見出し画像

ニトラム/𝗡𝗜𝗧𝗥𝗔𝗠

3/31にニトラムを観てきて、余りにも衝撃的過ぎて、自分の頭の中だけでは、到底処理し切れないので、取り留めも無く感じた事をnoteに綴ってみます。


《宮台先生のニトラム映画評からの引用》

>こうした作品を製作するのは難しい。凶悪な犯人に寄り添う作品は、人々に彼を理解することを求める。だが理解を表明すれば、凶悪犯を擁護しているとして炎上しかねない。加えて、自分も同じような境遇だと感じる人々が似た犯罪に動機づけられる可能性さえある。

 同じ理由で、こうした作品を批評するのも難しい。上記の理由に加えて、作品のシニフィエである社会について論じることを要求されることも、批評する側の重荷になる。作品内の物語や映像構成や視座や世界観を論じるだけでは、逃げたと見做されてしまうのである。

 それでも、こうした作品は作られる必要があり、批評される必要がある。似たような無差別殺戮が繰り返される背景にある僕らの社会が抱えている問題を、映画を含めた様々な表現を通じて理解しない限り、マクロにせよ、ミクロにせよ、何も改められないからである。

以上を踏まえて、無論私も犯人を擁護する気なんて毛頭ありませんし、不条理に殺された方々やその親族や友達の視座に立てば、到底許される事では無いと思っています。でも、「狂ったは犯人許せない!」という事だけでは、この事件の本当の意味での解決からは遠ざかる気がしました。


以下、ネタバレになると思いますので、まだ観て無い方は、予備知識なしで映画を観てからご笑覧して頂けると幸いです。

冒頭、病院で重度の火傷をした二人の少年のインタビュー
Q、また、火遊びしたい?

A君「2度とごめんだよ」
B君「またやると思うよ、楽しいからね。」

火遊びなんて誰でもする、花火や焚き火なんてみな大好き。でもそこで、火傷をすると「恐怖」が芽生えて危険な火遊びはしなくなる。人間の中には「恐怖」に疎い人もいると思う。精神科医は疎い人に病名を付けて「発達障害」やら「ウルバッハ・ビーテ病」やら、病気のひとつにして、解決しようとするけど、それを「個性」と捉えるなら、病名も要らないし薬や治療も要らない。人間の中にある感性や感情、所謂「心」って部分が別の人とは違うだけで、人間には変わり無い。

ニトラムの心には、一般社会で生活する為に必要な「何か」が欠けている。「心」ってところが、現代社会には上手く適応できない。
ニトラムがする事は、大好きな花火とブランコ。

厳しい母親はニトラムから花火を取り上げるが、優しい父親はニトラムにこっそり花火を返してあげる。ニトラムはその花火を小学校の近くでやって、学校の先生から叱られる。そこに父親はやってきて、落胆する。
優しい父親では、ニトラムは手に負えない。

そこで、父親の提案は、海辺の家を購入しニトラムと二人で経営すること。購入資金が手に入り、不動産屋に行くと「もう売れたよ?貴方より条件の良い方がいてね」と無下に断られる。そこで父親の「心」は折れる。父親にはなす術が無く、家の中で繭に籠り、ニトラムに咎められ、殴られて、結果自死する。
ニトラムにとっては、優しい父が、そんな状態になってる事が許せなかったのだと思う。

ニトラムは、サーファーを見て、サーフィンがしたくなる。母親とボードを買いに行くが「お金が足りない」と断られる。

ボードが欲しいニトラムは、近所の草刈りをして、ボード購入資金を作ろうと思う。が、家を回っても断られ続ける。
ヘレンの家で、やっと仕事をさせて貰えるが、上手く草刈り機のエンジンがかからない、その姿を見たヘレンは、ニトラムに惹かれる。
「犬の散歩は頼める?」とヘレンはニトラムに新たな仕事を依頼する。

ヘレンは莫大な財産を持っている。莫大な財産を持ってるが故に、これまでお金目当てに寄ってくる奴らに散々嫌な思いをしてきたのであろう。だからこそ犬と暮らし、純真無垢なニトラムに惹かれたのだと思う。

ヘレンは車を買いに行く。販売店の店員はカモが来たと喜ぶ。店員は、最新型の車を進める「エアバックも付いてて安全な車です!」ヘレンが試乗してる時、助手席のニトラムはハンドルを切って、わざと暴走させる。同乗していた店員は、激昂し車を止めろと言う。そして、ヘレンがその車を買ってる時に、店員はニトラムに「2度と同じ事はするな」と脅す。

