見出し画像

懐かしい街

 積み木を並べたようにカラフルな家々、リノリウムのようなつるっとした道路、なんだかとても懐かしい。
「どこかで見たような町なんだけどなぁ」クルマ1台来ない辻の真ん中に立って、わたしはうーんと考えた。

 等間隔に並ぶ電柱の上には、もれなく水色のポリバケツが載せられている。けれど、電線だけはどこにも見当たらない。
「ははあ、すべて地中ケーブルか、それとも無線送信式電源を使っているんだな。新興の電力会社はやることが進んでる」

 不思議なことに、路地という路地をすべて見知っている。のぞかなくとも、1軒1軒の家の間取りまですっかりわかっていた。
 それなのに、ここがどこなのか思い出せない。
「おかしいなあ、よく知っている町のはずなのに……」

 ふらっと、小さな公園に寄る。水飲み場では、出しっ放しの水が噴水のようにちょろちょろと吹き上がっていた。
 隅に掲示板が置かれている。何か貼り紙がしてあるので、近寄って確かめてみた。

 〔もうまもなく みんなが たのしみにしている、「きゃんでぃまつり」が はじまります。おうちのひとに きゃんでぃがたくさんはいる、おおきくて すてきな「きゃんでぃぶくろ」を つくってもらいましょうね。〕

「ああ、もうそんな季節なんだ。今年も袋いっぱいにもらうぞっ」わたしはうきうきと胸を弾ませながら、そう独りごちた。
 毎年、5月の終わりには、町内でキャンディを配るというイベントがあった。いまのいままで、なぜそのことを忘れていたのだろう。
 すると、ここはわたしが子どもの頃住んでいた町なのかな?

 もう1度辺りをじっくりと見渡してみる。まるで、自分の部屋にでもいるように、隅々まで把握できる。その気になりさえすれば、落ちている小石の位置までも思い出せるほどだった。
 

 公園を出て、表通りをぶらりと歩いてみる。行き交う人たちの顔にも、なんとなく見覚えがあった。知り合いというのではなく、テレビ・ドラマのエキストラでも眺めている感覚である。

 道端に、小さな運動靴が落ちているのを見つけた。しゃがんで調べてみると、かすれたマジックで「さくら幼稚園 もも組 むぅにぃ」とある。
「これって、幼稚園のときの……」
 道の先を見れば、ハンカチ、おもちゃの指輪、半分に折れたクレヨンなどが点々と続いていた。
 それらを1つ1つ拾いながら、わたしはさらに進んでいく。

 赤いリボンを結んだ麦わら帽子を拾ったところで、空き地に出た。
 家と家とに囲まれた、小さな空間だ。

 空き地いっぱいに、切り取られたノートのページや画用紙が散らかっている。
 ノートには、書きかけの物語が鉛筆で綴られていた。画用紙にはクレヨンで、色とりどりの稚拙な絵が描かれている。そうした「作品」が、積み上げられるようにして、ここに集まっていた。
 ふいに記憶が蘇る。これらはすべて、わたしのものだった。

 夢中になって、絵を見て回る。どれを手に取っても、当時の真剣な思いが映像となって浮かんできた。いまさっき描きあげたばかりのように。

 何百枚目かを取りあげたとき、とりわけ感慨深い気持ちになった。俯瞰で見た町だ。
 どこにもない、自分だけの町。こんなところに住んでみたい、そうした思いから作られた地図が描かれている。

「ああ、そうか……」わたしはようやく気がついた。
 幼い日、父に叱られたわたしは、せめて空想の中で家出をしてやろう、そう考えてこの絵を描いた。
 完成した地図を抱いたまま、わたしは寝入ってしまったっけ。夕ご飯になって、母が起こしに来るそのときまで。
 あの夢はずっと続いていたんだなあ……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?