ゴルゴンの末裔
年始めの顔合わせ、ということで、わたしは群馬の親戚を訪ねていた。
「お、むぅにぃ。ひさしぶりだなあ。最後に来たのは何年前だったっけか」いとこの芳雄兄さんが、懐かしそうな笑顔を浮かべて近づいてくる。この家の長男で、わたしとは一回り年が離れていた。
「3年ちょっとかな」わたしは指を折って数える。
「そうか、そんなになるか。元気にやってたか?」
「うん、芳雄兄さんも、仕事はうまくいってる?」
「ああ、毎日、会社でこき使われて、大忙しだぁ」
以前は、うちへもしょっちゅう遊びに来ていたのだが、役職をもらってからは暇もなく、なかなか顔を出さなくなった。
座敷へ行くと、すでに集まっている親類達が、飲んだりつまんだりしながら、おしゃべりをしていた。
奥のほうに座っていた別のいとこが、目ざとくわたしを見つける。
「あっ、むぅにぃだ。こっち、こっち。隣に来なよ」同い年の幸子だ。青森に住んでいるのだが、出歩くのが好きと見え、節目節目の寄り合いには、きちんとやって来た。
「ゆっこ、おひさ」道々、あっちこちのおじさん、おばさんに挨拶をしながら、ようやく幸子の隣までたどり着く。「向こう、雪すごいでしょ?」
「そりゃあ、雪国だもんな。毎年のことだから、なんとも思わねえけどよお」
「それにしても、そのかっこ」わたしは幸子をまじまじと眺めた。「部屋ん中なのに、なんでダウンなんか着てるの?」
「えーっ、だって寒いべよ」
「あんな寒い地方に住んでいて、そんなこと言う?」わたしはあきれてしまう。
「わかってねえだなあ。うちんとこは、外が寒い分、家ん中はガンガンストーブ炊いてんだど。あんた、1度、冬に泊まりさ来てみろって」
なるほど、そういうこともあるのか、とわたしは感心した。かえって、寒がりになっちゃうんだ。
「東京は、そこまで冷えたりしないんだけど、部屋の中はあんまりあっためないかな。外は寒い、中も寒い、半端はよくないよね」わたしは言った。
「うんうん、東京は暖房弱っちいよなあ。逆に、外を歩いてっときは、そんなでもねえんけどよ」
席に落ち着くと、わたしは改めてテーブルをざっと見渡す。よく知った顔もあれば、すぐには誰だか思い出せない顔も並んでいた。
中ほどの席で、ややうつ向き加減の女の人には、まったく見覚えがなかった。しかも、黒いニット帽を耳が隠れるほど深く被っている。幸子のダウンジャケットどころではない、たいそう浮いて見えた。
「ねえ、ゆっこ。あそこに座ってる女の人って、誰だっけ?」わたしは小声で尋ねる。
「ああ、わたしもさっき、おばさんに聞いたんだ。愛知の浩二さんのお嫁さんで、綾子さんていうんだってよ」
「へー、浩二さん、結婚したんだ」まず、そのことが驚きだった。そろそろ40になるというのに、これまでずっと独りを通してきたのである。
「それにしても、大人しい人だよね。目の前のグラスをじっと見てるばかりで、口もつけようとしないんだよ」
そこへ、ふらふらと年配の男がやって来て、傍らにどっかりと座り込んだ。かなり飲んでいるのか、鼻の先まで真っ赤である。
「あんた、浩二んとこの嫁さんなんだってな。ささ、まっ、1杯飲めや。今日は久しぶりに、こうしてみんな集まってんだからさあ」
「茨城の雄三さんか。あの人、ふだんもやかましいけど、飲むとしつこいからなぁ」わたしは、浩二さんの奥さんが気の毒になった。
「こういうときにかぎって、肝心の旦那がどっか行っちゃってんだよな」幸子も同情の目を向ける。
「いいえ、わたしはお酒はけっこうですから」綾子さんはやんわりと断った。
「なんだよ、あんた。おれの酒が飲めねえってか?」雄三さんはますます顔を赤くする。
「ほれ、雄三さんよう。なんも、そんな無理に勧めんでも」見かねたほかの者がなだめた。
「この女、礼儀っつうもんをわきまえねえ。人様んちに上がったら、まず帽子を脱ぐもんだろうが」激高した雄三さんは、綾子さんの帽子に手を伸ばす。