暫く、ヘレンとニトラムの幸せな暮らしは続くが、ニトラムは、両親にヘレンを紹介する日が来る。そこで、母親はヘレンに「貴女はニトラムの母親なの?恋人なの?」と詰め寄るが、ヘレンにとってはニトラムは今ま出会う事がなかった、端的に素敵な人って存在だけなのであろう。
母親には、その感覚は分からないと思う。

食事会の後、ヘレンはニトラムとハリウッド旅行を計画する。空港に向かう途中、興奮したニトラムは、試乗の時やった事を無邪気に繰り返す。そして、事故が起こり店員が安全だと言ってたエアバックは開かずにヘレンはあっけなく死んでしまう。

病院でヘレンの死を知ったニトラムは、感情が暴走して暴れ出す。


恐らく、ここでニトラムのスイッチが入ったのだと思う。

話は前後するが、この後、父親を殴るシーンと、父親の自死がやってくる。

スイッチの入ったニトラムを誰も止めるとこはできない。
唯一止めることができるヘレンはもうこの世にはいない。


ヘレンが残した遺産を持って、父親と購入予定だった家を買いに行くが、所有者の老夫婦からは、無下に断られる。
暴走の火にガソリンは注がれる。

ニトラムは、ヘレンと行くはずだったハリウッドへ一人旅する。
ヘレンと果たせなかった約束を、ニトラムは果たしたかったのだと思う。

やり場の無い怒りは、今まで持っていたがヘレンに制されていたエアーガンを本物の銃を買う行動に移される。

銃販売店の店員も、お金儲けしか考えてないのでニトラムに違法にも関わらず銃を販売する。

やり場のない怒り。そして銃。

ニトラムが最初に取った行動は、海辺の家を売ってくれなかった老父婦の殺害。そして、ヘレンを両親に合わせたレストランで、父親が座ってた席に座り、母親の座ってた席にビデオカメラを設置して、無差別殺人。


ここで、今まで触れてこなかったヘレン母親のについて

私は、ニトラムのサイコパス要素は、母親からの遺伝だと思う。

理由は
①夫が自死しても涙ひとつ見せないし、落胆すらしてない。

②父親の葬式のシーンで、母親はニトラムの服装を気にして、帰らせる。

③ニトラムが犯行に及んだ報道を、ベランダでタバコを吸いながら、ただただ聞いている。

母親は自分のサイコパス要素を知っているが故に、それを隠して社会に順応していたのだと思う。だから、②の葬式では世間体しか気にして無い。
あれが、もし母親が自死して父親が喪主だった場合、父親はニトラムがどんな服装で来ようが、受け入れていたと思う。

母親は、自身のサイコパス要素をニトラムの中にある事を知り、必死に矯正しようとしたのであろう。でも、それは失敗。ニトラムが父親を殴ったシーンは、ニトラムが母親から散々されて来た事のメタファー。

この映画のポイントは、二人の女性だと思う。
サイコ性を知ってる母親が、ニトラムを追い詰める。
サイコ性を個性と思うヘレンが、ニトラムを救う。


ここで、なぜ私の心がここまで抉られたのかについて考える。

最初にも書いたが、ニトラムを擁護する気など毛頭無い。

それを踏まえた上で、人間誰しも不完全なのだから、ニトラムの要素は誰の中にもある。見境いがつかなくなったら、無意識のレベルで暴走してしまう。
一般社会に於いては、暴走は「理性」でカバーし、誤魔化すので暴走までは至らない。

でも、社会がクソになってる現代(「開くはずのエアバックが作動しない」「本来なら買えない銃が容易く手に入ってしまう」など)ニトラムが暴走する要素は、クソな社会が作っているのかもしれない。

自分のサイコ性に気がついてる母親が、サイコ性を矯正するのでは無く、ヘレンのように包摂できていれば…

不動産屋の店員、車販売店、銃販売店の店員が、お金儲け以外の部分を知っていれば…

優しいけど弱い父親が、もう少しだけ強ければ…


たら、ればの話は不毛だけど、自分がニトラムになるかも知れない、私の知ってる人がニトラムなるかもしれないという視座に立ち、それを防ぐには自分はどうすりゃ良いか?を考えさられる作品でした。

本当にオススメの映画なので、音が重要な映画ですから、劇場で鑑賞してください。


http://www.cetera.co.jp/nitram/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?