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兄達の背中を追いかけながら、プロになったサッカー人生


無我夢中人#009
元プロサッカー選手
香川毅志 Kagawa Takeshi


> 東福岡高校/U15日本代表候補
> 2004-07 Quilmes AC (アルゼンチン)
> 2008 Racing de montevideo (ウルグアイ)
> 2009 Bazaniez (ウルグアイ)> 2010 El Tanque Sisley (ウルグアイ)

愛媛県松山市西部に位置する三津浜。江戸時代から続く古い街並みを残したこの漁師町で香川三兄弟は生まれ育った。

長兄の香川享進(タカノブ)氏は、愛媛FCユースを経て阪南大学へ進学。小学3年生の時に全日本少年サッカー大会で2ゴールを決め、未だに最年少最多得点記録を保持している。

次兄の香川祐一(ユウイチ)氏も愛媛FCユースを経て日本文理大学へ進学。2013年に地元松山で街クラブ、FCリヴェントを立ち上げ、全国大会へ進出する強豪クラブに成長させた。

そして、三男の香川毅志(タケシ)さん。兄たちの背中を追いかけて幼い頃からボールを蹴り続け、アルゼンチンでプロサッカー選手となった。

毅志さんは、四国選抜メンバーに名を連ねていた二人の兄とは異なり、Jリーグの下部組織ではなく、九州の名門、東福岡高校へ進学。同学年には国見高校の平山相太や、市立船橋高校のカレンロバート、そして、同じ福岡東高校の一学年下には同郷の長友佑都選手がいた。U15日本代表候補に選出され、選手権では一年生で唯一ベンチ入りを果たすと、三年時には10番を背負いキャプテンを務めた。そして、進路で迷っていた毅志さんは、監督に背中を押されて、異国の地アルゼンチンで挑戦することを決断。スペイン語も分からないまま、17歳で海を渡った。

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香川『取り敢えず、飛行機の中で自分のポジションの10番と8番をスペイン語で覚えて入国しました(笑)』

周知の通り、アルゼンチンは、ワールドカップでも優勝経験のあるサッカー大国。当時、日本からやって来た若者に対してリスペクトのカケラもなかった。

香川『最初は、バカにされてパスなんてもらえなかった。言葉が分からなくて逆に良かったくらい。ボールも自分でブン取っていくしかなかった。』

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【前列右端が香川さん】

そんな環境の中、持ち前のテクニックと俊敏性を活かして、徐々に存在感を増していく。スペイン語も猛勉強し、コミュニケーションも積極的にとっていった。

香川『みんな白か黒なんですよ。一度、認めると選手もサポーターも、手のひらを返した様に態度を変える。なかなかパスをもらえなかったのが「早くタケに出せ!」に変わっていった。』

約6年半、アルゼンチンとウルグアイでプレイして引退を決断。

香川 『周りの若い選手達が20歳そこそこで、どんどん世界に羽ばたいていくのを横目で見ながら、終わりなく続く激しい闘いに少しずつ疲れていった』

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現在、地元松山市で家業である漁業を営みながら、兄と共に、街クラブ「FCリヴェント」を運営し、サッカー選手の育成に尽力を注いでいる。

香川『将来的には、リヴェントの卒業生達が戻ってきた時に、サッカーを教える場所と職の受け皿をつくっておきたい。そして、サッカーに限らず、スポーツ全般で松山を、愛媛を盛り上げる環境をつくっていきたい。』

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自らの経験を次の世代へとつなげながら、新しい環境づくりに挑戦し続ける香川さん。現役時代に比べると、その眼差しは、少し柔らかくなったかもしれないが、熱い情熱は、今も変わることはない。



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