「やめて下さい。これを脱ぐわけにはいかないんです」綾子さんは必死になって、両手でニット帽を押さえた。
「やめろって、雄三さん。いい加減にしろなっ、はあ」
「まったくだなやもう、いい年をしてからに。わたしゃ、お前さんがおむつをしてる頃から知ってるけんど、昔っからちぃっとも成長してねえ」
綾子さんと雄三さんを取り囲むようにして、大声が飛び交う。
「こうなるってわかってるんだから、飲ませなきゃいいのに」わたしは言った。
「困ったおじさんだなや」
どんどん大きくなっていく騒ぎを、わたし達はハラハラしながら見守る。
「わかりました。そんなにおっしゃるのなら、帽子を取りますっ」綾子さんが言った。「ほかの皆さんは、少し下がって下さい。さ、雄三さん、どうぞお取りなさいな」
「どこまでもむかつく。ほらほら、こうおっしゃってんだから、下がった、下がった」雄三さんは周りの者を、いささか乱暴に押し退ける。むんずと帽子をつかむと、そのままはぎ取った。
長い黒髪が肩に掛かり、見とれる暇もなく、ボンッと広がる。熱い湯で満たした椀に、ふえるワカメを放り込んだときのように。
その場に居合わせた全員、声もなく息をのんだ。
艶やかな美しい髪が爆発したことも驚きだが、綾子さんのすぐ目の前にいた雄三さんの変わり果てた姿に、誰もが愕然とする。
雄三さんの全身は、まるでコンクリートのようにカチンコチンに固まっていた。
「石になっちゃった!」わたしは思わず叫び出す。
「そうなの。わたし、ゴルゴンの血を引いてるんです」綾子さんは悲しそうに言った。頭の周りを、髪の毛が好き勝手にうごめいている。まるで、寄り集まったイトミミズそっくり。
「むぅにぃ、よく見てみろ、髪の先っちょ」幸子が肘で突いた。「1本、1本が、細いヘビになってねぇけ?」
目を凝らすと、なるほど確かにヘビだ。何十万匹というヘビが、頭から生えている。見た者は、恐ろしさのあまり石になってしまうという、あの伝説の怪物だった。
「きっと、何世代も経ってるから、血が薄まったんだよ。それで、あんな細くて、サラサラの髪になっちゃったんだね」ひそひそとささやき返す。
「でも、変だべ? あたしらだって見てんだど。なんで石にならねぇんだい?」幸子は首を捻った。
「あ、ほんとだ……」
その理由を、綾子さん本人が説明する。
「頭のヘビ、髪の毛みたいに細いものだから、その分、呪いも弱いの。よっぽど近くに寄らないかぎり、力が届かないんです。よそ様に迷惑をかけないよう、帽子で隠していたんですけれど」
テーブルのそこかしこで、うなずき合う声が広がった。
「今回のことは、雄三さんが悪いな」
「ああ、自業自得っつうやつだべ」
「だからあれほど、酒は飲んでも飲まれるなって言ったんだ、オラァ。雄三さんてばよ、きかねぇだもんよ」
そのとき、石になったはずの雄三さんが、グラグラと揺れ始める。
「おうっ、なんだ、なんだ。生き返っちまったのけぇ?」そばにいた者が慌てて退いた。
雄三さんの顔が、厚化粧のようにボロリ、ボロリとはげ落ちていく。
「でれすけがっ、まぁだ死んでねえど!」口がきけるようになるなり、また怒声を張り上げた。「誰でもいいから、さっさとこの石くれをなんとかしてくれろ」
いったい、これはどういうことだろう。互いに顔を見合わせているところへ、ようやく幸子の夫が戻ってくる。
「あんれま、みんなしてなに騒んでだ、はあ?」
「浩二さん、そんなのんきな。いまな、お前さんとこの嫁さんを見た雄三さんが、石になっちまったんだ。あいにく、また息を吹き返しちまったところよ」
「ああ、そんなことか」浩二さんはなんでもないことのように答えるのだった。「うちの嫁に、人を石なんざできねえんだど。せいぜい、厚い面の皮の上さ、さらに分厚い石面皮をおっかむせるぐれえなもんだべよ」
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