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缶詰工場の朝

 まだ暗い時間、わたしは樺の林を足早に行く。すっかり裸に剥かれた枝の間から、夜明けの星がちらちらと覗いていた。
 手袋をしていても指先がじんじんとかじかむ。道端には霜が降り、踏みしめるたびサクサクと心地よい音がした。
 ふいに木立が途切れ、目の前に牧草地が広がる。歩きやすくならした小道はさらに続き、拾ってきたような木を組んだだけの、粗末な柵で囲った缶詰工場が見えた。
「おはようございます」ちょうど、柵にかけられた鎖を外そうとしていた工場長に会う。
「やあ、おはよう。今朝は一段と冷え込むね。もう、冬なんだなあ」

 工場へ入ると、わたしはまず、中央の大きなストーブにスコップでコークスを詰めた。マッチを何本も無駄にし、湿気った薪をくすぶらせる。十分に炎が立ったところで、ストーブへと放り込んだ。
「じゃあ、わたしは設備の方を立ち上げるから」工場長はそう言って、2階の制御室へと向かう。
 ほどなく、あちこちでランプが灯り、ラインのモーターがブーンと唸り始めた。
 中が暖まってきた頃、ようやくほかの従業員達もぽつり、ぽつりと出社してくる。
「寒うっ、来る途中の池に氷が張ってたよ」
「来週あたり、雪が降るかもしれないね。ああ、それにしても工場の中はあったかい。ほっとするな」
 入り口の洋服掛けに帽子やコートを掛け、作業用のエプロンを巻きつける。

 工場長は2階のキャットウォークに立ち、全員が揃ったことを確かめると、朝礼を始めた。
「さて、本日もいつもの通り、夜明け前から日の出までの30分、頑張って働きましょう。今日の予定は、まずクロッカスから。次いで、ヒヤシンス、チューリップの順に行います。それでは、作業開始!」
 各自、担当する機械の前に立ち、慌ただしくボタンを押したり、ハンドルを回し始める。
 わたしの持ち場は、コンベアで運ばれてきた缶詰をチェックし、へこんだもの、キズのあるものを取り除くことだった。
「この『赤いチューリップ』の缶は、縁が潰れちゃってる。はねておかなくちゃ」
 毎分、300本も流れてくるので、素早く調べ、そして判断しなくてはならない。うかうかしていると、あっという間に通り過ぎて行ってしまう。

 軽やかな鐘の音が響き、ラインが停止した。工場内のあちこちでカッタン、とリレーの作動する音が聞こえ、装置の電源が次々と落ちていく。
「みなさん、ご苦労様でした。本日の業務はこれで終了です。明日も、また元気に仕事をしましょう」
 ふうっ、と一息ついて、わたしは席を立った。ストーブの空気取入れ口を閉め、あとは自然に消えるのを待つ。
「じゃあね、むぅにぃ。また明日」従業員達が次々と出て行った。
「またねーっ」わたしも1人1人に手を振って答える。
 30分ばかりして灰取り口を開け、くすぶっているコークスを火消し壺に放り込んだ。
「ストーブが消えると、急に寒くなるね」工場長が降りてきて、両手を揉む。
「今日は、もうお帰りですか?」わたしは尋ねた。
「日報をつけてからね。すぐに終わるので、あなたはもう上がって下さい」
「はい、ではお先に」
 手についた炭をはたくと、コートを取って着込む。

 外はすっかり明るくなっていた。来る途中はボーッと灰色に見えた白樺が、朝日を浴びて銀色に輝いている。
 林を途中まで来て、マフラーを忘れてきたことに気づいた。明日の朝も、きっと空気が冷たいに違いない。マフラーなしではつらいだろう。
 わたしは引き返して、取ってくることにした。
「工場長、まだいてくれるといいけど」さもないと柵に鎖が巻かれ、鍵をかけられてしまう。
 小走りで戻ってみると、入り口のポストに、チョコレート色の地に赤い模様の見慣れた柄を見つけた。
 わたしのマフラーだ。
 帰る際、工場長がそこに巻いておいてくれたに違いない。

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