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ハカセの発明品

 4丁目の外れには、通称「ハカセ」と呼ばれるおじいさんが住んでいる。
一応、発明家ということになっているけれど、製品化されたとか、誰かが買ってくれた、なんて話をこれまでに1度だって聞いたことがない。
 町内の口さがない人は、「頭のいかれたじじい」だの、「ネジの緩んだアインシュタイン」などと呼んでいた。
 そんなハカセだったが、わたし達は子どもの頃から家に入り浸りだった。山と積まれたガラクタは、用途こそわからないものの、わくわくと想像力をかきたてる。
「どれも、わしの最高傑作なんだ。『最後の微調整』が済んだら、とっくりと見せてやるからな」
 それがハカセの口癖だ。

 桑田孝夫、中谷美枝子、わたしの3人で、久しぶりにハカセを訪ねてみた。
 家の中は相変わらずで、何に使うのか不明な「発明品」がいっぱいだ。本当に役に立つ物なんてあるのかなぁ。けれど、なぜか夢と期待を膨らませてしまう。
「おお、来たなちび助どもっ!」
 わたし達は顔を見合わせて苦笑いをした。ハカセにかかれば、わたし達はいつまでも子どものままらしい。
 ぼさぼさに爆発した白髪頭、しわくちゃな顔、「ネジの緩んだアインシュタイン」なんてあだ名を付けた人は確かにセンスがある。幼稚園に通っていた時分でさえ、すでにいまと変わらない様相を呈していた。いったい、年はいくつなんだろうか。

「ハカセ、最近の発明はなんですか?」中谷が聞いた。もっとも、本当に関心があるわけではない。挨拶のようなものなのだ。
「よくぞ聞いてくれた」ハカセはテーブルの上のシーツを引き剥がす。
「望遠鏡?」桑田が意外そうに洩らす。ぴかぴかに磨かれた真鍮製の筒、ぶ厚いレンズ、それが三脚にぽんと載っている。わたしにも、それは望遠鏡に見えた。
「確かに望遠鏡だが、もちろん、ただの望遠鏡なんかじゃないぞ」いたずらっぽく笑うハカセ。
「わかった、近くのものが、うんと遠くに見えるんでしょ?」手を叩いて、中谷が答えた。
「そんなもん、望遠鏡とは呼べんだろが」ハカセは呆れたように言う。

「じゃあ、望遠鏡で覗いたものが、実際にたぐり寄せられるっ!」これしかない、絶対の自信を持ってわたしは叫んだ。
「いやあ……。さすがのわしにも、そりゃあ無理な話さね」
 すかさず、桑田と中谷が茶々を入れる。
「ばか、マンガじゃねえぞ」
「そうよ、あんたって、ほんとにもうっ」
「わかった、わかった。教えてやるよ」ハカセが両手を振って、2人を制する。「接眼レンズのところを見てみい。何が付いてるね?」
「顕微鏡に似てるなあ」桑田がつぶやく。
「そうね、これって顕微鏡だよ」中谷も同意する。
「さよう、顕微鏡だ。これで火星を見れば、土壌の生物も観測できるってわけなんだ。どうだい、すごいだろ?」ハカセは自信満々に装置の紹介をした。

「すごい……とは思うんだけど」中谷が言い淀む。
「うん、確かに大発明だ」桑田がわたしを横目で見る。「でも……なあ」
「『最後の微調整』が、どうせまだなんですよね?」中谷達の代わりに、わたしが尋ねる。
「ところがどっこい。こいつはな、とっくのとうに完成しておるんだ」ハカセは、そう来ると思っとったよ、とでも言うように胸を叩いた。
 わたし達は一斉に驚きの声を上げる。1度だって、発明品が動くところを見せてもらったことがないのだ。ハカセがウソをついていると思ったことはない。でも、発明なんてほんとかなぁ、そんな疑問はちょっぴりあった。
「論より証拠。いまは昼間だから火星は見えないが、ほれ、ちょうど彗星が近づいているだろ? あれを見てやろうじゃないか」ハカセが言い出す。

「彗星かあ。氷でできてるんだよね、あれって」中谷が天井を見上げる。その方角に彗星が尾をなびかせているのだ。
「すると、あれか。氷の粒々が見えるってわけだな? 四角い結晶だったっけ?」と桑田。
「それって、塩。塩の結晶だってば」わたしは訂正する。
「ああ、ちと勘違いしてたぜ」そう言って頭を掻く。
 ハカセは望遠鏡を窓際に移動させ、対物レンズの向きを合わせる。雲1つない青空に、白く長い尾を引いた彗星が見える。
「頭の部分、そここそが彗星の核なんだ」接眼レンズに目を押しつけながらぶつぶつと言う。「おお、ここだ、ここだ。ふむ、氷と岩石とが混ざり合った構造をしとるな。はて、こりゃなんだ? まさか、そんな。いや、まさか。あり得ない。あり得っこないぞっ!」

「どうしたんですか、ハカセ?」身を屈めて1人騒ぐハカセに、わたし達の好奇心は破裂しそうだった。いったい、何が見えるというのだろう?
「みんな、見てみい。順番にな、順番にだぞ」
 桑田、中谷、そしてわたしの順に、望遠鏡を覗いてみた。ハカセが驚いたのも当然だ。
 彗星の核には人が住んでいた。それも、本当に本当に小さい。バクテリアに手綱をつけて、氷の平原を走り回っているのだった。

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