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神社や神様の事を調べる時にウィキペディアは向かない・スピリチュアルにも理屈は必ずある

対面での鑑定や、電話鑑定の際に良く神社のお話になる事が多くお客様はお客様で気になる神社の事をネットで調べてみたりとされています。

その内容を聞いてみると大体の情報がウィキペディアな事が多く、内容を読んでみると大抵は公式サイトや観光者向けに配られているパンフレットに書かれている事を、そのまま載せたような内容です。

これについては一概に、何が悪いと言い切れません。

日本の神を知るのに一番多く用いられる古事記、日本書紀を編纂したのが歴史の勝者だからであり。だからこそ神が国津神、天津神と神が分けられ、また編纂した側に都合の悪い神の出自や名前を意図的に変えたり存在自体がないモノとなって。

また、ほんの数百年前までは故意的に名前や出自を変えられていたとしても、その正体が当たり前に知られていた神達の表向きな由緒が現代では「正解」として扱われ調べる方法の、ほとんどがインターネットになってしまっている事が原因です。

インターネットは拡散力が強い場所にある情報は偽物であっても大多数の無知な人間が「本物」として、また更に拡散していきます。
結果、神社仏閣が宗教法人として変化しなければ生き残れないような悪法が、たびたび制定され時代時代の権力者、政権によって祀る神を表向き変えさせたり、神の名を変えさせられたりしたからです。

そして更に最近になってエセスピリチュアルな人間が、その神社に居る筈のない神が「何々と言っています」と、言ってしまったりウィキペディアでなくともネットで見られるデータベースに適当な事を書き込めることも大きな原因になっています。

良く見るのが「我は何々と言う神である」と言われたというモノですが。
実際、神は神である事が当たり前であるので、わざわざ名乗りませんし、自らを「わかる」人間にしか「自分を知らしめ」ません。

これらから本当に神や神社の事を知りたい時に、不特定多数の人間が書き込めるデータベースとは日本の神や神社仏閣を調べる事に向いていません。

現代の私達からすれば「神社仏閣」は産まれた時からあるものですが。
新しく造られた時代と言うモノがあるという事を忘れてはいけません。そして、その神社を管理している人間も一部を除き「全く関係のない人間」である事も。

例え、スピリチュアルな事であっても全てが=不思議ではありません。
必ず理屈があり、理屈が一つもないスピリチュアルは「ただの妄想か嘘」です。

先ほど言ったように「神は自ら名乗らない」という事は「自分の事を語らない」。日常的に神と接する私のような人間であっても、その神の歴史を調べる事は多々あります。
そうして、その神が持つ神徳(ご利益)の意味を理解したり、何故この人間を助けるのか(助けたのか)を知ります。

このような所から本当に神や神社を調べようと思った時にウィキペディアのようなデータベースは「全て」ではなく「一つの情報」として視る事が重要です。
そして、特にお金が絡むようなスピリチュアル事を「仕事にしている人間」に依頼する時は、ふわりとしたスピリチュアルだけで物事を語っているのか、そのスピリチュアルに理屈や理由があるのかを見極める事が大事です。


気が向いたらサポートお願いします。
サポートの際に、スピリチュアルな事、神社関係の事など書いて欲しい内容のリクエストも受付中です。



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