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たとえ世界を壊しても~「天気の子」再走感想~

◆この記事には、『天気の子』のネタバレが一部含まれます。

2019年、国内映画で大ヒットを記録した『天気の子~Weathering With You~』。
その『天気の子』が初めて、2021年の正月番組としてノーカット放送されました。
当時、作中に初音ミクがいるよ(※)、というなんともオタクホイホイな情報を頼りに、映画館へ見に行ったものです。

新海誠さんの作品はどれも、写実的な現実世界の描画と画面の秀麗さが特徴ですが、一方で『君の名は。』や『秒速5センチメートル』などにあげられるような、人の恋愛を描くストーリーも特徴であると思います。

『天気の子』に関してもその1つだと思うのですが、この映画を初めて観た当初、エンディング前の世界と人の愛のバランスを見て、あまりにも人の愛に傾きすぎているのでは?そう感じました。

作中では、陽菜が消えてなくなる前の、穂高と陽菜のベッドでのやり取りを行う描写があります。個人的には、お互いの愛の深さを象徴する印象深いシーンだと思います。その後穂高は警察に追われつつ、陽菜を取り戻すために空の世界へ飛び込み、世界の崩壊と引き換えに陽菜を天空の世界から取り戻します。

世界を壊しても、自分のすべてを捨てても、会いたい人がいる。

だからこそ穂高は走り、世界の崩壊よりもヒトを選んだのだろう、そう思います。


なるほど話としては確かに素敵なラブストーリーです。
しかし2019年の私に、この話のあらすじをそのまま落とし込むことができませんでした。
理由は単純で、『すべてを捨てても共に生きたい人がいなかった』からです。
当時の私はその様な思いをしたことがなかったため、『天気の子』のストーリーを飲み込みきれなかったわけです。

しかし1度でもその様な体験をすると、世界の崩壊よりもヒトを選んだ穂高と陽菜の深い愛情を描くストーリーであることは変わりないのに、『天気の子』は一変しました。

人生の中で、ヒトかどうかに関わらず、すべてを捨てても共に生きたい存在が現れるかと思います。それが例えば推しのキャラクターでもいいです。
そんな存在に対する深い愛を描写した『天気の子』は、大変共感を与えていく作品だったように思います。

『晴れよりも陽菜を選ぶ』

この一言からも、穂高の深い意志が感じられるような気がします。

映像の秀麗さ以上に、ストーリーへの共感で涙を流した2周目の『天気の子』でした。
私も『すべてを捨てても共に生きたい存在』を愛していたい…そう思います。

※作品中盤あたりで「ふたりはプリキュア」と穂高・陽菜が話しているシーン。背景に初音ミクV4X(のコスプレイヤー)が映ります。

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