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「兵たちの夢の跡~福井県・朝倉一乗谷」

南北朝時代に朝倉広景が主人の斯波高経(しばたかつね)に従って越前に入国し、孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠地を移し、斯波氏などを追放して越前国を平定しました。
以後、義景まで5代103年間にわたって越前国の中心として繁栄し、この間、京都や奈良の貴族・僧侶などの文化人が訪れ、北陸の小京都とも呼ばれました。
しかし、1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き尽くされました。
 
一乗谷は、福井市街の東南約10km、城下町の跡が、良い状態で埋まっていました。
発掘調査が1967年から進められ、1971年に一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定されました。また、1991年に諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園の四庭園が特別名勝に指定されました。
 
復原された城下町は、戦国時代に滅びる前の姿を見せ、まさしく、「兵たちが夢の跡」という言葉がぴったりと合う場所でもあります。
歴史に「IF」はありませんが、朝倉、浅井軍団が、信長を破っていたら、一乗谷は、もっと大きな城下町になっていたかもしれません。

2024年3月、北陸新幹線が延伸すると、福井県は首都圏からの未開の観光地として、焦点があたることでしょう。

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