
かえって、無理に食べさせて苦手にする方が良くないと。

そう、実際、それは言える。
妹は、貝が嫌いで食べれなかったけれど、
ある日突然食べれるようになった。
そう、ある日突然。
でも、それとは別に逆に苦手になって、食べれなくなった物もある。
弟は、変わる所が無かったように思う。
それとも、私が気がつかなかっただけなのか。

そこ迄思った時、飼っていた鳥が死んでから食べなくなっていた鶏肉を思い出し、私は、そんなことを忘れて鶏肉を食べるようになっていた事に、ショックと言うよりは、不思議な気持ちになっていた。
元々鶏肉が好きで、場合によってや、どうしても食べたいと思う時は、心の中でごめんねと言いながら食べてはいて、でも、その内ほとんど食べなくなっていた。
月日がたてば、たつほど。
意識的にと言うよりも、無意識的に食べなくなっていた。
ほとんど。
私は夜の「白い皿」のディナーで、1度でもそんな事を気にする事なく、出される料理を全部食べていて、でも、そう考えるとと言うよりも、これは事実で、私は自分が《鶏肉を食べないでいる事を忘れて、鶏肉を食べていた》事に... 。
何かが、おかしいように思えてならなかった。
確かに、食べれなかった物が、ある日突然に食べられるようになっていたりする。
気が付かないうちに。
そう、いつの間にか。
そんな事は結構あることと思っても。

でも、私は夜の「白い皿」のディナーで食べる料理の違いを確かめるかのように、色んなお店で色んな料理を口にするたびに、それでも鳥料理はあまり頼まなかったようにも思うけれど、でも、それでも全く頼まなかったわけじゃない。

でも、見るたびに、口にするたびに、ほんの少しの戸惑いや躊躇覚えたような気がしたように思うのは気のせいなのか、大体戸惑いや躊躇思ったりするのは、それはどんな肉でもそうで、
夜の「白い皿」以外で食べる肉に味が違うと、
不気味な柔らかさに気持ち悪く思ったりで...。

どう思い出し考えてみても、今年に入ってから、鳥肉を食べたのは夜の「白い皿」のように思う。

でも、かと言って、ほとんど無意識のうちに《食べなくなっていた鳥肉を、気づかないで食べていた》このことがショックかと言ったらショックではない。

もともと鶏肉が好きで、嫌いになって食べなくなったのではないし、最初食べないと決めた時も、鶏肉を食べないでいることにそう長く続くと思っていなかった。
逆に言うと、思いの他長く続いていたように思うくらいで。

でも、納得のいっていない自分がいて、私は考えてもわからない事に、最初考えていた事に切り替えていた。
彼氏や友人と出かける所は、そう変わっているわけじゃない。
映画やレストラン、ドライブと、特にレストランにいたっては、少し高級志向になって、私の中の目的意識が変わっただけで。
少しと言うよりは、かなり高級志向になっていると思う。
それは和洋問わずで、また、人に誘われれば何処にでも行った。
文京で食べるすき焼きに、湯島「天華」(テンゲ)のかき揚げや、蓬莱の肉の甘み、鍋で食べるつみれの肉に、火鉢のある机の並んだ所やキジ鴨もすき焼き、暖簾をくぐり口にする近海モノの刺身に、馬刺し。
行動範囲は、そう少し遠出をするようになったぐらいで。
以前なら、湯島、文京なんてほとんどで行きもしなかった。
行ったのは、素材の味をみたい為で。
・・・それ以外は何も変わっていない。
何も。

私は、そう思った時、あ、でもと思った。
私は、香りを全くと言っていいほど受け付けなくなっていた。
会社や電車の中での匂いで気持ち悪くなる事が多くなっていて、いっ時かなりひどい時があって、今はそこ迄酷くなる事がないけれど、だから以前はあんなに好きで集めていたのに、香水もつけなくなっていた。
つけなくても香水瓶の可愛いい物や素敵な物、
物語性のある香水瓶等はかなり気に入ってっていたのに、それさえも取っておく事をせずに、
母にあげてしまった。
中身のある物も全部母に渡すと、母はいいのと何度も繰り返していた。
・・・好みは変わる。
そう思っても釈然とはしない。
考え出すと気になるせいなのか。
いつもなら、こんなに気にしない。
そんな事は、よくある事だから。
だけど、本当に気にいっていて・・・ 、あれだけ気にいっていて、集めていて、ずっと集めると思っていたのに、残す事もなく手放してしまった・・・ 。

・・・変わりに集め出した物、集め出したうちに入らないけれど、それは手指を飾るジュエリーで、こないだも1つ。マーリンで買った指輪に合わせて、もう一つ大ぶりの指輪を買った。

夜の「白い皿」にのディナーに行く事になって、服にお金かかるかなと思ってはいた。
でも、それとはまったく違って・・・ 、私は洋服タンスの中の小箱を開けて、右手の中指の指輪をはめ、まぁ後悔は無いけどと思い、私はこれらのジェリーを頼の前でする事はなかった。
頼からプレゼントして貰ったピンキーを失くして、別のを買ってもらったのに、そのピンキーより格段に上に見える物と一緒につけるのはできなくて、どうしても笑いがこみ上がってくるのを抑えられなくて、私は右手を翳しながら、手元の明るさを見せる夜の「白い皿」のディナーを思い出していた。


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